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戦後日本の運命を決めていった冷戦。その歴史の歩みを各国の史料から描く

日本冷戦史 1945-1956
(著:下斗米 伸夫)
2021.07.06
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80年代に物心がついた身にとって、「冷戦」の2文字は「世界」を表す言葉のひとつだった。当時のニュースや新聞、学校の授業などから、「アメリカとソ連の覇権争い」を差すものとして、当然のようにインプットされている。今となっては縁遠くなりつつある単語だが、そもそも誰が最初に使った言葉なのか。私は本書を読んで初めて知った。

米ソ間の意見対立は、次第に同盟関係を毀損する次元に移行しはじめた。ジョージ・オーウェルが最初に冷戦という語を使ったのは一九四五年のことであったが、ソ連史料などから、冷戦の開始は従来想定されていたよりも早く、一九四五年秋から四六年三月までの間にはじまったというラルフ・レベリングらの意見に同調せざるを得ない。

「ジョージ・オーウェル」とは、もちろん「あの」ジョージ・オーウェルである。小説『動物農場』や『一九八四年』で知られるイギリスの作家で、第2次世界大戦の末期にはジャーナリストとして身を立てていた。まさか、こんなところでその名を目にするとは。

そんな豆知識的な驚きもある本書、しかし実のところは、史料から判明した事実を丹念に積み重ねた本格的な歴史書である。著者はロシア・CIS(独立国家共同体)の政治とソ連政治史の専門家だ。そして本書の主眼は、ソ連の史料をもとに、冷戦下の戦後日本と北東アジアの関係を考えることに置かれている。

背表紙の帯には、「史料が語る真相」とうたわれていた。それは、本書の巻末に収録された参考文献の量からも実感できる。数えてみると16ページ。註にいたっては18ページにもわたっている。圧倒されるには十分な量だった。

第一章から第二章までは、敗戦国となった日本をめぐる戦勝国間での情報戦と交渉が、第三章では日本占領に関与した各国の活動と日本の政局とのめまぐるしい変化が描かれる。また第四章ではソ連と中国の関係が、第五章と第六章では「日本における唯一の国際政党」だった日本共産党の歴史と展開が語られていく。そのすべてにソ連の政治家と官僚の動向が、陰に陽にぴったりと寄り添う。

ちなみに序章では、「本書の構成」が解説されている。各章の「骨格」ともいうべき部分を先につかめたことは、読みとおす上での大きな助けとなった。

印象深かったのは、いずれの章においても多くの人間が登場すること。しかも、人々のフットワークが驚くほど軽い。世界を渡り歩く労力は、21世紀の今より何倍も多くかかったはずだ。それでも直接の交渉や面会が必要となる場面では、電光石火で他国を訪問し状況を打開していく。そのパワフルさに何度も目をみはった。まるで、翻訳物の小説を読んでいるかのような心地がした。

ところで、意外だったくだりをひとつ挙げておきたい。

スターリンは、アジア政策、戦後の対日政策をいつ頃からどのように考えていたのだろうか? ソ連崩壊後に現れた新史料からは、日本軍が真珠湾を攻撃した一九四一年十二月末の時点で、ソ連は勝利を予測、戦後秩序の構想に着手していたことが判明する。首都モスクワ郊外にナチス・ドイツ軍が展開していた頃のことである(シベリア兵団などが反撃に出てはいた)。

これがアメリカではなく、戦中、一時は劣勢を強いられていたソ連の見解だったことに、とても驚いた。おかげで、あの戦争の結果を知る後世の1人として、「そりゃあ日本が負けるはずだ……」と思ってしまった。

正直に言えば、本書に収められた史料の貴重さや、事実の重みをすべて受け止められたとは言い難い。それでも、欧米を中心とした従来の見方ではなく、ソ連や東アジアから見た「冷戦」と日本のあり方を知るにつれ、自分の視野が変わっていくのを感じた。同じ出来事でも、視点が変われば見え方も変化する。自分だけではなかなか起きない変化を、本書の力を借りることで少しずつでも起こしていきたい。

  • 電子あり
『日本冷戦史 1945-1956』書影
著:下斗米 伸夫

〈日本にとって冷戦とは何だったか。冷戦にとって日本とはいかなる存在だったか?〉

1945年8月に崩壊した旧日本帝国の空間をいかに管理するかをめぐる同盟国間の対立が激化、ここにこそ冷戦、とりわけアジア冷戦の起源があるという認識から、本書は出発する。

連合国という同盟関係は、枢軸国という敵の消失とともに内部での齟齬が拡大し、12月のモスクワ外相会議において形式的にも終焉を迎えた。そして同時に、のちのサンフランシスコ条約の規定にいう、旧大日本帝国が「放棄」した台湾、朝鮮半島、千島、満洲といった地域の主導権をめぐって、英米ソ中の各国による主導権争いが始まる。モスクワのケナン臨時大使が、冷戦の開始を告げる著名な電文を送るのに先立つこと2ヵ月前のことである。帝国崩壊後の日本列島やポスト帝国空間の管理をめぐる対立こそ、広島への核兵器投下が核時代への移行を告げたことと並んで、冷戦の文字どおりの第一頁となったのである。

冷戦の起源は、ヨーロッパをめぐる米ソ対立にあるというのが、欧米と日本いずれの歴史学でも自明とされてきた。この場合の冷戦とは、戦後国際政治の中で米ソが覇を争った状況を指している。しかしながら、米ソだけがその過程に関わったわけではない。グローバルな冷戦の起源において日本こそは枢要な現場であり、そしてアジア冷戦においては終始重要な舞台であり主題であり続けた。そうした視角から、本書の論考は展開される。

旧大日本帝国、東欧、そして核。この3要素による多元的利害関係のもとに米ソ中英仏が駆け引きを繰り広げる中、日本政治、とりわけ日本共産党の動向と響き合い、歴史が展開してゆく様を、ロシアはじめ各国の史料から丹念に描き出す話題作、全面増補改訂!


【本書の内容】
序章
第一章 日本占領と冷戦の起源
第二章 日本管理、東欧管理、核管理
第三章 冷戦のなかの日本(一九四六―一九五〇)
第四章 同盟・戦争と講和
第五章 危機の中の日本共産党
第六章 五五年体制―冷戦の再編成
終章

レビュアー

田中香織 イメージ
田中香織

元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。

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