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人間が焼鳥のように死んでいる──坂口安吾、司馬遼太郎ら昭和文豪の「遺言」集
(著:半藤 一利)
「歴史にはノー・リターン・ポイント(引き返せぬ地点)というものがある」
『文士の遺言──なつかしき作家たちと昭和史』(講談社)刊行後、訪れる取材者を前に、作家・半藤一利さんはたびたびそう口にする。
かつて日本は、戦争を回避する選択肢やタイミングがいくつもあった。しかし、チャンスをみすみす逃し、太平洋戦争に突き進んで破滅した。1928年張作霖爆殺、'31年満州事変、'36年2.26事件、'37年盧溝橋事件・日中戦争、'40年日独伊三国同盟、'41年真珠湾攻撃……。その過程で、まさしく「ノー・リターン・ポイント」となったのが、'38年の「国家総動員法」で、昭和の国民にとって後戻りできぬ戦争へと進む転機となったと半藤さんは言う。
半藤さん自身、1945年3月10日の東京大空襲で炎に逃げ惑い、川に飛び込み、死に直面した経験がある。なぜ戦争に至ったのか、なぜ止められなかったのか。そんな思いを胸に「歴史探偵」として昭和史を題材に数々の作品を世に送り出し、87歳になった2017年の夏、半藤さんは今「昭和史前史」に挑んでいる。
ヒトラーの『わが闘争(マイン・カンプ)』第1巻が出版されたのは1925年だが、この年は日本で治安維持法が制定され、12月25日に大正天皇が崩御し昭和が始まった年でもある。世界史の中の日本史として見れば、ノー・リターン・ポイントはもっと他にあったかもしれない、そんな思いで昭和史前史に挑む。
東京大空襲で「焼鳥」のように死んだ市民
そんな半藤さんの手元に、1冊のファイルが残されていた。折々に作家やその作品について雑誌等に寄稿した原稿をまとめないまま保管していたのだ。
「担当編集者が作家の死後にあれこれ書くことがありますが、あれはよくない。だって、作家はあの世からは反論できないんですからね。かわいそうじゃないですか」
そう言って笑う半藤さんだが、しかし、最近考えが変わった、と言う。
「わたしももうジジイですからね。いつ向こうへ行ってもおかしくない。作家たちから直接聞いた言葉も、そうしたら失われてします。託されたものとして、残していかなきゃいけないんじゃないか、という気になったんですよ」
そうして全編を見直し、作家たちの「遺言」とも言える直接聞いた言葉を加筆してまとめあげたのが本書『文士の遺言』である。
東京大空襲を体験し、「人間が焼鳥と同じようにあちこちに死んでいる。(中略)怖くもなければ、汚くもない。犬と並んで同じように焼かれている姿態もあるが、それは全く犬死で、然しそこにはその犬死の悲痛さも感慨も有りはしない」と後年『白痴』に記し、人間は堕ちる。落ちるところまで堕ちて、自分を発見すればいいと『堕落論』にメッセージを込めた坂口安吾。安吾は半藤さんが新人編集者として初めて接した作家で、彼との出会いにより「歴史探偵」になったと言うが、本書で描かれる原稿取りのエピソードは人間・安吾の素顔が伝わってくる秀逸なものだ。
22歳の青年士官であった司馬遼太郎は、米軍の日本本土上陸作戦にそなえて、満州から栃木県佐野へ陸軍戦車連隊の一員として移動。ある日散歩に出たときに、行き違う子供たちの自分を見る目がキラキラ輝いているのに気づいた。上官は、「作戦遂行のため邪魔になったら、ひき殺して行け」と言った。この子らを守るどころから、自分たちが殺人者とさえならなければらない……その事実に司馬は戦慄した。そして戦後、「22歳の私」に向かって手紙を書き始めた。なぜこんな愚かな指導者ばかりがいる国に生まれたのか、むかしの日本はちがったのではないか、と。それが一連の司馬の作品群である。
『文士の遺言』の中で、半藤さんはそんな司馬から託された「遺言」のエピソードをつづる。すでに司馬はない。「ゆえに、代わってわたくしが叫び続けねばならないことである」と。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
本書の中には他にも、高見順、松本清張、伊藤正徳、阿川弘之、菊池寛……錚々(そうそう)たる作家たちの逸話や実際に発した言葉、「べんらんめえ口調」の江戸っ子・半藤さんとの丁々発止のやりとりなどが活写されている。詳しくは本文にあたっていただくとして、読者は読み進めるうちに気づくことになる。本書が実は壮大なブックガイドである、ということに。
なぜ作家たちはその作品を書いたか、どんな思いを込めているか、それは直接謦咳(けいがい)に接し、酒を酌(く)み交わし、親しく付き合った人にしかわからない部分がある。半藤さんは昭和の文豪を直接知る、今では数少なくなった編集者の目線で、昭和の戦前期のようにキナ臭さを増す国際情勢を見据え、日本のこれからを考える一助となる数々の作品を作家論のかたちで紹介してくれる。
あるラジオに出演した際、パーソナリティが半藤さんに訊いた。
「安全保障関連法、テロ等準備罪といった法律ができ、『戦争できる国になるのではないか』と不安を抱いている国民が大勢います。どのようにお考えですか?」
常に柔和な半藤さんの顔が一瞬曇り、眼光鋭く言った。
「憲法第9条で自衛隊を明記するという話が出てきました。これはたいへんなことです。いまはそれらの法律が合憲か違憲かと議論されていますが、そうした法律に基づく自衛隊の活動はすべて合憲であるということになるのですから。私たちはこの70年、平和を守るためにずいぶん苦労してきましたよ。これからは若い人に託すほかありませんが、国民はよくよく考えないといけませんねえ」
戦後72年。世界で広がる内戦、領土紛争、核・ミサイル問題、テロ……そんな2017年の終戦記念日の今だからこそ手に取り、私たちの来し方行く末を思索するための友としたい1冊だ。
- 電子あり
戦後を代表する作家たちは、「昭和」という時代をいかに見つめ、実際に生き抜いたのか──。
「歴史探偵」として知られるノンフィクション作家・半藤一利氏は、もともとは文藝春秋の名編集者として鳴らし、あまたの大作家を担当してきました。
そもそも編集者になった経緯からしてユニーク。ボート部員だった大学時代に、高見順原作の映画に撮影協力したことから、「たった一度の縁」にもかかわらず高見順氏の後押しを頼ってみたり、入社8日目には、坂口安吾の原稿取りに行かされ、原稿がもらえずそのまま1週間坂口邸に泊まり込む事態になったり、破天荒な経緯を経て始まった若き頃の編集者人生。
そして、大作家たちから直接受けた薫陶の数々。永井荷風、横光利一、伊藤整、司馬遼太郎、松本清張、丸谷才一、伊藤正徳、阿川弘之……昭和という時代を鋭く活写した彼らとの出会いと別れ、丁々発止のやりとり。作家たちの素顔を生き生きと描きながら、その秘められた「遺言」を今に伝える、作家論・作品論的エッセイ集です。
レビュアー
約20年ノンフィクション書籍の編集に従事。生活実用、健康、マネー、スポーツ、勉強法、ビジネス、芸能まで幅広くカバーする。
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