高次脳機能障害について、「高次脳とは何か」から説き起こし、なぜ高次脳機能障害が起きるのか、どういう症状があるか、家族(周囲の人間)はどう対処すべきか、ていねいに解説した良書である。おそらく、高次脳機能障害について書かれた本の中で、もっともわかりやすく親切なものだろう。また、脳について書かれた一般向け書物の中でも、もっとも優れたもののひとつである。
もっとも、疑問がないではない。「高次脳機能障害と家族のケア」なんてタイトルでいいのか? 「高次脳機能障害」って一般的な言葉じゃない。だって、私がこの言葉を知ったのは、自分が高次脳機能障害になったからだもの。それ以前はまったく知らなかった。
高次脳機能障害とは、いわば「腹痛」みたいな言葉である。おなかが痛くて医者にかかると、医者は胃炎ですねとか小腸が悪いですねとか膵臓ですねなどと診断してくれる。どれも腹痛にはちがいないが、医師がそう称することはあまりない。高次脳機能障害も同様だ。あなたは記憶障害ですねとか失語症ですねと言われることはあっても、高次脳機能障害ですねとは言われることはあまりない。高次脳機能障害とは多くの症状を包含する言葉であり、軽重も要因も個人差がとても大きいのだ。
高次脳とは、その名のとおり高次の作業を司る脳である。たとえば「歩く」ことでも「文字を読む」ことでも脳は激しく仕事をするが、前者はケモノでも必要なのに対し、後者は基本的に人間だけが持つ能力である。高次脳とは、人間だけが行うような作業を引き受ける部位である──そう考えて大きな間違いはないだろう。
高次脳機能障害とは、事故ないしは病によって、高次脳が損傷することによって起こる症状をさす。高次脳を損傷すると、場合によっては目の前にいる人が誰か、自分が誰か、ここがどこかも認識できなくなる。服が着られなくなったり、トイレに行けなくなったりすることもある。
著者によれば、本書執筆時点で、高次脳機能障害は全国に50万人いるという。けっこうな数だが、その全員が本書を求めることは絶対にない。その数十分の一、あるいは数百万分の一が、本書にリーチする人数だろう。そんなんで商売が成り立つのかなあ、というのが正直な感想だった。上記のごとくタイトルだってピンとこない人が多い。
本書が世に出たのは2008年、出版をめぐる状況は今よりずっとのどかだった。だからこういう本が発行されたのだろう。今はもうすこしシビアになっているはずだ。
ところがこの本、出版後幾度か版を重ね、電子化もされているのである。求められているのだ。それを成したのは、「こういう本を出せばロングセラーになる」というマーケティングでは断じてなく、「この情報は伝えなくてはならない」という著者の熱意だったと思われる。
高次脳機能障害の方は、ひきこもりやうつなどの精神疾患を患ってしまうことも多い。そりゃそうだ。うまくいかなければなんだってイヤになる。人間関係だって同じだ。記憶力が弱まっていて、話したいことを忘れてしまったり、相手の言うことを覚えていられなかったりすれば、ストレスがたまる。「相手に迷惑をかける」という思いから、気だって遣う。こういうストレスは会話しようとするから生じるので、黙っていれば生まれない。黙っているためには人に会わなければいい。そういう思考になりがちだ(ちなみに私はもろ、これである)。
厄介なのは、高次脳機能障害は見た目上、健常な人とまったく変わらないことだ。車椅子に乗っていたり腕が失われていたり、そういうわかりやすい外見的特徴がないから、人は普通の人と同じように接する。本来ならば私は記憶力が弱いんです、会話が得意じゃないんですと先方にお伝えして理解を求めなければならないところだが、脳が弱いとはバカだってことにとても近い。自分からそんなことは言いたくない。
「家族のケア」が重要なのはそういうときだ。見た目にはあらわれない患者の症状を理解し、「あなたの抱えた病は大した問題ではない」と言ってくれる人が近くにいれば、それが自信になり、障害のせいで精神疾患を患うなどということは激減するだろう。
さらに、家族のケアが重要なのは、脳には特殊なはたらきがあるためである。
失われた脳細胞は基本的に再生することはない。したがって傷ついたら治癒することはない。だから会話のために必要な脳を失ってしまうと、その人は永遠に話すことができなくなる。すくなくとも理論上はそうだ。
ところが、それで会話能力が失われない場合がある。傷つき失われた部位の代わりを別の部位が果たし、会話が可能になってしまうことがあるのだ。
代わりをつとめる場所がどこか、人によってまったく違う。また、代わりがかならず生まれるわけでもない。法則性は目下のところ、わからない。
ただし、これだけは言える。家族や周囲の人の手厚い介護や親切があるとき、脳は不自由な部分を補おうとする。自分は必要とされているんだ、しっかりしなきゃという思いが、症状を改善に向かわせるのだ。
高次脳機能障害は通り一遍のリハビリでは改善しない。しかし家族の手厚いケアがあれば、絶対によくなる。リハビリドクターである著者は、そんな事例を何度も経験したのだろう。そのためには家族に知識を持ってもらわなければならない。本書はなにより、それを伝えるために書かれた。
この本が誰にとっても理解しやすいものであるのは、家族(一般の人)へのメッセージだからだ。ともすれば医学の本は情報をたんまり盛り込んだ、理解しがたいものになりがちだが、本書は情報を取捨選択し、高次脳機能障害の患者をケアするために必要十分な知識だけが盛り込まれている。
すでに述べたように、この本は脳の教科書としても一級品である。伝えたい相手と伝えたいことが明確であることが、この良書を生み出したのだ。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。