著者は東京大学大学院総合文化研究科教授などをつとめ、『知識ゼロからの東大講義 そうだったのか! ヒトの生物学』など多数の著書がある坪井貴司。大学での講義も担当する“教え上手”なだけあって、この本も非常に読みやすい。また、図版もふんだんに散りばめられているので、わかりづらさや味気なさをまったく感じさせないのも嬉しい。
さて、まず我々が知るべきは、“自ら考えて動く臓器”こと腸のメカニズムだ。誰もが知っている消化器官としての役割のみならず、その優れた自律機能、張り巡らされた神経から人体各部に信号を発信する「第2の脳」とも言われる構造、そして腸内に約40兆個も存在するといわれる細菌やウイルスなどの微生物(=腸内マイクロバイオータ)を擁する小宇宙的システム……これらの情報を知って驚く読者は少なくないのではないだろうか。特に、我々が体内にいる無数の微生物の恩恵によって生き永らえていることを教えてくれる腸内マイクロバイオータについての記述は、ある種の人間観すらも変えてしまうかもしれない。
このように、腸内マイクロバイオータは、さまざまな腸内代謝物を産生する細菌類が混ざり合った状態です。これらが作り出す絶妙なバランスの腸内代謝物の混合物が、ヒトの体調をよい状態に保つことができるのではないかと考えられています。そして、この腸内マイクロバイオータは、私たちが毎日摂取する食事によってその多様性が変化するのです。
例えばマウスに抗菌薬を投与して腸内マイクロバイオータを除去すると、マウスの認知機能が低下することが報告されています。ヒトの場合、認知症患者と健常者の腸内マイクロバイオータを比較すると、認知症の発症によって腸内マイクロバイオータの組成が大きく変化し、それに呼応して腸内代謝物の組成も変化していました。
認知症の患者では、バクテロイデス門に属する細菌類が少ない傾向にあり、腸内代謝物であるアンモニアが増加する一方、乳酸が減少していました。ただし、腸内代謝物である乳酸が、どのようなしくみで記憶や認知機能に影響を与えているのかについては、現時点ではまだ明らかになっていません。
しかしながら、人類の医学の発展は現在も続いているのだという希望は、この本の随所で感じ取れるだろう。だからこそ、すべてを灰燼に帰すような愚行こそ止めなければならない……こんなご時世なので、ぐるっと回って「戦争反対」の思いも強くしてしまったが、そんな大きな話に膨らまさずとも、普段の日常と隣り合わせの情報が本書には満載だ。
たとえば、近年よく見る「腸活」の効能を謳(うた)った食品やサプリメントの数々について。腸内環境が心身に影響を与え、互いに相関関係を築いていること、ゆえに腸の健康状態の維持・調整が重要であることは本書の随所でも科学的事実として語られている。ただし、そのために有効なのは日々のバランスのとれた食生活であって、決定的な「特効薬」はないことも示される。そして、健康食品がそもそも内包する「前提」についても率直に語られる。
特定保健用食品や機能性表示食品などを摂取すれば、乱れた食生活による体への負の作用が帳消しになると考えている方が多いのではないでしょうか?
特定保健用食品や機能性表示食品は、医薬品ではなく、食品です。特定保健用食品の効果を検証した研究では、毎日の食事を厳密に管理したうえで、特定保健用食品を摂取するという試験が行われています。つまり、一般の人々が試験と同じような厳密な食事を毎日摂るような生活をしたうえで、特定保健用食品を摂取できるとは考えにくく、同様の効果は得られにくいと考えたほうがよさそうです。
そこで、日本人の腸内マイクロバイオータの組成に影響を与える要因を調べる研究が行われました。その結果、治療薬(経口薬に限らず注射などを含む)が腸内マイクロバイオータの組成に最も強く影響を与えることがわかりました。食事や運動などの生活習慣よりも3倍も強い影響だったそうです。2番目は疾患(炎症性腸疾患、HIV感染、糖尿病、うつ病、慢性肝炎など)でした。
おそらく想像以上の目まぐるしさで、いまもあなたの体内で活発に動き続けている腸。その意識の向け方がほんの少し変わるような箇所も紹介しておこう。
私たちの消化管の内側、つまり食物が通る管の部分は、体内を貫通しているので、体内のように感じられるかもしれません。しかし、実際は「体外」です(図8-1)。そして、消化管の表面を覆う上皮細胞は、私たちの皮膚と同様に、「体内と体外を隔てる」という重要な役割を担っているのです。