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2025.03.03

レビュー

あの世とこの世をつなぐ、能舞台。ユネスコ無形文化遺産の能と狂言を学ぶ

子どもの頃から知っておくと文化はもっと楽しくなる

子どものうちに基本的なことを知っておくと、あとあと「よかったなー」と思うことがたくさんあります。おとなになって、いざ本格的に向き合うときに、子どもの頃の記憶で助走がついて、親しみやすさがまったく違うからです。とくに長い歴史をもつ文化や文芸作品に触れるときに、いろはを少しでも知っていると、身構えずに楽しめるんですよね。

相撲や落語、茶道など日本ならではの文化をテーマにした児童文学「おはなし日本文化」シリーズは、どれも「読んでよかったなー!」と思います。日本文化へのアプローチの方法が愉快で、おとなが読んでもおもしろい。そして子どもの頃に読みたかった。

本稿で紹介する『お能探偵ノーと謎の博物館』が扱う日本文化は「能と狂言」。シリーズのなかでも本作は特に子どもの頃に出合いたかった!

というのも、私は大学で演劇学を専攻しました。日本演劇史の講義の最初のテーマは能。能について、それまでほとんど何も知らなくて苦労しました。とくに「どう楽しめばいいのさ」と思うのがつらかった。対する西洋演劇史のトップバッターはギリシア悲劇で、こちらは講談社の「少年少女世界文学館」でオイディプス王のテーバイ物語を読んでいたので取っつきやすかった! そんな経験から、すっかりおとなになってしまった私が児童文学の「おはなし日本文化」を読み、おすすめしている次第です。

あくび連発の課外授業から新キャラ誕生

小学校6年生の“浦沢界(うらさわかい)”はミステリ好きの少年。いつかミステリ作家になることを夢見て「作家になったときにアンケートで何を答えるか」を書くような男の子です。外堀から埋めていくタイプと見た。

授業中もいたずら書きで「ミステリの主人公の絵」を考えてみたり。ある日の界が思いついたのは、鬼のお面をつけた制服姿の高校生でした。キャラクターの横には「お能探偵ノー」なる文字。界は、少し前に課外授業で市内にある能楽堂に行って、能を鑑賞させられたのです。「させられた」というくらいだから、全然楽しくなかったし、興味もなくてあくび連発。

そんな経験が界の思い描くミステリの世界と結びついたわけです。
能をやっている一家の跡取り息子。名前はもちろん『能』で、苗字(みょうじ)はそうだな……シンプルに『小川』。小川能だ! ふだんはただの高校生。ひとたび事件に出会えば、能のお面をつけて名探偵ノーになる。
ぶるり、と小さく体が震えた。
見つけたぞ。とうとう見つけてしまった。おれが書くミステリの、おれだけの名探偵を。
「名前はもちろん『能』」という直球なセンスがいいなあ。そして名探偵ノーこと小川能のイメージ図はこちら。
スマート!

キャラクター設定は決まったけれど、界は能のことを何も知りません。課外授業では「重そうな着物を着たお面の人が、のろのろ動いたり、聞きとり不能なセリフをいいつづけたりする和風のお芝居」と思いながら、あくびをしていたわけですから。

そこで界はしかたなく図書館へ向かうことに。でも能の本は、子ども向けの内容でもむずかしい! このままじゃお能探偵ノーが書けないよ……と界が悩んでいるところに、ある少女が現れます。
「そうなんだ。じゃあ、あきらめるかな」
お能探偵ノー。いいキャラになると思ったのになあ……。
「なにをあきらめるの?」
制服すがたの女子が、となりにきた。たなにもどそうとしていた本を勝手に手に取って、ぱらぱらとめくりだす。
「能の一家の跡取り息子が探偵で、お面をつけて推理するっていうミステリを書こうと思っててさ」
「……ふうん」
女子の目が、きらん! となった気がした。ミステリ好きなのかもしれない
「だったら、能楽博物館、いってみる?」
“小前田里栗(おまえださとり)”と名乗る少女と界は、トントン拍子で約束をとりつけ、一緒に能楽博物館へ出かけることに。

「この登場人物は生きている人間じゃないかもですよ」

界と里栗は能楽博物館でいろんな展示を見ます。そこで界は「“お面”は“おめん”じゃなかった。“面”と書いて“おもて”。そう読むのだそうだ」だとか「お面をつける」ではなくて「おもてをかける」が正しい言い方であることを学びます。

