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彼らの脳が、真実を語るまで──アスペルガー、ADHD、自閉症「黒歴史と脳科学」
(著:スティーブ・シルバーマン 訳:正高信男/入口真夕子)
ここ数年で、アスペルガー症候群や、ADHD、自閉症などの発達障害に対する認知が従来に比べて格段に進んでいることを実感する。ただし、「良くも悪くも」。
雑誌やテレビで著名な人物の体験談が取り上げられ、製薬会社のキャンペーンなどで正しい情報がインターネットを介してアクセスしやすくなった。そして書店にも多くの関連書籍が並ぶようになり、正しい理解を促す環境は日々整いつつある。しかしその一方で、頑固だったりクセがあったりする人に対して「あいつはアスペだから」というような無知や偏見に基づいた使われ方も現実の世界、インターネット上を問わず散見する。実際のところ社会がこれらの性質をもつ人々を正しく捉えられるようになるまで、まだしばらく時間を要しそうなのだが、本書はそんな現状に一石を投じ、現状を正しく捉える一助になりえるだろう。
本書は600ページを超えるぶ厚い大作だ。新書版であるブルーバックスの他のタイトルは200ページ台後半から300ページ前半が多い中、この『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』はかなりの存在感を示している。それだけのボリュームをもって語られる、「自閉症」にまつわる時を越えた物語は、様々な登場人物の想いや思惑が絡まりあって複雑化していた「ファクト」を俯瞰で捉え、ひとつひとつ丁寧に解きほぐしたドキュメンタリーに仕上がっている。
・先駆者アスペルガーとカナー
このドキュメンタリーは、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーとアメリカの精神科医レオ・カナーに端を発する自閉症の研究を主軸に話が進んでいく。
ひとりは第2次世界大戦開戦前のオーストリアにて自身の患者である子どもたちを注意深く観察し研究を重ねていく課程で、自閉症に注目したハンス・アスペルガー。
小児科医である氏は自閉症の性質をもつ子ども達に対し、その類い稀なる能力を認めて「小さな教授」と呼びんだ。そして子ども達が自分の能力を再発見できる場所を用意し、「子どもの生まれ持った能力、その子の性格の変えられる部分、異常な行動の原因を明らかにして、どうすることがその子自身の幸せにつながり、心を安定させるのか、家庭や社会の中での居場所を見つけることになるのか、そしてその子の目標や夢と、それを実現する術を見いだせるのか発見すること」を主眼に置き、真摯に患者と向き合い、研究と治療を行っていた。
そして自閉症が珍しいものではなく、すべての年齢グループに見られ、幅広い状態を含む症例であるといった「自閉症スペクトラム」の基本的な考え方を見いだした。
しかし戦火はアスペルガーにも襲いかかった。自身は戦争を生き延びたものの、彼の診療所は爆撃により破壊され、ドイツ語で書かれた氏の論文は翻訳されることなく第2次世界大戦、ナチス・ドイツの暗黒時代の記憶として忘れ去られてしまった。
そしてもうひとりのレオ・カナー。
類い稀なる言語能力と記憶力を持った東ヨーロッパ出身の医師はアメリカに渡り、精神科医としてのキャリアを築く。そして持ち前の出世欲と社交性をもっててめきめきとアメリカの精神医学界にて頭角を現していく。そこでアスペルガーと時を同じくして「自閉症」に着目し、「自閉症」を独自の視点でまとめ上げた論文を以て自閉症研究の祖となった。自閉症という障害を固有の存在として明らかにしたカナーの功績はまぎれもなく賞賛に値するものである。
しかし彼は少ないサンプルの研究の中で子どもの自閉症という現象にとらわれていたため、「自閉症」が子どもに特有の現象というように捉えてしまった。そして自閉症が発生していく背景には子どもに対して無関心で冷酷な母親、「毒親」が引き起こす精神疾患であると結論づけ、今日に至るまでの誤解のもととなるボタンの掛け違いを引き起こしてしまったのだ。
当時、自閉症研究の第一人者となったカナーがそのように唱えることの影響はいかほどであっただろうか。著者のシルバーマンからしても、自閉症研究における戦犯扱いが窺い知れる辛辣な書かれ方をしているが、そう感じてしまっても仕方の無いことだろう。
また、カナー自身もアスペルガーの研究成果について把握していたものの、自己の論文に引用することはしなかった。カナー自身は多数の言語を操ることができ、アスペルガーの論文に翻訳をせずともあたることができたのにもかかわらずだ。それは自説に都合が悪いからなのか否かはうかがい知ることはできないが。
・「生きづらさ」からの解放と『レインマン』
