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2024.10.08

レビュー

史上最大の経済実験「異次元緩和」の重すぎる代償──私たちはどんなツケを払うのか

誰も踊らなかった異次元緩和

2013年4月、前の日銀総裁・黒田東彦は物価上昇率2%を「物価安定の目標」とし、2年でこれを達成するという「異次元緩和」を開始した。
「戦力の逐次投入はせず、現時点で必要な政策をすべて講じた」
その力強い言葉で、市場や国民の期待(インフレ心理)が転換することを期待した。
しかし、なにをやろうが、いつまでやろうが国民は踊り始めなかった。
そして2024年3月、11年近く続いた日本銀行の異次元緩和が終わった。

著者は言う。
異次元緩和の罪は、日本経済の正常化への道筋を著しい隘路にしたことである。私たちはなんとも重い課題を背負ってしまったものだ。ときの政府と日銀が自ら作り出したこととはいえ、この隘路を抜けるにはよほどの覚悟が要る。しかも、それだけでは足りない。市場経済を回復することの大切さを国民共通の理解とし、痛みを伴う財政再建への道筋を付けることが必要だ。
本書は、1976年に日本銀行に入行し、1996年に企画局企画課長として金融政策決定会合の運営に当たり、さまざまな役職でリーマンショックや東日本大震災後の金融・決済システムの安定化に尽力してきた山本謙三氏による一冊である。異次元緩和がいかに日本銀行の「本来の役割」を骨抜きにし、国と通貨の信頼を傷つけたかを明らかにしていく。

いわゆる「金融緩和」と「異次元緩和」の差はなにか?
金融緩和とは、中央銀行が国債や債権を買い入れて世の中に出回る資金量を増やしたり、金利を押し下げたりして、景気を刺激する手法のこと。異次元緩和は、さらに中央銀行が「やってはいけない」とされる手法まで盛り込んだ。マイナスの短期金利政策、イールド・カーブ・コントロール(長短金利操作)、そして長期国債の買い入れに加え、ETF、J-REITなどリスク性資産の買い入れを行った。マイナスの短期金利政策などは、海外でも短期間行われた実績があるが、それが11年間も続いた日本は、類を見ない規模の経済実験を行ったことになる。

この異次元緩和を振り返り、著者は3つの「罪」という視点を提示する。
1 物価目標2%を絶対視してしまった
2 国債の大量かつ長期にわたる購入が、政府の財政規律を弛緩させた
3 政府と日本銀行の市場介入で、民間企業の新陳代謝を遅らせ、金融システムを弱くした
本書はそれぞれの項目で細かな数字を挙げて、丁寧に検証されるのだが、なかでも理解しやすく、今日的なニュースとリンクするのが2の財政規律についてだ。

国債とは、これ国の借金であり、財政規律の規律とは行為の基準として定められたもの「秩序」である。紙幣を刷ることができる日本銀行が、国債を買い入れることは禁じ手だ。それは政府に無尽蔵で資金提供することを意味する。そうした政府は財政規律を失い、通貨の増発に歯止めを掛けられなくなる。だからこそ日本銀行は政府から独立性を保たなくてはいけない。しかし、国債を直接引き受けているのではなく、市場からの買い入れだから法律には触れないという理屈で、独立性はうやむやになった。覚えているはずだ。あのときの首相の言葉を。
「輪転機をぐるぐる回して日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」

こういう話になると、「異次元緩和していなかったらもっと酷くなっていた」とか「異次元緩和は悪くない。公共事業投資や規制緩和が足りなかったのが原因」といった異論が必ずついて回る。いやいや「たられば」の話はさておいて、まず必要なのは総括であり、目の前にある危機ではないだろうか?

長期国債に縛られ続ける日本銀行

発足後1年で異次元緩和からようやく一歩脱することのできた植田日銀だが、真の困難はむしろこれからにある。課題は、大きく分けて2つある。第1は、当面の金融政策のあり方であり、第2は、異次元緩和の負の遺産である国債保有残高の圧縮だ。
7月の国債買い入れ減額と利上げの発表に続いた、8月の日経平均株価の歴史的暴落に、きっと日銀は肝を冷やしたに違いない。そしてもっと悩ましいのが、日本銀行が保有する長期国債だという。正常化のために圧縮しなくてはいけない国債残高は約470兆円! 圧縮にかかる時間は14年(現在の国債買い入れ減額計画が持続されたとして)。
長期金利が大きく上昇しても、新規国債の消化がうまくいかなくても、日銀が市場買い入れを行わない前提は、現実問題としては難しい。日銀には金融市場の安定を守る責任もある。だからといって、例外的な買い入れを多用するのは、市場機能の回復と矛盾する。これこそが、異次元緩和が残した負の遺産である。
自民党総裁選の候補で財政の立て直しに前向きな候補はわずか。財政再建=増税と受け取られるからは大きく打ち出せないのだろうが、市場を見て金融緩和は必要だと考える候補が大勢だ。「あのときできたのだから、またできるだろう」と、ことあるごとに金融緩和を迫るだろう。もはや政府から「振ればお金の出る打ち出の小槌」と思われている日銀が、毅然と立ち振る舞うことはできるのか? さらには、いつ起こるかわからない南海トラフ地震や、新型コロナウイルスに続く感染症拡大の可能性など突発的な要因に、日本銀行は重い国債を背負いながら対応することになる。

今後、植田日銀総裁の発する言葉ひとつで、為替が、物価が、住宅ローンの金利が動く。生産性の低い企業は倒産に追い込まれるかもしれない。どうしてそうなるのか? それを知るには、本書は格好の一冊だ。

レビュアー

嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

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