つかまえて描き、あふれ出る何か
篠田桃紅という人をご存知だろうか?
知っている人は、世界的美術家であるとか、100歳を超えて書いた本がベストセラーになった人とか、そういう認識じゃないだろうか? それも間違ってはいないのだけれど、まず言いたいのは「篠田桃紅はものすごく美しい人」だということ。Googleで画像検索してみてほしい。そこにはお年を召した頃の写真が並んでいるはずだが、「凛とした」という言葉ではいろんなものがこぼれ落ちるような、そんな美しさを感じると思う。
私が初めて篠田桃紅を知ったのは、NHKの『日曜美術館』だったか、別の特集番組だったか。スゴいオーラをまとった和装の老女(失礼は百も承知、だって「初めて」だったから)が、大きな紙を前に、毛筆をスススー、ピシッと走らせていた。「抽象」というものがとんと理解できない私だが、無造作にも見える筆運びから生み出される抽象画と、その絵に向き合う彼女の姿は、ベラボーにカッコよかった。
篠田桃紅は大正生まれ。戦後まもなくして単身渡米し、墨を用いた抽象画(墨象)で世界的な評価を得るが、「アメリカの乾いた空気は墨に合わない」と帰国。以来、100歳を超えて現役の表現者として活動し続け、2021年3月1日、107歳で亡くなる。本書は、その篠田桃紅の画文集だ。
『私の体がなくなっても私の作品は生き続ける』より
彼女にとっての創作がどういうものか、よくわかる一篇だ。天から降りてくる「かたち」や「線」や「色」。とても微(かす)かで儚(はかな)いけれども、確かに心を揺さぶるもの。それをつかみ、逃さないように筆を走らせる。神秘的にも聞こえるこの言葉に、ジミ・ヘンドリックスの「その瞬間に頭の中で鳴ったフレーズをギターで弾く」という言葉を思い出した。そういえば、ジミヘンはこうも言っている。
「最低限の人数で、最大限の音を」
それはまるで、篠田桃紅の描くものを言い表しているようだ。
アートについて語った言葉も興味深い。
彼女は「絵には額縁は要らない」という。なぜなら額縁を付けると、絵が「額縁のなかものもの」になってしまうからだ。
だけど、私の絵はそこからいろんなものを際限なく送り出したい。狭い部屋に置いてもいいし、どれだけ広い空間に置いても構わない。美しい香りとか、泉とかが湧き出ているような存在でありたいとそう思っています。
自然の泉でもないし、自然の温泉のような温かい湯気でもない。自然そのものとは違う。
人間がつくったもので、そういうなんともいえない、言葉にはできない、何かをこの世に送り込む。
それがアートですよ。使命ですよ。
人の精神のなかに、何か美しい、いいものを絶えず送り込んでくるものがアートだと思う。
アートは自然そのものではない。
アートとは、人が作り上げ、脈々といいものを送り込むもの。
そのシンプルな説明に、篠田桃紅の絵の強さの秘密を見るようだ。
言葉に置き換えられない絵と、言葉
本書に収められた絵は、松木志遊宇(シュウ)という人物のプライベートなコレクションだ。この方は、弟子を一切置かない主義だった篠田桃紅が、唯一「生き方の師」として弟子と認めた人物で、国語と書道の高校教諭。15歳の時から篠田桃紅のファンで、いつか作品館を作りたいと一切の贅沢をせず、給料を貯め、数十年にわたって作品をコレクションしてきたのだという。その情熱に触れ、篠田桃紅は仕事場への出入りを許し、作品館づくりにも尽力した。
そして本書の言葉は、篠田桃紅が仕事場でつぶやき、語った生の言葉だ。仕事を共にした編集者の過去20年に渡る(多分、膨大な量の)録音から選ばれ、再生されたもの。
しかし、絵は絵でしか表現しえない。絵から「なにを感じるか」は、その絵に向き合った人に委ねられるもの。作者自身の言葉であっても、絵と言葉を並べ、画文集を編むのは相当にデリケートな作業だったに違いない。篠田桃紅に指示を仰ぐこともできない……。だが本書は、「もっと多くの人に篠田桃紅の絵を見てもらいたい」という松木志遊宇や遺族、編集者の思いと、最大の敬意によって困難な作業を見事にやり遂げ、初めて知る人も、その絵に魅せられたファンも「篠田桃紅が突き詰めた美の世界の一端」に触れられる一冊となっている。
そんな本のタイトルが『私の体がなくなっても私の作品は生き続ける』とは、心が震えないだろうか?
レビュアー
関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。