美術界のレジェンド・横尾忠則による“人生相談”本である。いろんな作家の“人生相談”本を読んできたが、こんなにもカラッとした語り口の“人生相談”本は初めてだ。なんとも清々しい気持ちで一冊読み終えた。
本書に収められたQ&Aは全部で50本。「定年後、……居場所がなくなるのが怖いです」「親しい人を亡くしました。心の整理がつきません」「ほんとうに友だちは必要ですか?」「絵の見方を教えてくれませんか?」「転職を考えていますが不安です」……。生きていれば誰でも一度くらいは抱きそうな悩みばかり。自分に当てはまるものもありそうだ。これらの質問が「老いについて」「死について」「人間関係について」「芸術について」「仕事について」「自分について」などのテーマごとに全8章仕立てで構成されている。
回答者・横尾忠則氏は1936年生まれの87歳。1960~70年代には主にグラフィックデザイナーとして、1980年代以降は画家として世界的に活躍する現役の美術家である。画業のほかにも、舞台美術、ポスターデザインから装丁、小説執筆、書評まで、そのフィールドは広大だ。なにしろ圧倒的な経験と業績がある。
きっとその濃い人生経験に裏打ちされた濃ゆ~いアンサーが詰まっているに違いないと思って読み始めたら、こんな先制パンチに打ちのめされてしまった。
(質問者)自分の内面の薄っぺらさに気づかれるのが怖くて、意見が言えません。
(横尾氏)ご質問では、内面の薄っぺらさを気にかけていらっしゃるようですが、では内面がぎっしり詰まっているというのは、どういうことでしょうか。知識がぎっしり詰まっているということですか? 内面がぎっしり詰まっているために、身動きが取れなくなっている人もいると思いますよ。僕は常に内面は空っぽでいることを望んでいます。(中略)
人と会ったときに自分の意見が言えないとも書かれていましたが、人ってそんなに意見があるものでしょうか。僕は、それほど自分の意見はありません。
じつにあっけらかんと語っている。
え? 人生相談の指南役が自ら「空っぽ」宣言とはどういうこと? と一瞬面食らってしまうのだが、さらに読み進めていけばその真意は見えてくる。様々な話題に応じて、「ぎっしり詰まっている」ことの弊害が指摘されていくにつれ、「空っぽでいること」の効用が浮かびがってくるからだ。
三人の愚者|2021年
〈油彩・布/130.3×162.1㎝/作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託)〉
2019年に始まった「寒山拾得」シリーズの1点。人物の下に豊干、寒山、拾得の名があるが、3人とも顔つきやデニムのジャケットが横尾さんを思わせる。かつて便器に座り用を足す自画像を描いた画家がいただろうか?
身体のために何をすればよいか、という問いに対してはこう言う。
何かのため、という目的を持つと、それが大義名分になって、そのことに縛られて、自由が奪われてしまいます。ですから、このへんで一度、目的から離れてみてはどうでしょうか。目的を持てば必ず結果が気になります。健康第一を目的にすると、それが達成できていないことに悩み始めます。
絵に関する話題では、よりシンプルな言葉になる。
子どもは大義名分や何かのために絵を描いたりしません。活動の根源は遊ぶということそのもので、遊ぶことには、目的も計画も結果もありません。子どもは皆、生まれながらにして天才です。一方で大半の大人は、結果を考え、計画を立て、それに従って行動します。だから、面白い生き方や面白いものを創ることができません。子どもの絵に敵わないのです。
いやあ、身につまされます。知識に、大義名分に、目的に、計画に、結果に、囚(とら)われすぎて「身動き取れなくなっている人」とは、もしかして自分のことではないかと、ドキっとさせられる。読んでるこちらまで我が身を振り返らずにはいられない。
本書のまえがきで著者は人生相談の意義について、こう言う。
相談する側は、質問を投げかけるだけで心のなかの汚染物が流れ出ます。僕はそれを受け止め、さらに流していく。そうすることで、その人のなかの水はいつのまにか浄化されていく。人生相談は、水を淀むことなく流していく作業と同じなのです。
「さらに流していく」作業の肝となっているのが、返す刀の質問攻勢だ。「あなたはおいくつですか?」「あなたはふだん、人を見たり、風景を見たりする時に、頭で考えて見ているのですか?」「では、お聞きします」「あまたが上手いと思うのはどんな絵ですか?」「あなたはどちらのタイプですか?」……。
本書にはこの手の質問返しが随所に顔を出す。なまじっか“悩みに寄り添う”ようなポーズは取らない。そうやって質問者の胸の内にある拘(こだわ)りやモヤモヤを掻き出して、「さらに流していく」。「空っぽ」推奨派を自認する横尾氏らしいやり方である。
「空っぽ」とは言いつつも、自身の人生における様々な記憶については回答文の中にたっぷりと語っている。生まれて間もなく養子として義父母のもとで育てられた子ども時代、戦時中のグラマン戦闘機襲来の記憶、グラフィックデザイナーになった経緯、画家に転向することを決めた日のこと、三島由紀夫との出会い……エトセトラエトセトラ。おそらく美術家横尾忠則のライフヒストリーにおける重要な体験がこの50本のQ&Aに詰め込まれている。
回転する家|2018年
〈油彩、新聞紙・布/162.1×130.3㎝/作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託)〉
空襲で赤く染まった空、低空飛行するB29、傾く家に先の見えないY字路。少年時代の記憶は不穏な空気を醸し出すが、舞い落ちるビラには2018年の新聞記事。SNSを騒がせた自身のニュースさえ取り込むユーモアが横尾流。
その意味では自伝的エッセイの要素が強い一冊である。もっと言えば、“人生相談”にのるつもりで語っていたら、期せずして珠玉の自伝エッセイが出来上がってしまった、という感じさえする。それくらい稀有な一冊だと思う。
その証拠に、ある友人との運命的な出会いについて語るくだりは、とても味わい深い追悼エッセイである。それは「ほんとうに友だちは必要ですか?」という問いへの回答のなかで語られる。
自分に利益を与える友だちというより、相手のために親身になれる友だちが必要だと思いますが、(中略)僕には一人、同業者の友だちがいました。(中略)
僕は彼に永遠の友情を抱いていますが、テレて自分の本心を伝えられないまま、お別れになってしまいました。
「彼」は匿名で語られるので、その「彼」が誰なのかということよりも、互いの友情そのものに焦点が絞られていて、とにかくピュアな告白がつづく。ようやく彼の名前が出てくるのは最後の2行。「その彼とは〇〇です。彼のような友だちを持てたのは、なんだか運命のように思えてなりません」と締めくくる。横尾氏と彼のファンなら分かることかもしれないが、ここではその「彼」の名前を書かない。
“人生相談”の回答者として語り始めなければ、こんなにも純粋な追悼文を綴ることはなかったのではないだろうか。ぜひ本書を手にとって原文を読んでみてほしい。
レビュアー
出版社勤務ののち、現在フリー編集者。学生時代に古書店でアルバイトして以来、本屋めぐりがやめられない。夢は本屋のおやじさん。