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2024.06.07

レビュー

人生に意味はあるのか? 死は悪いことか? 「あたりまえ」がひっくり返る哲学体験

哲学するとは、どういうことか。意外と漠然としたイメージだけで捉えている人、あるいは食わず嫌いで敬遠している人は多いのではないか。そういう人が本書を読んで「なあんだ、哲学ってこんなに簡単だったんだ」とホッと胸をなでおろす可能性は、正直言ってあまりない。それぐらい、哲学するとは大変な作業であることがよくわかる一冊である。同時に、その手ごわさにこそ強い興味やチャレンジ精神をかきたてられる人も間違いなくいるだろう。

著者は大阪大学大学院人間科学科教授で、『量子力学の哲学』(講談社現代新書)や『科学哲学講義』(ちくま新書)などの著書がある森田邦久。冒頭から「本書は入門書ではあるが、教科書ではない」と宣言されるとおり、本書は哲学者の理論や名言を紹介するアンソロジーではない。その「考え方自体」を伝えるための本である。

本書の第一の目標はあくまで「哲学のおもしろさ」を読者に伝えることにあり、読者の「世界・人生のみかた」に変革を与えることにある(それが成功しているかどうかは読者の判断にゆだねる)。それゆえ教科書的な正確さや便利さは二の次となっていることは強調しておきたい。繰り返しになるが、読者は本書の議論を鵜呑みにするのではなく、ぜひ本書とともに各トピックについて哲学的に思考することに挑戦してほしい。

あくまで考え方を指南するのであって、その結論を絶対的に正しいものだと押しつけるわけではなく、こういう論旨展開もあるのだということを教えてくれるわけだ。だから読みながら「その考え方はおかしいんじゃないの?」とか「その論法だと穴があるんじゃない?」とか、頻繁につんのめったりするのも間違っていない。すぐあとで「実はこの考え方にはこんな問題点がある」という注釈が入る箇所も多くある。じっくり考えながら読むこと(まさに「哲学する」作業の一部である)が求められる一冊なのだ。

また、「先に進めたい人は、この箇所は読み飛ばしてもらってかまわない」という文言がこれほど多く出てくる本も珍しい。「その代わり、またあとでじっくり読み返して考えてみてほしい」という意味も込められているので、時間をかけて一冊の本に取り組んでみたいという人にもぴったりである。

各章のトピックにはシンプルだが刺激的で挑戦的な文章が並んでいる。「運動は可能なのか?」「時間は流れているのか?」「運命は決まっているのか?」「死は悪いことか?」「私たちは自由なのか?」「人生に意味はあるのか?」……といった具合である。だが、実際に読んでみると、想像を超えた領域に議論が進展していくことも少なくない。たとえば第4章「死は悪いことか?」では、「存在することはつねに害悪である」とする南アフリカ共和国の哲学者デイヴィッド・ベネターの“反出生主義”にまで話が及ぶ。

快がないことは、それが剥奪を意味しない限り悪いことではなく、苦痛がないことはつねに良いことであるならば、存在しないことは存在することよりつねに良いはずである。なぜなら、どんな幸福な人生を送った人でも、その人生のなかでごくわずかでも苦痛がないということはないであろうからだ。しかし、存在しなければ苦痛を与えられることもない。もちろん、快もないが、それは元からないのだから剥奪を意味しないし、それゆえそれは悪いことではない。

繰り返しになるが、読者には「本書の議論を鵜呑みにするのではなく、各トピックについて哲学的に思考すること」が求められる。だから感情の荒波をコントロールし、冷静に反論を組み立てる術を身につけるという意味でも、本書は役立つかもしれない。

本書の内容は、大学の全学部1、2年生に向けて行われた講義をもとにしているとのことなので、ゆえに若者にもわかりやすく取っつきやすい例文もたくさん出てくる。それがこの本の魅力のひとつになっている。たとえば以下は、第4章「死は悪いことか?」のなかで、比較論の問題点について示した具体例。

太郎は、殺し屋の花子と華代に狙われています。花子はターゲットをあっさり苦痛なく殺しますが、華代はサディスティックな性格でターゲットにあらゆる苦痛を味わわせて殺します。現実世界では、太郎は花子によって苦痛なく殺されました。しかし華代も非常に腕のいい殺し屋なので、花子が失敗した可能世界では、華代によって、太郎はあらゆる苦痛を味わわされて殺されます。

