それに似た事態は、『孫子』でも起きていた。タイトルにある通り本書は、現代まで読み継がれてきた『孫子』が、歴史の中でどのような変遷をたどってきたかを丹念に追った一冊である。ちなみに『孫子』とは、「孫という(姓の)学匠(の著作)」を意味し、「中国の戦国時代中期(前四世紀ごろ)に原型ができたと推定される兵法」のことだそうだ。
司馬遷(しばせん)の『史記』(しき)孫子呉起列伝(そんしごきれつでん)によれば、孫子の兵法と呼ばれる書物はふたつあった。ひとつは春秋時代の孫武(そんぶ、前六世紀末の人とされる)が著したという一三篇。もうひとつが、孫武の子孫だとされる、戦国時代の孫ひん(そんひん、前四世紀の人)の兵法である。現在ふつうに『孫子』と呼ばれるのは前者の一三篇で、漢代すでに必読の兵書となっていた。後者、孫ひんの兵法は、一世紀まで確実に伝わっていたが、その後いったん失われ、再発見されたのは一九七二年である。
そして第I部第三章では、わが国における『孫子』の存在感と読まれ方がつづられていく。8世紀前半に伝来したのち、鎌倉・室町時代には、武士や臨済禅の僧侶たちによって読み継がれた。続く江戸時代初期には、徳川家康に仕えた儒学者として知られる林羅山(はやしらざん)の手により、和文で解説を加えて読みやすくしたものが出版された。その結果『孫子』は、漢文を不得手とする武士たちにも広く読まれるようになったという。
そうして『孫子』は時代状況やニーズに合わせて、さまざまな人の手でその形や解釈を変えながら取り入れられてきた。それは『孫子』が、以下のような特徴を持つためだと著者は説く。
『孫子』は、その本文自体として完璧な解答を与えてはいない。いわば解答のない兵法である。むしろ、読者がめいめいに解答を作りあげ、自らを託して語る余地を持つ”ゆるさ”こそが、近現代の日本では好まれてきた。
後半となる第II部では、『孫子』の主な特徴を概観することを目的とし、章ごとに異なる資料を底本に選び、原文と読み下し文、現代語訳と、著者ならではの解説が添えられている。中でも第II部第一章に登場する「間諜(かんちょう)」の話では、現代中国語はもとより、春秋戦国時代の各地の方言の違いから「軍隊を動かすうえで、ことばの壁は問題にならないのか」という疑問を呈し、実際の戦術の話へとつなげていた。中国語学研究の専門家である著者らしい指摘で、興味深く感じた。
なお本書は、2009年に岩波書店から刊行された『『孫子』──解答のない兵法』を原本としている。今回の文庫化を機に新たなタイトルとなり、あとがきが加えられた。従来の研究とはひと味異なる、ユニークな視点から書かれた本書。『孫子』を過去に読まれた方も、未読の方も、きっと楽しめる一冊だろう。