やっぱり気になる「前方後円墳」!
踊るように読める本だ。そして日本中を旅したくなる。『古代日本の超技術〈新装改訂版〉 あっと驚く「古の匠」の智慧』に登場する技術と、それらが生み出したものは、どれも歴史の授業やニュースで触れてきた馴染み深いものばかり。でも、今まで見たこともない横顔に出合って「えーっ!」と声が出る。数ページに一度は「えーっ!」と実際に言いながら読んだ。
たとえば第2章に登場する「前方後円墳」。私が「古墳」と聞いて最初に想像するのは、あの鍵穴のような形をした、こんもりとした山だ。あの形状やサイズに納得がいっている人は、どのくらいいるのだろう。たぶん全国の小学生たちは教科書を見て「!?」と目が釘付けになったと思う。そもそも形が面白すぎる。その後のお墓の形とはまるで違うし、何かメッセージがあるのだろうか。それともあの形にしないといけない事情があったのか。あと、べらぼうに大きい。
そんなふうに子どもの頃は「ヘンなの」と思っていたけれど、そのまま記憶のすみっこに追いやっていた前方後円墳のミステリーぶりを本書を読んで思い出した。著者の志村史夫先生は、松本清張から農業土木技術者の文献まで縦横無尽に行き来してこの謎を解く鍵に迫るのだ。もう楽しいったらない。ページをめくるたびに小躍りしてしまう。
志村先生が挙げる前方後円墳の五つの疑問はこちら。
(1)なぜ円墳と方墳を連結させるのか
(2)円墳と方墳が同時に、同じ場所に存在するのであれば、それらの被葬者は誰なのか
(3)祭祀場としての方形部が大き(広)すぎないか
(4)祭祀場であれば、神社の拝殿の方向がおおむね決まっているように、その方向に一定の規則性がないのはなぜか
(5)被葬者が埋葬される円墳が最も重要であるはずなのに、方形部が円墳部と同等の高さの古墳(仁徳陵、応神陵、白鳥陵など)や、完全に円墳部を超す高さの古墳(清寧陵)が存在するのはなぜか
とくに(4)については次の図を見て鳥肌が立った。
配置のルールがまったくわからないし、もはやどっちが前でどっちが後ろなのかもわからない。そう、志村先生は(そして松本清張も)、「前方後円墳」という名前そのものについても疑問を投げかけるのだ。本当に四角い方が前なのか? と。
そして2022年、志村先生はついに「目から鱗」の仮説と、それを裏付ける文献と出合う。
尾張氏(今城塚古代歴史館ボランテイア文化財スタッフ)は「考古学的、歴史学的に何の裏付けもない勝手な個人的妄想」と謙遜しつつ、「三世紀中頃にできた箸墓古墳を第一号として七世紀後半まで続いた古墳時代は、まさしく稲作文化の真っ最中。水田の開拓と拡張に巨大古墳が無縁なはずはない」というのである。この「妄想」どころではない仮説を聴いた瞬間、私の脳裏に閃光が走った。
ここから始まる現代科学と歴史的事実が重なるミステリーの面白さと痛快な腹落ちっぷりといったら! 本書が改訂を重ねている人気シリーズである理由がよくわかる。
改良の余地がない古代技術
縄文時代の釣り針、翡翠に穿(うが)たれた精緻な孔(あな)、みんな大好き前方後円墳、地震で倒れない五重塔に、素晴らしい古代瓦、名刀に飛鳥時代の釘、そして奈良の大仏。これらを作った古代日本の技術者たちの「技」を、現代の半導体技術の専門家である志村先生が案内してくれる。どの技術に対しても、現代の技術者のまなざしと深いリスペクトが向けられている。
たとえば縄文時代の遺跡から発掘された直径5.5cmから6.5cmほどの大きな翡翠玉は、志村先生をこんなふうに驚嘆させる。
長年、結晶・鉱物と付き合ってきている私は、これらの翡翠玉、翡翠大珠に見事にあけられた孔を至近距離で見て、その超高度の穿孔技術に驚いた。現在でも、あれだけ大型の翡翠に、あれだけ見事な孔をあけるのは容易なことではないからである。
翡翠(硬玉)の硬度や、縄文時代にはまだ鉄などの金属製の道具がなかったことを考えると、翡翠玉の美しい孔は「なぜ?」の嵐なのだ。しかも、そのものズバリな道具はまだ発掘されていない。でも技術があったことだけは確か。ミステリーの匂いがぷんぷんするではないか。志村先生はこれらの謎と事実と現代科学の知識を組み合わせ、縄文時代の穿孔技術に迫る。
