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【香港・台湾問題の源流】いまの中国を理解するうえで焦点となる華南の歴史

2022.12.29
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華南という場所

津軽のじさまと大阪のおばちゃんが出会ったなら、円滑にコミュニケーションをとるのは困難かもしれません。しかし、ゆっくり話したり文字を使ったり、相互に歩み寄るならば、会話はじゅうぶん可能だと思われます。

わたしたちはつい、どこの国でもそんなものだろうと考えてしまいます。日本のものさしですべてを計ろうとしてしまうのです。

しかし、中国のような広大な国では、その常識は通用しません。北の人と南の人は、どんなに歩みよっても交流できない場合があり得ます。なぜなら、言語が違うからです。あなたがどんなに中国語に熟達していようと、長江より南の地域(華南)には、通じない人がたくさんあります。北と南では、言語も、気候も、習俗も、ときには人種も、すべてが異なっているのです。

華南は、長く移民社会でありました。土着の人がいるところに、北にいられなくなった人が移住してきました。多くの民族がそれぞれの生活をおこなっていたところに、漢民族が入ってきたのです。争いが起きないはずはありません。

たとえば外で見知らぬ相手に出会った場合、そばにあった小石を拾い上げて「これは何だ?」と問いかける。「石ころ」という答えが返ってくるが、「石」の発音は客家語(評者註:古代漢語の影響を残すと言われる漢人の言語)と土白話(評者註:漢人の早期移民の広東語系の言語)で異なり、客家の人は土白話の発音がうまくできない。これを聞いた土白話の人間はすぐさま相手に殴りかかる。チワン族と土白話の間も似たような状態で、抗争は常に身近なところにあった。

乱暴にまとめるならば、こうした歪みの蓄積が、清朝滅亡の大きな要因となった太平天国の乱につながっていったのでしょう。「乱」とはあくまで清朝側の言い分で、実際には「太平天国」という名の独立国家が打ち立てられ、清と戦争をしたと考えるべき事態です。
本書は、ここに至るまでの階梯を、とてもていねいに説いてくれるとともに、雑多な民族が混在し多くの言語が存在する中国を「南から」見ようとしています。

南から中国を描く

本書は華南にスポットを当て、中国の歴史を眺めたたいへんめずらしい書物です。

中国の首都といえば、元王朝以降、ずっと北京でした。それ以前は長安(西安)や洛陽です。いずれも長江より北に位置しています。また、歴史上、中国には幾度となく漢民族以外の統一王朝が立てられていますが、元はモンゴルの、清は女真族(満州人)による王朝であり、北方がルーツになっています。万里の長城も北にしかありません。
シルクロードはグローバリゼーションの端緒といわれ、西はヨーロッパ、東は日本に至る長大な路線でしたが、中心は長安でした。
とても乱暴な発言ですが、中国史を概観するうえで、華南という地域は除外してしまってもいいようなところだったのです。メインストリームの中国史では、ほとんどふれられることはありません。本書でさえしばしば「辺境」と呼んでいます。

ところが、近代――清朝の末期になると、華南は重要なものとして扱われることが増えていきます。さきにふれた太平天国は華南で築かれましたし、そのトップ洪秀全も華南出身でした。清王朝を打ち倒した革命の父として、現代中国でも多大な尊敬を集める孫文も華南の人です。
なぜこの時期になって、華南は注目を集めるようになったのでしょうか。

それではなぜ「南」なのか? 現在中国の主要民族となっている漢民族(歴史的には漢人)の歴史は、大きく見れば北方から南へ向けての越境の歴史だった。漢人の移民は中国王朝の版図に属しながら、先住民族が多く住んでいた東南、西南の各省へ入植した。やがてそれらの地域が飽和状態になると、移民はさらなる辺境へ向かい、海を越えて東南アジアに広がった。
中国中心の視点に立てば、移民は周辺地域を内地化することで中華世界の拡大に貢献したのであり、現在世界に散らばる華人はこの移民の後裔にあたる。

食は広州にあり

私事になりますが、かつて、世界中をうろうろしていたことがあります。
その経験は役に立ったことはありませんし、たぶん今後も役に立つことはないだろうと思っていますが、ひとつだけ確実に言えることがあります。箸の文化圏は圧倒的にメシがうまいということです。これはあちこちで庶民と同じものを食ったからこそ実感できることでしょう。
自分が箸文化で育ったからそう思うのかもしれませんが、ナイフフォークを使う食事や素手で食べる食事は、口に合わないことが多かったように思います。
そういう自分にとって、「食は広州にあり」は金言でした。
コロナ禍でいまだ果たせていませんが、死ぬまでにはかならず広州に行き、地球上でもっともうまいメシを食ってやろうと思っています。

広州の料理は広東料理と呼ばれるものです。横浜中華街をふくめ、もっともハバをきかせている中国料理だと言っていいでしょう。

よく考えたらおかしな話です。中国国内においては断じて中国を代表しないようなところが、なぜ国外ではもっとも栄えているのでしょう? 広州も広東も、標準中国語は話されていません。通じない人もたくさんあります。都会ではあるが「辺境」と呼ばれる地域です。そんなところがなぜ?

