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2024.03.15

レビュー

高松塚古墳壁画から北斎漫画まで。人々の暮らしや心を映し出す「風俗画」全史

風俗画という言葉を聞いて何やらいかがわしいイメージを抱く人は、おそらく風俗という語の意味を間違って覚えている可能性がある。風俗とは、「ある時代や、ある社会における、生活上の習わしやしきたり。風習」というのが元々の意味。だから風俗画とは、その時代に生きる人々のリアルな生活の様相を描いた画ということになる。

しかし、風俗画の正しい意味を知っている人でも、その範囲を狭く捉えているかもしれない、と本書は主張する。特に、日本で風俗画について語ると近世初期(桃山時代から江戸時代初期あたり)の作品に集中する傾向にあるが、本書では古墳時代から明治時代まで視野を広げてみせる。

あらゆる絵画の“風俗画的要素”に着目し、それらを「広い意味での風俗画とみなせば、風俗画の歴史は古代にさかのぼることができる」と著者は提言する。ゆえに本書で紹介される風俗画は、確かに年代も題材も表現形式も幅広く、多彩な作品群がページを繰るごとに登場する。

たとえば、数少ない中世風俗画のひとつ『月次風俗図屏風』は、公家や武士や農民などの各階級がひとつの構図に収まって、雪遊びに興じる姿を描いた作品。当時の厳しい現実社会をリアルに描いたものとは言いがたいかもしれないが、その光景はなんとも微笑ましく楽しい。こうした楽天的思想を季節感溢れる情景に込めた、趣向的にも手法的にも優れた絵画がこの時代の日本に存在したことには驚かされる。

また、風俗画と聞いて真っ先に思い浮かべるのが、江戸時代の浮世絵という人は多いだろう。しかし、著者は元禄以降の浮世絵(特に美人画)が、それ以前の風俗画にあった人物の個性的で生き生きとした表情やタッチを失い、画一的な定型表現ばかりになってしまったと手厳しく評する。かの有名な菱川師宣の『見返り美人図』も、あの葛飾北斎の『喜能会之故真通』でさえも、女性の表情に関してはそのパターンから逸脱しなかったという鋭い指摘は、確かに納得するところもあり興味深い。

美化の要素はすでにみたように、慶長や寛永の風俗画にも多分に含まれていました。だが、慶長、寛永の女性像の美しい衣装の中には、生身の体があり、彼女らの笑い声、息づかい、胸の鼓動までが伝わってくるように感じられる。それに比べると浮世絵美人は冷たく抽象的でさえあります。美化のゆきすぎが、対象の現実感を弱める結果を生んでいます。それは美人画という画題の確立と固定化に関連するのかもしれません。

それらの浮世絵に対して、近世初期に描かれたといわれる『桜狩友楽図屏風』はどうか。どちらが妖艶で味わい深い女性像かといえば、後者を選ぶ人が多いだろう(引用できないのが残念だが、ぜひ本書にて確認されたし)。明治生まれの画家・岸田劉生も惚れ込んだという近世初期の女性描写には、むしろ現代的な雰囲気さえ漂う。『桜狩友楽図屏風』を紹介する著者の筆致も、そのミステリアスな魅力に、若干胸が弾んでいるかのようである。

巷の絵師たちの飾らない目と感覚がとらえたこれらの女性表現は、風俗画の歴史の中での異色ある素朴派であって、生命感とデカダンスをふしぎに入り混じらせたその表現に、時代の隠された表情を伝えます。

芸術性や宗教性が色濃い画、あるいは権力を誇示するために描かれたフォーマルな肖像画などにおいては、等身大の生活感や俗物性などは排除されてしまう。だが、そういった建前抜きで、社会や時代の様相をあるがままに切り取った画は、その時代を知るうえで非常に貴重な資料にもなる。写真も動画もない時代においては、風俗画の情景は最も有力な手がかりのひとつだ(中には実際とは異なる美化もされている場合もあって、そこを読み取るのも面白みのひとつである、と本書は説く)。

たとえば、江戸時代を舞台にした数多の時代小説やテレビ時代劇はもちろんのこと、室町時代に現れたカリスマ狂言師の活躍を型破りな表現で描いたアニメーション映画『犬王』(2021年)なども、同時代に描かれた風俗画が大いに役立ったはずだ。時代劇を描くうえでも欠かせない、風俗画の重要性、そして希少性も本書を通して痛感するはずだ。

本書の原本は1986年に小学館から刊行された。著者の語りをテープに吹き込み、それを文章に起こすという形式で作られたこともあって、楽しく分かりやすい講義を受けているような気分に読者を導いてくれる。今回の学術文庫版では、本文はなるべくそのままにしながら、カラー図版を増量して「目にも楽しい要素」を充実させたという。手軽なサイズで、風俗画の幅広さと奥深さを学ぶことができる、格好の入門書である。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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