すると研磨剤と回転管錐(くだきり)によって穿孔(せんこう)したという結論に行き着く。
さらに、最新のエレクトロニクスに精通する志村先生は、この穿孔技術を「現在でも、基本的には改良の余地はまったくないように思われる」と評価する。
一九六〇年に発明された“人工の光”レーザーによって、材料加工技術の分野で数々の革命的技術革新がもたらされている。穿孔技術も例外ではない。しかし、宝石の穿孔技術に限っていえば、前述のように、縄文時代以降、今日までの数千年間、基本的な革新は皆無なのである。
「縄文時代の人びとはドングリを食べていました」と習ったが、こんなすごい技を持っていたことも教えてくれたらますます楽しかっただろうに(山で椎の実を拾って食べるのが好きな子どもだったので、縄文時代のドングリ料理に憧れはしたが)。
魅惑の大工道具
本書をきっかけにぜひ訪れたい場所ができた。兵庫県の竹中大工道具館だ(東海道・山陽新幹線の新神戸駅からすぐそばにある)。
第4章「日本古来の『木材加工』技術」では、日本の木造建築を支えた木と、それを加工するために使った大工道具が多数紹介される。この大工道具の移り変わりにも、古代の技術が反映され、多くの謎が秘められている。なぜか。
日本では古来、このように多種多様な大工道具が使われてきたのであるが、残念ながら、それらの現物を見ることはできない(時折、古代の大工が梁の上や屋根裏に置き忘れた道具が見つかることがあるらしいが、これは貴重な“遺品”である)。それは、道具というものが、大切に保管され、あるいは鑑賞される美術・工芸品とは異なり、“使われるもの”であり、使われた結果、必然的に亡びていく運命にあるものだからである。
大工道具からも古代技術の歴史がわかる。たとえば、室町時代より前に縦挽き鋸(のこ)は存在しなかった。では世界最古の木造建築である法隆寺はどのようにして建てられてたのか。
伐り倒した木を木目に沿って打ち割ったのである。前述の『春日権現験記絵巻』などには、木槌と鑿を使って、点々と穴をあけているようすが描かれている。これに楔(くさび)、あるいは楔型の割り鑿を打ち込んで割ることで、柱や厚板が得られるわけだ。私は東大寺大仏殿建立に使われた薄板の実物を手に取って見たことがある。
この打ち割り法が当時採用された科学的な背景と共に、この技術の優秀さについても、志村先生は敬意を込めて解説してくれる。
そして、時代が進んで機械化や電動化が加速すれば、やがて大工道具は消えてしまう。そんな大工道具を集めて保存しているのが、上に述べた竹中大工道具館なのだという。ぜひ自分の目で見てみたい。
そう、こんなふうに「私も見てみたい!」と思わせてくれる本なのだ。志村先生が日本全国をまわって古代日本の技術に驚嘆した姿が目に浮かび、追体験したくなる。前方後円墳の秘密を知ったら、仁徳天皇陵に行きたくなる。そして本書で紹介された「ある角度」から腕組みして見たい。きっと、次に奈良へ行くときは、現代のものよりうんと優れた古代瓦や釘のことを考えるだろう。そんな読者たちを導くかのように、各章の終わりには参考図書がずらりと並んでいる。
古代日本の技術の面白さと凄みがよくわかる、とても楽しい技術史ミステリーであり、知的で上質なガイドブックだ。
なお、古代日本を舞台とする本書には、姉妹本『古代世界の超技術〈改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧』がある。題名の通り、世界各地の古代建造物たちが主役だ。数年前に訪れて、あまりの大きさと美しさに仰天したローマのパンテオンについての技術者目線の熱い解説が読めてうれしかった(「どうやって作ったの? なんで今も残っているの?」と不思議でたまらなかったのだ)。こちらもおすすめしたい。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
twitter:@LidoHanamori