発達障害という概念は、その当時よくわからない現象であり、人間というものはそういった現象に対して、原因を求めずにはいられない性質を持っていた。理由や原因を探し求める課程で、誤解に基づいた判断が「毒親」によって自閉症が生まれる、といった認識が形成されるに至ってしまった。そうして自閉症の子を持った親に自責の念をいたずらに植え付けてしまう混乱状態が40年ほどの間続いていたのだ。
そんな中、1980年頃、ドイツ語が理解できる研究者、ローナ・ウィングによってアスペルガーの業績が掘り起こされ、アスペルガーの研究成果を広く普及させるきっかけとなる論文が発表された。歴史の闇に葬られてしまったアスペルガーの研究が、狭く、得意な現象という考え方に一石を投じ、同じく1980年代に話題になった映画『レインマン』によって「自閉症」をポピュラーなものにしていったのだ。
なんだか良くわからなかったものが、世間に受け入れやすい切り口で提示されることによって、「生きづらさ」を抱えて暮らしていた人たちが、もしかしたら自分が苦しんでいたものはこれなのかもしれない、と気づけたときの救いはいかほどだっただろうか。
本書の8章の冒頭にハンス・アスペルガーの研究成果を広く普及させるきっかけとなった論文を著したローナ・ウィングによる「名前がつけられなければ存在しない」というフレーズがある。その言葉を借りるとすると、発見から半世紀以上経過してはじめて、「発達障害」が世に生まれたのだ。
・透徹した視点で追求したノンフィクション
さまざまな登場人物が織りなすストーリーを公平に、全体が見渡せるように綴られたドラマを通して得られるものは計り知れない。当然のごとく、「自閉症」への正しい理解はもちろん、医療や科学に対する正しく冷静な視点も得られるだろう。
例えば、自閉症の混乱期に、代替医療やワクチン接種への忌避など、不確かな情報から集団ヒステリーのような状況に陥る様が描かれている。自分が知りたいことだけを知るようにしてしまい、自分にとって都合がわるい情報に対して耳を塞いでしまうような事例は、東日本大震災後の現代日本に当てはめても教訓となるに違いないだろう。
さまざまな登場人物が織りなす長編なだけに、(しかも外国人名だ)メモを取りながらでないとこの方はどちら様でしたっけ……?と思ってしまうところもある。
しかしナチス・ドイツの支配下において、子供達を守ろうとしたアスペルガーの奮闘には偉人の伝記を読んだ時のような胸にこみ上げるものを感られ、カナーの功罪を描いた部分においては、まるでピカレスク小説のような趣を感じられた。良質なノンフィクションは心を揺さぶるのだ。
誤解と差別と偏見との闘いだった発達障害の歴史は、ここでやっとマイナスだったものがスタート地点に立てたのだろう。偏見や誤解と闘うためには正しく識ることが欠かせない。家族や、同僚や、友人に居てもなんらおかしくはない発達障害。そういったどこにでもいる人たちとの関係をより善いものにするためにもお奨めの1冊だ。
- 電子あり
現代は自閉症が増えている!? 天才や起業家には自閉症的傾向が多い!?
知的障害ではなく、精神疾患でもない、自閉症とはいったい何なのか?
20世紀半ばに研究が始まった自閉症。さまざまな誤解と偏見を経て脳科学的に理解されるまでを緻密な取材でたどりながら、自閉症の真の姿に迫る。現在、「自閉症スペクトラム」としてアスペルガー症候群やサヴァン症候群などの発達障害も含む幅広い概念として捉えられるようになったのはなぜか。知的障害ではなく、精神疾患でもなく、感じ方や考え方が異なる人たちである自閉症者を、人類に備わった「脳多様性(ニューロダイバーシティ)」という新たな視点から捉え直す科学ノンフィクション。
序文をオリバー・サックス(脳神経学者で、映画『レナードの朝』の実在の主人公、『火星の人類学者』などの著者)。
「ニューヨーク・タイムズ」ベストセラー、英国で最も権威あるノンフィクション賞BBC Samuel Johnson Prizeを受賞。
自閉症であるとはどのようなことかを理解するために、これほど多くの時間を費やした人を私は彼以外には知らない。(中略)これは、洞察力に富む自閉症の歴史書であり、読者を魅了する物語である。この書物があなたの自閉症に対する考え方を変え、自閉症と人間の脳の働きに関心を持つ多くの人々の本棚に並ぶことになることを切に願う。──オリバー・サックスによる序文より
自閉症、失読症、注意欠陥/多動性障害(ADHD)のような状態は、技術と文化の発展に貢献するそれぞれ固有の強みを持つ、自然に起こる認知的多様性とみなされるべきだ──「序章 自閉症は増えているか」より
レビュアー
静岡育ち、東京在住のプランナー1980年生まれ。電子書籍関連サービスのプロデュースや、オンラインメディアのプランニングとマネタイズで生計を立てる。マンガ好きが昂じ壁一面の本棚を作るものの、日々増え続けるコミックスによる収納限界の訪れは間近に迫っている。
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