世界を変える研究所、その名もサンソーケン!
景気のいい話をとんと聞かなくなった。特に製造業は中国や新興国にコテンパンにやられて、日本の「ものづくり」は衰退の一途……。「もうアカンな、ニッポンは」とつぶやくまえに、この本を読んでほしい。「まだイケる、ニッポンのものづくり! なぜなら産総研があるからな!」と、気分が爆上がりすること間違いなしだ。
産総研──正式名称は、国立研究開発法人 産業技術総合研究所。経済産業省が所管する、総勢2200名を擁する巨大研究機関。広範な分野で日々、新しい技術やアイデアを開発しては公的機関や企業とともに実用化に向けた取り組みを続けている、日本の「ものづくり」の総本山と言っても過言ではない。
本書は、その産総研でどんな研究をどんな研究者が行っているか、探検記の体裁で10個紹介している。ロボットや車、冷蔵庫、レンガに接着剤までさまざまなプロダクトが取り上げられているが、産総研が手がけているのは、そうしたプロダクトを飛躍的に進化させる基礎研究だ。
例えば冷蔵庫。「食品を冷やす」ことが使命の冷蔵庫は、「蒸気圧縮」という基本原理が応用されているが、産総研では今、それに置き換わる仕組みが研究されている。それは、特殊な磁石を使った「磁気冷凍」! これにより、地球環境に影響を及ぼすフロンガスや代替フロンを使用せず、エネルギー効率が良くて、冷蔵庫のブ───ンという音も静かになるといいことづくめ。
使用される特殊な磁石とは、温度変化で急に磁力を失う素材でできた磁石なのだが、その発見のいきさつが面白い。そもそも強い磁石、安定性の強い磁石を開発していたのだが「安定した磁石をつくるためには、どうしたら不安定になるのか」を知る必要があった。そんな真逆の不安定な磁石を研究していたら、冷蔵庫の歴史をひっくり返す技術に繋がったのだという。なんだか痛快じゃないですか。ちなみにこの磁気冷凍の冷蔵庫、2028年ごろのお披露目をめざしているとか。
本書にはそういう意外性に満ちたエピソードが多い。たとえば300℃に熱しても手で持てる断熱レンガを開発するにあたり、高野豆腐の製法や、「北極や南極で生きる魚は、なぜ凍ることなく生きているのか」という研究が開発のブレイクスルーになったそうです。
楽しくない自動運転を楽しくする技術
産総研の研究範囲は実に広い。たとえば人間の感情の「快」や「不快」の研究も行っている。「感情工学」や「感性工学」とも呼ばれるこの分野で研究を行う木村健太さんは、文学部の心理学科出身。なんと、理系出身じゃないのだ。
脳波、心拍、ホルモン、血圧などの生理的な指標を計測し、怒りや喜びといった感情を定量的に評価することで『見える化』する研究をやってきました。
という木村さんは、その研究を自動車に応用しようとしている。たしかに居眠り運転の防止や、あおり運転の原因となるドライバーの怒りを抑えるのに役立ちそうだ。しかし、自動車メーカーがなにより知りたがったのは、「乗り心地のよいクルマとはなにか?」「人間はどんなときに運転を楽しいと感じるのか?」ということだった。
「やっちゃえ日産」に限らず、今や一部の車種、地域において自動運転化技術を使ったハンズオフ走行が可能になっている。それがさらに進化して、車に目的地を入力するだけでOKの世界になったら楽にはなるだろうが、運転して楽しいだろうか? 安全を確保する技術が、車を運転する楽しさを奪うのであれば、個人で車を持つ人が少なくなるのでは? それでは自動車メーカーは困ってしまう。そこで改めて運転の楽しさを問うたわけだ。
研究によって、運転が楽しいと感じるためにとくに大事なのは、心理学でいう『行為の主体感』だということがわかってきました。つまり、自分が主体的にこのクルマを操っているという感覚です。これがないと、運転していても楽しくないんですね。
つまり自動車メーカーとしては自動運転技術を進歩させながら、自分で操作しなくても自分で運転しているような気にさせる技術開発を目指す必要があるのだ。
うっわー、人間って超絶面倒臭い!
具体的に求められている技術とは? それはブレーキのタイミングや車間距離のとりかた、カーブの曲がるときの角度など、ドライバーひとりひとりにとって快適な走り方を車が学習し、アシストするパーソナライズの技術なのだという。
パソコンがユーザーの多用する漢字変換を覚えていくのと同じように、乗れば乗るほど自分好みのクルマになっていくわけです。かつての『たまごっち』がそうだったように、自分にフィットするようにクルマを育てていくことも、愛着を持つ要因になるのではないでしょうか
そのデータはダウンロード可能で、車の乗り換え時に移植可能にするとか、いやもう……
なんかその未来、面白そうじゃないですか!
「近い未来、コレはこうなる」「アレはこうなる」と、大人が物知り顔で話すネタ本としても最良の本だが、是非ともこの本は中高生に読んでほしい(理系書籍レーベルの牙城「ブルーバックス」の本としては、敷居が低くて読みやすい!)。ちょうどいいくらいの背伸びした専門知識が身に付くし、日常の疑問や好奇心のなかに科学技術の大きな飛躍の種子があることがよく分かるしね。
レビュアー
関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。