この例文がはらむ問題点は何か?というのは、ぜひ本書を手に取って確認していただきたい(物騒だがわかりやすい)。また、各トピックにおいては下記のように議論が示され、その解説と、場合によってはその反証が展開される。これは第2章「時間は流れているのか?」のなかで示される、イギリスの哲学者ジョン・エリス・マクタガートによる「現代的な分析哲学的時間論の嚆矢」ともいわれる議論。「これぞ哲学」という内容だ。

【議論2-2 時間は流れていない(2)】
(1)時間は流れる[前提]
(2)「時間が流れる」とは、未来であった出来事が現在の出来事となり、やがて過去の出来事となることである[前提]
(3)任意の出来事は未来であり現在であり過去である(1と2より)
(4)現在と過去と未来は互いに排他的である[前提]
(5)前提1は矛盾を導く(3と4より)
(6)時間は流れない(5)より

大学の講義などで哲学の授業をとったことがある人ならおなじみの文面かもしれないが、そうでない人には新鮮だろう。そのほか、様々な理論やパラドクスを明示するイラストや図も豊富である。

それでもやっぱりわかりにくいという人は、各トピックにおいて、好きなフィクション作品を連想しながら読み進めるのも有効である。世のあらゆる物語は、なんらかの哲学的テーマを扱っていると言っていいからだ。たとえば第2章「時間は流れているのか?」では先日公開された映画『オッペンハイマー』(2023年)や、カート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』をイメージしてもいいし、第3章「運命は決まっているのか?」ではアニメ『天元突破グレンラガン』(2007年)を思い浮かべてもいい。第5章「私たちは自由なのか?」では裁判を扱ったすべてのドラマ、第6章「人生に意味はあるのか?」では映画『トト・ザ・ヒーロー』(1991年)のように「ものの見方(アスペクト)が鮮やかに一変する」物語の数々を思い出してみるのも一興だ。

哲学の歴史において、哲学的成果はそれに触れた者たちの世界やものの見方を変えただろう。そして、そのことによってまた新しい問いが生み出されてきた。たとえば、「時間は流れていない」という主張が説得力のある仕方で論じられることによって、私たちがこれまであまり深く考えてこなかった「時間が流れる」という現象について(そもそも「時間が流れる」とはどういうことなのか、も含めて)さまざまな考え方が提起されるようになった。このように、哲学はその目的に達しながら、そしてその都度、新しい問いが生み出され、探究は続いていく。それはほかの学術分野も同様であろう。

哲学というと、ギリシアの哲学者たちを思い浮かべて、非常に抽象的で文学的な営みとしてイメージする人もいるかもしれない。だが、現在では物理学、量子力学、認知科学といった様々な分野の知識も投入して進められるので、なかなか大変な作業と言わざるをえない。特に本書前半3章においてはそれが強く感じられるだろう。

しかも、反証に反証を重ね、砲弾跡だらけの戦場のような場所で新たに独自の論考を行うとなると、これまた苛酷な道のりだ。しばしば哲学が「詭弁」とか「屁理屈」と捉えられてしまう要因でもあるだろう。そのうち、かつてない清新でキャッチーな真理を打ち出そうとして、極論に走る例もあるのではないかとも思ってしまう。ナチスドイツにも、ポル・ポト政権にも、その残虐な行動の背後にはある種の哲学があったはずだ。しかし、そんな極端で非人間的な論旨に真っ向から立ち向かい、感情ではなく理論で打破するのも哲学の役割である。

「それなら、ともかく常識に反する、奇を衒(てら)うようなことを言えばいいのか」と思うかもしれないが、そういうことではない。他者のもののみかたを変えるのは容易ではない。そのためには「説得力」が必要となる。自然科学の場合、実験結果や数学的な推論という説得のための強力な道具があるが、哲学の場合はそれが論理である。つまり、なるべく自明と思われる前提から出発して(それゆえ「直観」が重視される)、論理的に整合性のある主張をすることによってこそ、他者のアスペクトを変換させることができるのだ。

哲学において「ものの見方」を変えることは重要だが、そこには十分な知識や倫理、社会性もまた伴っていなければならない。本書はその重要性も教えてくれる。ただ乱暴で声が大きいだけの「論破」や「新秩序」を易々と受け容れるほど、哲学の世界は甘くない。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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