誰も踊らなかった異次元緩和
「戦力の逐次投入はせず、現時点で必要な政策をすべて講じた」
その力強い言葉で、市場や国民の期待(インフレ心理)が転換することを期待した。
しかし、なにをやろうが、いつまでやろうが国民は踊り始めなかった。
そして2024年3月、11年近く続いた日本銀行の異次元緩和が終わった。
著者は言う。
異次元緩和の罪は、日本経済の正常化への道筋を著しい隘路にしたことである。私たちはなんとも重い課題を背負ってしまったものだ。ときの政府と日銀が自ら作り出したこととはいえ、この隘路を抜けるにはよほどの覚悟が要る。しかも、それだけでは足りない。市場経済を回復することの大切さを国民共通の理解とし、痛みを伴う財政再建への道筋を付けることが必要だ。
いわゆる「金融緩和」と「異次元緩和」の差はなにか?
金融緩和とは、中央銀行が国債や債権を買い入れて世の中に出回る資金量を増やしたり、金利を押し下げたりして、景気を刺激する手法のこと。異次元緩和は、さらに中央銀行が「やってはいけない」とされる手法まで盛り込んだ。マイナスの短期金利政策、イールド・カーブ・コントロール(長短金利操作)、そして長期国債の買い入れに加え、ETF、J-REITなどリスク性資産の買い入れを行った。マイナスの短期金利政策などは、海外でも短期間行われた実績があるが、それが11年間も続いた日本は、類を見ない規模の経済実験を行ったことになる。
この異次元緩和を振り返り、著者は3つの「罪」という視点を提示する。
1 物価目標2%を絶対視してしまった
2 国債の大量かつ長期にわたる購入が、政府の財政規律を弛緩させた
3 政府と日本銀行の市場介入で、民間企業の新陳代謝を遅らせ、金融システムを弱くした
本書はそれぞれの項目で細かな数字を挙げて、丁寧に検証されるのだが、なかでも理解しやすく、今日的なニュースとリンクするのが2の財政規律についてだ。
国債とは、これ国の借金であり、財政規律の規律とは行為の基準として定められたもの「秩序」である。紙幣を刷ることができる日本銀行が、国債を買い入れることは禁じ手だ。それは政府に無尽蔵で資金提供することを意味する。そうした政府は財政規律を失い、通貨の増発に歯止めを掛けられなくなる。だからこそ日本銀行は政府から独立性を保たなくてはいけない。しかし、国債を直接引き受けているのではなく、市場からの買い入れだから法律には触れないという理屈で、独立性はうやむやになった。覚えているはずだ。あのときの首相の言葉を。
「輪転機をぐるぐる回して日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」
こういう話になると、「異次元緩和していなかったらもっと酷くなっていた」とか「異次元緩和は悪くない。公共事業投資や規制緩和が足りなかったのが原因」といった異論が必ずついて回る。いやいや「たられば」の話はさておいて、まず必要なのは総括であり、目の前にある危機ではないだろうか?
長期国債に縛られ続ける日本銀行
発足後1年で異次元緩和からようやく一歩脱することのできた植田日銀だが、真の困難はむしろこれからにある。課題は、大きく分けて2つある。第1は、当面の金融政策のあり方であり、第2は、異次元緩和の負の遺産である国債保有残高の圧縮だ。
長期金利が大きく上昇しても、新規国債の消化がうまくいかなくても、日銀が市場買い入れを行わない前提は、現実問題としては難しい。日銀には金融市場の安定を守る責任もある。だからといって、例外的な買い入れを多用するのは、市場機能の回復と矛盾する。これこそが、異次元緩和が残した負の遺産である。
今後、植田日銀総裁の発する言葉ひとつで、為替が、物価が、住宅ローンの金利が動く。生産性の低い企業は倒産に追い込まれるかもしれない。どうしてそうなるのか? それを知るには、本書は格好の一冊だ。