「一汁三菜」と「茶の湯」は相性ばつぐん?
私の場合、『わび』『さび』が好きな自覚はあるけれど、日本に関心をもつ外国人に真正面から質問されたらお手上げです。お茶碗なのか、苔むした庭なのか、はたまた生け花なのか、いや、デザインとも違うし、ましてや「京都」でもないし……。
仮に外国語の語彙力があったとしても、自国の文化への理解がなかったら、こういう会話では手も足も出ません(そして親しくなると食事会の席で日本の文化や歴史の話題を振られることもあります。その場では私が図らずも日本代表になってしまうわけで、冷や汗が出る!)。
日本文化を小学生に親しんでもらうための児童文学「おはなし日本文化」シリーズの『茶の湯、やってみた!』を読むと、『わび』や『さび』が、日本の長い歴史の中で育まれた美意識であり、「茶の湯」と深い結びつきがあることも学べて、とてもおもしろい。
茶の湯のお点前(てまえ)や作法を表面的になぞるのではなく、歴史や「なぜ、そうなのか」を、わかりやすい言葉で教えてくれます。
この本を通して、日本での生活のいろんなところに「茶の湯」の文化が行き渡っていることに気がつくはず。たとえば食卓でおなじみの「一汁三菜」も「茶の湯」と関係があるんですって!
お庭から茶の湯は始まっている
みっちゃん先生のお屋敷に足を踏み入れると、広いお庭のずっと奥に、茶の湯の静かな世界が広がっていました。
「美咲、見て。レストランの日本庭園と同じ、飛び石と灯籠(とうろう)があるわよ」
「ほんとだ。大きくてひらべったい石が、垣根と茅葺(かやぶ)きのお家の方へ続いてるね」
すると、みっちゃん先生がすぐに教えてくれた。
「飛び石は茶室への道しるべなの。この石を伝っていった先が茶室の入り口なのよ」
それじゃあ、あの茅葺きの小さな家が茶室なんだ。
(中略)
みっちゃん先生は、茶室へ続いていく石の列を指さした。
「飛び石のひとつひとつは、山を表しているの。つまり、茶室は、峠をいくつもこえていかなければならない、神聖な場所だってことなのね」
美咲ちゃんが「大きな声じゃいえないけど、これ、神社っていうより、忍者屋敷に似てない?」と思った小さな『にじり口』を抜けた先が茶室です。
動きにむだがない
あれ? 剛くん、茶わんの中から、小さくたたんだ白い布をとりだして、釜のふたに置いたよ。
「あれは『茶巾(ちゃきん)といって、あとで茶わんをふくためのもの。『茶巾鮨(ちゃきんずし)』というお料理があるけど、五目鮨を包む薄焼き卵を、茶巾に見立てているからだそうよ」
へぇ。そんなところにも、茶の湯の影響があるんだ。
あ、お茶碗にお湯を入れてる。茶筅(ちゃせん)でシャカシャカかきまぜてるし、いよいよお茶を点(た)てるのかな。でも、お抹茶はまだ入れてないよねぇ……。
「どうだった、初めてのお茶は?」
「おいしかった!」
「手や茶わんの動かし方とか、あいさつとか、むずかしいと思わなかった?」
「ううん。たしかに、いろいろきまりがあるみたいだけど、でも、それは、そうするのが、いちばんシンプルだからなんじゃない?」
「たぶん、動きやしぐさは、だれかに見せるために作られたんじゃなくて、それがいちばんむだがないからなんだと思う。でも、だからこそ、きれいに見えるっていうか……」
「すごい! 初めての茶の湯で、よくそこまで気がついたね!」
みっちゃん先生の茶の湯レッスンでは、お茶の葉は中国から伝わったもので、かつての抹茶は「栄養ドリンク」のようなものだったことなど、奈良時代の頃からの歴史をひもといていきます。
なぜ、そんな大昔のいきさつを学ぶ必要があるのかというと、やがて訪れる戦国時代に千利休が茶の湯を完成させた背景が見えてくるからです。そして『わび』と『さび』が深く関わっていることもわかります。なぜ茶室にお花を一輪だけ『投げ入れ』るのか、なぜ茶会の食事は『一汁三菜』で、なぜどこにでもあるような道具が茶会で使われるのか。
さらにみっちゃん先生は、美咲ちゃんが毎日の暮らしのなかで感じていることをていねいにすくいあげて、『わび』や『さび』の美意識や歴史と、美咲ちゃんの心とをむすびつけていきます。見事!
茶の湯を知り、親しむことは、作法を表面的に知って単に覚えることとイコールではないとよくわかる本です。そう、かしこまって作法だけを覚えても、意味がないんです。80ページほどの読みやすい児童文学ですが、文化との誠実な向き合い方も感じ取れると思います。