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2019.09.03

レビュー

なぜ日本人は金魚好きなのか!? 室町時代から500年間の歴史と文化を読み解く

日本の夏の風物詩といえば“金魚”と“風鈴”。この本はその風物詩の1つ、室町時代末期(戦国時代)に中国からからやってきた“金魚”がどのようにして日本人の心をとらえ、風物詩(=文化)となっていったのかを追求した"日本金魚百科"です。読むと金魚がずっと身近に感じられるようになれます。



これは国立博物館で売られている“金魚づくし絵”をプリントした巾着袋です。同博物館では埴輪、鳥獣戯画、風神雷神図、浮世絵(美人画、富士山等)と並んでいくつものグッズとして売られています。
日本文化・日本人の生活を象徴するものの1つとして金魚が考えられているからだと思われます。
この擬人化された姿で金魚をえがいた歌川国芳の金魚づくしの絵はこの本でも紹介されています。



こがねうをと呼ばれていた金魚

金魚はたぶん、江戸が開かれる前に日本に渡来し、長崎や堺の港に、小さなインベーダーみたいに少数ずつ、ひそやかに上陸していたのだろう。その名も「こがねうを」とか「きんぎよ」と呼ばれて、江戸時代初頭には、長崎を中心とする九州西北部や、堺から京坂地方にだんだんと入っていったのに違いない。限られた地方で知る人ぞ知る、一部の人たちのひそかな専有物でもあったのではないか。

「こがねうを」という呼び名は「本家の中国語の『金魚』の直訳」だそうです。

中国では(略)「金魚(チンユイ)」は「金餘(チンユイ)」と同音で、蓄財につながる縁起のいい魚名とされていたという。

金魚はもともと黄金色の魚という文字どおりの魚で豊かさをもたらすものと考えられていました。(銀魚・しろがねうをという呼び名もあったそうです)

中国ではその後、金魚の形態の珍しさが重宝され、日本での金魚の発達とは異なった道をたどっていきました。(中国ではもてはやされた「でめきん」は江戸時代の日本には現れず、見向きもされなかった、とこの本にあります)

金魚の“赤(朱)”に込めた思い

はじめは文字どおり黄金色の魚だった金魚はなぜ“赤い魚”と考えるようになったのでしょうか。その答えもこの本にあります。

金魚の基本の色は、赤(朱)色、ないしは金(黄金)色である。金色の光沢がある朱色といってもいい。昔は、朱金色とも表現されていた。少なくとも日本では、そう受け取られてきた。

豊かさや権力を象徴している黄金色。さらに仏教・儒教の影響もあり、赤(朱)色は「西アジア一円で神聖視」されていました。けれど、それだけではありません。日本人の間で「赤い金魚」が好まれるようになったのには「魔除け」の意味があったのです。

鮮やかな赤い色には強い呪力があり、病魔、災厄を退散させるという、赤い色への信仰は全国的な支持を受けていた。

金魚百科と呼べるこの本のなかでもこの第六章の「魔除けに使われた金魚の郷土玩具」の1節は、金魚に込めた江戸庶民の思いを追究していて、とりわけ興味深く読める箇所です。

江戸時代、「赤物」は蔓延していた疱瘡(天然痘)にかからないための「護符」として子どもたちに持たせていました。この「金魚ねぷた」にも魔除けになると考えられていた「赤物」の名残がうかがえます。

豊富な図版で紹介された“江戸金魚文化”

「16世紀の初頭、中国から渡ってきた」金魚は18世紀に入ると江戸で金魚のブームが起き、次第に日本で広まるようになっていきました。その姿をこの本では多くの図版によって見ることができます。この本の大きな特長です。
いくつか紹介します。

女性が手にしている硝子玉(びいどろの金魚玉)の中は「わきん」です。

こちらは「らんちう」。江戸時代では上方で好まれていました。

長いひれで泳ぐ「優美な姿」が好まれた「りうきん」は「わきん」とともに日本人に最も好まれた金魚です。

これらの絵画からは貴重品として入ってきた金魚が江戸の“粋”をあらわすものになっていったことが見てとれます。これは消費社会の出現がもたらしたものでした。

おそらくは、金魚の飼育と鑑賞は、一部の富裕階級のぜいたくな楽しみだったはずである。しかし、江戸が消費都市としての発展を始めると、一般庶民にも金魚ぐらいは飼って楽しめる、経済的な余剰のある消費社会が形成されるまでに、そんなに長くはかからなかった。

幕末に生まれた金魚の3大産地

金魚文化は江戸だけでなく幕末までには地方へも浸透していきました。現在、日本金魚の3大産地の1つ、大和郡山に金魚が移植されたのは18世紀になってからです。

大和郡山の金魚は、柳沢吉里の家臣横田文兵衛が、亨保九年(一七二四)に、藩主柳沢吉里の国替えに際して、旧領地の甲府から郡山へ金魚を持参したのが最初であった。
横田はかねてから、金魚の飼育に長じていたので、温暖な土地柄の郡山で金魚の養殖に成功し、これにならった同藩家臣のあいだで金魚飼育が次第に広まった。
(柳沢吉里は柳沢吉保の子・大和郡山藩初代藩主)

もっとも大和郡山で金魚の養殖が盛んになったのは窮乏化した藩、藩士の生活を支えるためだったそうです。逆にいえば金魚が商売となるくらいに、金魚は日本全国で喜ばれ、親しまれるペットになっていたのでしょう。この大和郡山市で開かれる全国金魚すくい選手権大会は今年で第25回を数えます。ちなみに、金魚の3大産地のあとの2つは弥富(愛知県)、江戸川(東京都)です。

金魚はいまでも夏の風物詩

この本には江戸の浮世絵以外でも興味深い図版が収録されています。
まずは金魚たちにどのような系統があるかを一望にした図。


金魚がフナから別れてきたということがうかがえる1枚です。

ところでかつては日本の夏、どこからともなく聞こえてくる“金魚売り”の声。今ではすっかり聞かなくなりました。(netで調べてみると「全国に千人以上いた金魚売り 現在は熊本の80歳男性ただ1人」という記事が見つかりました。2015年4月17日 16:00  週刊ポストhttps://www.news-postseven.com/archives/20150417_316347.html その後どうなったのでしょうか?)

でも金魚はいまでも身近なかわいいいきものとして日本人を惹きつけています。東京の夜を歩くとこのようなものが見つかりました。どちらも毎年行われている日本橋の金涼祭での写真です。

「わきん」「りうきん」などさまざまな金魚が描かれた提灯

デジタルアートで写し出された路上を勢いよく泳ぐ金魚

コンクリートの上を泳ぐ金魚を子どもたちがはしゃぎながら追いかけていました。金魚はいつまでも日本の夏の風物詩として残っていくでしょう。その金魚たちのことを知るにはこの本が最適です。残暑の日本、金魚の姿を求めて散歩するのもステキです。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。

note⇒https://note.mu/nonakayukihiro

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