透析をいつ止めるのか、その後をどう看取ればいいのか――。私は当時、透析患者の終末期について必死に情報を探し求めた。しかし関連書籍は一冊も見当たらなかった。新聞や雑誌の記事にも何も出てこない。同じ環境に置かれた患者のブログやツイートも、必ず途中で消える。発信者が亡くなってしまうからだ。信じがたいことに、真に必要な情報は何ひとつ得ることが叶わなかった。情報収集を日常業務とする私でもそうならば、一般の透析患者や家族の置かれた環境は想像にかたくない。
長期透析の果てに死へと向かう患者や家族は、一日一日を必死に生き抜いている。重い決断を迫られ、孤立もしている。そんな人たちが必要とする本がこの世に存在しないのであれば、過酷な現実を提示することになっても、誰かが書かねばならない。その自分を鼓舞し、遠ざけてきた記録と記憶をひも解くことにした。
一流のノンフィクション作家による、圧巻の医療ドキュメント
本書は、これまで歴史の闇に葬られてきた事象やそれにかかわる人々の人生を取材してきた著者が、初めて自身と家族に起きた出来事を題材にした一冊である。享年60歳、長期透析患者であった愛する夫の闘病と死、特に夫が終末期に「人生最大の苦しみ」を味わうことになってしまったことへの疑問と後悔に、正面から向き合った。「透析大国」日本における透析患者の終末期がいかに悲惨か、また、さらに巨大な透析ビジネス市場の暗部にも切り込んだ医療ノンフィクションだ。
本書は二部構成になっている。
第一部では、38歳にして透析患者となった著者の夫・林新(はやしあらた)氏の、著者と結婚して以降の闘病生活について事細かに描かれている。いわば「闘病者の伴侶」としてのドキュメンタリーだ。
テレビドキュメンタリーのプロデューサー業を務めていた林氏は、堀川氏と仕事を通じて知り合い、師弟のような関係から、いつしかお互いを伴侶と見定めることになる。その時にはすでに、林氏は透析を初めて約9年。
夫と人生を歩むと決めた日から、私はどこか脅えていた。そう遠くない将来、この人を喪うときがくるかもしれない――
実の母親から腎移植を受けたことで、透析生活から解放された時期もあった。しかしその後、移植腎の機能低下により、透析を再開。そして1年余り後、そのときは来た。終末期を迎えた林氏の決断は「透析を止める」こと――。
透析を止めてから死に至るまでの数日間が人生最大の苦しみになることまでは、林氏も著者の堀川氏も想定していなかったはずだ。その辛く悲しい経験が、堀川氏が本書を執筆する強い動機になっている。
透析患者の終末期医療に対して著者が見出した、かすかな光とは
「透析患者を10人抱えれば数年でビルが建つ」と言われるほどの、巨大医療ビジネス市場となっている透析医療。現場の医師も「透析患者を手放そうとしない」と言われており「死ぬまで透析をまわし続ける」ことが常識であり正義、となっているようだ。
日本では、終末期における「緩和ケア」の処置は、がん患者にしか適応されない。医療保険の点数算定ができないため、経営面を考えると、病院としてもそう簡単に手を出すわけにはいかないのだ。
「透析を止める」という選択をした患者はすぐに医療から見放され、まともな緩和ケアも受けられないまま、尿毒症などによる「死ぬほどの苦しみ」を経て命を失うことになる。
夫の闘病中は担当医の心無い言葉に傷つけられ、逆に真摯に患者と向き合う看護師に心を救われたこともあった。そんな経験の後、あまりにも未成熟な「透析患者の終末期医療の現状」に絶望しながらも、取材を続けた堀川氏。
そこで、一筋の、しかし明確な光として見つけたのが「腹膜透析」という医療技術だ。日本ではまだ全透析患者の2.9%に過ぎないが、現場の医師や看護師たちの情熱もあり、少しずつ広がってきているという。
透析医療の現場で人の死と向き合うことの壮絶さが、ひしひしと伝わってくる一冊だ。最後に「献体──あとがき」より、堀川氏のこの言葉を引用して終わりたい。
彼を見送ったあと、重い足をひきずって取材を始めた。終末期の透析患者とその家族の辛く厳しい話は、もう私たちの例だけでたくさんだ。今後の透析医療の役に立つ現場はないのか。小さくても希望はないかと探し歩くうち、思わぬ光を見た。
四半世紀も前から、終末期の透析患者に思いを馳せて働いてきた透析医、死にゆく透析患者のため「愛」をもって調査に取り組んだ腎臓内科医、故郷に自力で泌尿器科と緩和ケアを両立させた病院長、四面楚歌の中を、透析患者のために新たな体制を立ち上げた大学教授、終末期の透析患者が納得して人生を閉じられるよう、ゼロから地域医療を構築した医師、看護師、看護事業者たち――。
それぞれが様々な思いを胸に、医療や介護の現場で戦い続けていた。私は彼らとの出会いを通して、もう一度、この国の医療を信じてみたいという気持ちになっている。