先ごろ、歌舞伎俳優の尾上菊之助(おのえきくのすけ)が「八代目・尾上菊五郎(おのえきくごろう)」を襲名するとの発表があった。彼の父であり当代である七代目と同じ名跡を、同時代に別の役者が名乗るのは、歌舞伎の歴史上初となる。どんな舞台が観られるのか楽しみが増すとともに、こちらの身も引き締まる気がした。襲名の機会に立ち会う前に、彼らが継承する「芸」についてもっと知っておいた方がよいのではないか。彼らはどんな気持ちで、その名と芸を継いでいくのだろう──。
そんな思いがあったからか、本書のタイトルが目に入った。本書は1980年に講談社から刊行された『芸の世界 ─その秘伝伝授─』を改題し、文庫化したもの。今回の出版に合わせて、神戸女学院大学名誉教授であり武道家としても知られる内田樹氏による解説も、巻末に収録している。
さて「芸」とひと口に言っても、本書におけるそれは多岐にわたる。著者は以下のように提唱する。
芸というのは、私たちが踊る、絵を描く、字を書く、あるいは非常に素晴しい料理のにおいをかぐ、香のなんであるかをかぎ分ける、そういうかぐとか、また味わうとか、話すとか、弓を射るとか、バイオリンを弾くとか、尺八を吹くとか、あるいは芝居を演じる、花を生けるといったような、私たちの体の全体、または一部を働かせることによって文化価値を創造するとか、あるいは直接の創造でなくても古典の名曲を舞台で演じるというような再創造も文化価値の創造だが、このようになにかをすることによって文化価値を創造するという働き、それが芸というものである。
その上で、芸が人の鑑賞に耐え得るものになるのはどういう時かについて、いくつかの具体例を示す。たとえば能楽や歌舞伎において、本来はあり得ない「雪の音」を「大太鼓の音」で表すことにより、観客に雪の情景をリアルなものとして感じさせる手腕を挙げ、「虚なるものをつくることによって、現実の実なるものより一層ものそのものであるという虚をつくる」ことこそが芸だと説く。一見難しい物言いにも思えるが、つまりは「嘘が真になる」場ともいえ、実際の舞台を観ている身からすれば深く頷ける部分だった。
そうして本書は、いわゆる芸の「型」の話から、芸が「芸道」として成立していく時代背景を皮切りに、全五章にわたって芸の系譜や秘伝の本質、家元制度の成立や芸の習得についてまでを、幅広く語っていく。中でも武芸の流派の多様さや秘伝を伝授する際の形式の違いなど、初めて知る話は面白く刺激的で、言葉遣いの一部を除き、どこにも古さを感じさせない。
著者は1912年に、兵庫県で生まれた。東京文理科大学(のちの東京教育大学、現在は筑波大学に改組)を卒業後、東京教育大学や成城大学にて教授を歴任し、東京教育大学名誉教授も務めた。近世日本文化史を研究する中で、日本独自の家元制度や江戸の町人文化を解明し、多数の著書を上梓した。2012年に99歳でこの世を去っている。
ちなみに本書の第四章、第五章には、六代目・尾上菊五郎が登場する。著者は「東京に出てきてから後の六代目の芝居はほとんどすべて見た」というほどのファンで、六代目が記した著作や彼の芸について、本書内で何度も取り上げるほど思い入れが深い。そのうち印象に残ったのは、六代目の足の親指にできた「芸だこ」の話だ。熱心な修行ゆえにできたと思われるたこについて、著者がその真相を知ったのは、当時の実業家で文化人の渋沢秀雄氏が六代目に聞いたというあるエピソードからだった。
十二の年に九代目団十郎から踊りをおそわっていたとき、右膝を折り曲げて右足の踵を尻の下にあてたまま跳躍させた体をずどーんと舞台に落とすところで、ある日、落とし方を誤ったためにこの親指の関節をくじき、思わず「痛い!」と、その場にうずくまってしまった途端に、九代目から、「見物がいたらどうするッ!」という鋭いムチ打ちの声をかけられ、痛さをこらえて踊り続けた
この結果、六代目は「右の親指が左足より一センチ半短く、つけ根の関節が外側へくの字なりにとび出」すという障害を負ったが、そこに恨みは感じない。ある意味で時代が成した業とも思うが、その心根の部分は現代の役者たちにも継承されているように思う。芸を修得することの裏には、舞台上では決して見せることのない鍛錬と時間の積み重ね、そして覚悟があるのにおそらく変わりない。芸の来し方行く末に、思いを巡らせた。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。