しかし、はたしてAIが自我を獲得し、自発的に行動して、人類を排除したり、抹殺したりするようになるだろうか。この命題については、実は、私はヒントンに否定的である。少なくとも、私は、現在の生成AIの延長線上には、人類に匹敵する知能と自我を持つ人工知能が誕生することはないと確信している。その理由は、本書の中で追々説明していくが、知能という言葉で一括りにされているが、生成AIと私たち人類の持つ知能とは似て非なるものであるからだ。
そもそも、私たちは「知能とはなにか」ということすら満足に答えることができずにいる。そこで、本書では、曖昧模糊とした「知能」を再定義し、AIと、私たち人類が持つ「脳」という臓器が生み出す「ヒトの知能」との共通点と相違点を整理したうえで、自律的なAIが自己フィードバックによる改良を繰り返すことによって、人間を上回る知能が誕生するという「シンギュラリティ」(技術的特異点)に達するという仮説の妥当性を論じていく。
著者の田口善弘氏は、中央大学理工学部の教授。粉粒体の動力学などの分野で物理シミュレーションを行う研究を20年以上続けており、近年は対象を広げてバイオインフォマティクス(生命情報学)を専門としている物理学者だ。
本書は第0章「生成AI狂騒曲」にて、おもにこの数年の生成AIを取り巻く現状と熱狂を紹介。そこから第1章「過去の知能研究」にて、「人間の知能に関する研究」が通ってきた歴史を解説。その中には、2010年代のAI研究の際に脚光を浴びて一般の人の耳にも届くようになった「ニューラルネットワーク」という概念が、実は前世紀に一度注目されたうえで「使えないモノ」として打ち捨てられていた、という意外な事実が記されていた。
第2章「深層学習から生成AIへ」では、2010年代~現在に繋がるAI研究の礎となっている深層学習(ディープラーニング)に関する研究の歴史と成果を解説。その後、第3章「脳の機能としての『知能』」で、そもそも明確に定義されていない「知能とはなにか」について「人間の大脳の機能」と再定義。これは従来の「知能はそのパフォーマンスの達成度で定義される」という考え方からすると、大きな方向転換と言える。
知能の定義を「大脳」という臓器と結びつけたのは、脳というハードウェアから切り離した人間の「知能」はそもそも存在せず、パソコンのように、ソフトとハードが分離可能だという仮定がむしろ根拠薄弱だという認識に基づく。脳というハードウェアから分離した古典的記号処理パラダイムで知能が実現できる、という考え方はある意味で楽観的過ぎたと言えるだろう。
本書の肝である第5章「世界のシミュレーターとしての生成AI」にて、このロジックが生きてくる。この章では、本来は脳のニューロン(神経細胞)を模したものであったニューラルネットワークが、研究の中で独自の進化を遂げて生成AIを実現する技術として活用されている現状を解説。
さらには著者が物理学者として20年前から研究し続けてきた「非線形非平衡多自由度」のシミュレーションが「突き詰めると現実世界そのものに他ならない」という結論を元に、現在のAI研究の方向性が、20年前から物理学者が研究し、作ってきた「非線形非平衡多自由度」系の「現実世界シミュレーター」の亜種に過ぎない、という結論に達する。
そこから導き出される本書の結論は「AIが人類を超える未来、自我や意識、感情を持つような未来は、少なくとも現在のAI研究の延長線上にはないはずだ」というものだ。
この結論を補強する形で、第9章において著者はこう記している。
私に言えるのは今の生成AI、基盤学習+転移学習という枠組みはどんなに高度に発展したように見えても所詮は非線形非平衡多自由度系の枠内の話であり、その外側に出て行かない限りは、固定点でも、リミットサイクルでもカオスでもない動力学は実現できるはずもなく、したがって自律した意識を持って人類の脅威になったりは決してできないだろう、ということだけだ。そんなことより、人間が高性能AIを悪用するほうがよっぽど起こりやすく、危惧すべきことだと思う。