本書を読むと、その理由の一端がわかります。本書は、横浜をふくめ、なぜ世界中にチャイナタウン(中国人街)があるのか、という疑問にもわかりやすい回答を与えてくれています。

中国世界の膨張は国家と社会の共犯関係によって進められたのであり、その流れは東南アジアやアフリカにおける華人や中国系企業の活動という形で現在も続いている。
こうした社会を生み出した原因はどこにあるのだろうか。一つ明らかなことは、華南ひいては中国はその内部に熾烈な競争をかかえた社会だった。それはたとえば科挙合格のためには非合法な越境をいとわない受験生の活動に示される。均分相続によるじり貧の運命から逃れるために外地へ出て行った華南の人々は、立ち止まることを許されない緊張感のなかで暮らしていた。
それは安定した身分制社会だった日本では考えられないような厳しい競争と起伏に富んだ生活、希望と挫折を前に揺れ動く人々のあくなき戦いを生んだ。

もう一揆しかない

2022年12月、台湾有事を念頭に、岸田総理は増税を主張しはじめました。出産したばかりの主婦が言っていました。
「物価はどんどん上がるのに、給料は上がらない。そのうえ増税って、もう一揆しかないよ」
ジョークじゃない。マジで言ってんだということは顔色でわかりました。

太平天国という内憂と、アヘン戦争という外患を同時に抱えた清王朝はどうなったか。また、ウィグル、チベット、モンゴルなど風俗習慣の異なる地を併合している中国にとって、台湾とはどういう地域なのか。本書は、「中国の今」を理解する契機を与えてくれる書であります。「南から」という視点はまれながら、たいへん重要なものです。本書はストレートな中国史を眺めていても決して見えてこない側面を描いています。さらに、「今後の日本」を考えるうえでも、一級の資料を提供してくれていると言えるでしょう。

  • 電子あり
『越境の中国史 南からみた衝突と融合の三〇〇年』書影
著:菊池 秀明

香港の民主化運動への禁圧、台湾への軍事的圧力――。現在の中国が見せる、特に南部への強硬な姿勢には、どのような歴史的背景があるのだろうか。中国史のフロンティア=華南地方の周辺民族と移民活動に焦点を当て、南から中国史を見直す。
中国の歴史は従来、黄河流域に展開した古代王朝の興亡史や、騎馬遊牧民が打ち立てた大帝国など、「北から動く」ものとして捉えられてきた。しかし、清代末期、広州などの港町を窓口とした近代ヨーロッパとの出会いをきっかけに、新しい時代が始まる。洪秀全の太平天国、孫文の辛亥革命など、社会変革の大きな動きは南から起こり、中国史上初めて「南からの風が吹いた」のである。その「風」を起こしたのは、漢民族にヤオ族・チワン族やミャオ族、さらに客家など様々な人々が移動と定住を繰り返す「越境のエネルギー」だった。
世界のチャイナタウンではなぜ広東語が話され、福建省出身者が多いのか。周辺民族は、漢民族のもたらす「文明」にどのように抵抗し、あるいは同化したのか。辺境でこそ過剰になる科挙への情熱や、キリスト教や儒教と軋轢を起こす秘密結社、漢民族から日本人そして国民党と、波状的な支配を受ける台湾原住民など、中国社会の多様性と流動性を史料と現地調査から明らかにし、そこで懸命に生きてきた人々の姿を見つめる。

目次
序章 中国史のフロンティア=華南
第一章 動き出した人々――福建・広東の移民活動
第二章 越境する漢人移民――広西と台湾への入植
第三章 辺境の科挙熱――中国文明と向き合う
第四章 周辺民族の抵抗と漢文化――流入する移民と秘密結社
第五章 太平天国を生んだ村で――移民社会のリーダーたち
第六章 械闘と動乱の時代――つくり直される境界
終章 越境してやまない人々――海外移住と新たな統合
あとがき
参考文献
索引

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/

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