ガラスケースの向こうにずらりと並ぶ「おもて」を眺めます。この感想がめちゃくちゃ的確でおもしろい。
目の細い女の人のやつ。おじいさんかおばあさんかわからないやつ。鬼のやつ。ふざけてるっぽい口のやつ。神経質そうなおじさんのやつ。きげんがよさそうなおじいさんのやつ。
それぞれ名前がついていた。

小面(こおもて)。老女(ろうじょ)。般若(はんにゃ)。賢徳(けんとく)。中将(ちゅうじょう)。白式尉(はくしきじょう)
「おもて」の印象が全部よくわかる。「きげんがよさそうなおじいさんのやつ」が私は好きだよ。そして界が考えるのはミステリのこと。
おれの探偵、小川能に似合いそうなのは、目の細い女の人──小面(こおもて)か、鬼の般若(はんにゃ)かな。
そして界は、能面の役割を知ります。おもては、生きている人間以外の存在を演じるときにかけるもの。
きげんがよさそうなおじいさんの白式尉(はくしきじょう)は神さまで、ふざけてるっぽい口の賢徳(けんとく)は、牛とか馬とか犬とかの動物や、きのこの精霊? なにそれ、おもしろ!
能面って、『この登場人物は生きている人間じゃないかもですよー』ってひと目でわからせてくれる、めちゃくちゃ便利なものなんじゃん、と思った。
そう、便利なものなんじゃん、だよね。ここだけでもわかっていると能はおもしろくなるんですよね。「神さまきたきた!」となる。

女子にもなれる。老人にもなれる。動物や神にもなれる

ただ「博物館に行って、ふーんと勉強しました」で終わらないのが本作のおもしろいところ。界と里栗は、“ふじ”という不思議な美少年と知り合います。「女子にもなれる。老人にもなれる。動物や神にもなれる」という、肌が真っ白で、くちびるが紅ショウガのような色をした、なんとも魅惑的な男の子。なんでも能楽師の家の子だそう。

ふじは界と里栗を自宅に招待してくれます。能の資料がたくさんあるそう。バスで終点まで行って、そこからふじに案内されながら雑木林を抜けると……?
モダンで美しい! 収蔵品もたくさん! 市の博物館よりもうんとすごい。ふじって何者?

驚くのはまだ早い。3人は謎の超絶技術で時代劇のような世界に入り込み、能のもとになった平安時代の猿楽を当時のまま体験! ついでにミステリ的な事件も解決することに。

これが「羅生門」の世界にも通じるような平安時代のちょっとダークな雰囲気で、路上でガヤガヤと鑑賞する猿楽がまとう雑多な雰囲気が伝わってきます。能の起源である猿楽は、現在の能のように美しい能楽堂に足を運んでじっくり鑑賞するようなものではなかったんですよね。

やがて3人は「舞台の間」にたどり着きます。
そこは3人だけのための舞台。幻想的でとても美しい場面です。
舞台のほうを見たまま、ふじが話しだす。
「あのろうかは橋掛
(はしが)かりといって、舞台に向かって少しだけ傾斜がついている。ゆるやかな坂をのぼる感じだね」
「どうしてななめ?」
あっちが、といいながら、カラフルな幕のほうをふじは指さした。
「あの世で」
こっちが、といって今度は、舞台のほうをまっすぐに見る。
「この世。つまり、あの世からこの世への通り道なんだ、あの橋は」
「あの世」と「この世」をゆるやかに結びつけた空間に音楽が鳴り、やがて「おもて」をかけた演者たちが橋掛かりを渡り、界たちの目の前に現れ……。

現実とまぼろしの境界があいまいに溶け合って、なのに快活な物語です。そして界が地に足の着いた感想を元気よく言い続けるからおもしろい。

ちなみに能は、大学の先生いわく「鑑賞中に眠くなることはあります。でも、とてもうまい能楽師が演じると、なぜか眠くならないのです」とのことで、夢か現実かよくわからないけれど不思議と目がさえて神経が研ぎ澄まされていく独特の舞台芸術だと思います。本作は、そんな能の不思議な雰囲気も体験できる児童文学です。
絵:かない

レビュアー

花森リド

ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。

X(旧twitter):@LidoHanamori

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