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「考える日本人になれ」茂木健一郎と盟友が指南する、発想の原点とは?

思考のレッスン 発想の原点はどこにあるのか
(著:竹内薫/茂木健一郎)
2017.03.17
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この本に茂木さんが久高島へ行った時のエピソードが紹介されています。島の海岸にそっと置いてある白い石を見た時、脳裏にあることが浮かんだそうです。
──海岸へ行くとなんか意味ありげに白い石が置いてあるの。(略)結局、その島に住んでる人たちは、島外の人たちからはまったく気づかれないように、海岸にこっそりと石を置く習慣があるらしい。石を置く行為にもおそらくなんの説明もないんですよ。──

けれどそこには島の人たちにしかわからない「祭祀、信仰という精神的な意味がある」のではないかと思ったそうです。ほんとうに大切なものは「もの言わぬものとしてまだまだ隠されている」……では今の日本語とそれを扱うメディアはどうなっているのでしょうか。
──とくに日本の今の地上波テレビみたいな、すごく貧弱な言語空間が、ノイジーな形でタレントたちによって撒き散らかされてるメディアでは、もはや久高島とか伊勢神宮の本質を表現する言葉はない。(略)浜辺に置かれてる石にこめられた祈りを語る言葉はもうないんだと思う。それぐらい今の日本のメディアの中心にある言葉は貧弱になって、大切な本質は周辺に追いやられてしまってる。──

「思考」「考えること」の本質を問うている個所です。

竹内薫さんの4つの長編エッセイと2つの竹内さんと茂木さんの対談が収められたこの本で、一貫して問われているのはこの「考えること」とはどういうことか、今求められている「考える人」とはどのような人なのかということです。

2人に共通しているのは「考えること」を失った現在の日本人と、「考える力」を失い「考えること」なしに交わされる言葉で作られている日本への批判です。それはまた、そのような言語に安住し、それを利用している政治家・政治空間への批判にも通じます。故・加藤紘一氏が著書『テロルの真犯人』で記しているように「政治家とは、言葉の生き物である」「言葉には、おそろしいほどその政治家の地金がでる」のですから。

──自分自身の立っているファウンデーションの危うさに対する感受性ってやつです。困ったことに、自分たちが「保守」とか「中立」とか思ってる人たちに限って、その感性が乏しいようなんだ。「保守主義の本質は自分たちの脆弱性を知ることである」というのがイギリス流の保守主義の本質だとすると、やっぱりそれは日本にはまったく根付いてないという、福澤諭吉以来の繰り返しが今も続いている。とにかく日本の保守主義者は自分たちの危うさを自覚しなさすぎ。だから危うくてしかたがないんだよ。──(茂木健一郎さん)

では「考える力」とはなんでしょうか。竹内さんによれば、考える力はそのまま「生きる力」にほかなりません。
──考える力って、結局、からくりを見抜く力のことだと思うんです。世の中のあらゆるものにはからくりがあるんですね。からくりは、社会システムであったり、制度であったり、法律という言い方をしたり、いろんなレベルであります。でも、からくりはものごとの「裏」にあることが多いわけです。──(竹内薫さん)

そして、やってはいけないことは、「人まかせにして、誰かのアドバイスのままに動く」ということです。自分で考え、分析して、最終的にどうするのかを決めて実行したのなら「あきらめもつくし、切り換えも利き」、次へとつなげていくことができるでしょう。しかし「人まかせ」では、その人に未来はありません。

ではこれらのことを心がける「考える人」とはどのような人でしょうか。

それが竹内さんが説く「ルネッサンス人」というありようです。
──これは欧米でよく耳にする言葉で、「ルネッサンス期の人々のように、あらゆるものに興味を抱いて生きる」、いわゆる万能型、クロスオーバー型の人間を意味します。──

ついつい私たちは“専門化”され「一つのことに特化している人」を重視し、また目指しがちです。ある種の“プロフェッショナル志向”とでもいえると思います。ですが竹内さんはそのような生き方は実は可能性を狭めているのではないかと問いかけているのです。
──いろんなことを経験しないまま、環境を変えることもなく一つのことばかり集中しているので、幅広くものごとを考える力が養われないんです。臨機応変に行動できないから、自分が特化するためにやってきたことでうまくいかなかったときに、他で食っていくこと(生活していくこと)は厳しくなる。──

逆にいえば、そのような人間だから「挫折もプラス」に転じることができるのかもしれません。この「挫折がプラス」となった例として竹内さん、茂木さんの大学院入試の時の話が出てきます。また、挫折をプラスにできるというのは「打たれ強い」ということにもつながります。
──打たれ強い人間というのはいろんなところで引っかかって、どうしよう、どうしようと生き残り策を考えるわけです。生き残り策をどう考えるかというのはすごく重要なことなんです。──

考えることのしなやかさはそのまま生きることのしなやかさに通じます。それは多面的な生き方(思考)を忘れないでいるということです。だから「からくり」を見抜く力を身につけることができるのです。

「ルネッサンス人」あるいは「境界人」と竹内さんが呼ぶ生き方は人生(=思考)を固定したものと考えてはいません。なにも固定せず(諦めず)、日々を新たに生きるということが重要なのです。そのような人間でなければ「自分たちの危うさを自覚」できません。「自覚」できないということは鈍さがあるということです。「感受性の欠如」です。
──付け加えると、自分たちの足元の危うさに対する感受性が欠如してるってことは、たとえば本居宣長の言う「もののあわれ」なんかに対する感受性も、マヒしているんじゃないかと思うんだよね。──(茂木健一郎さん)

理科系、文化系のどちらの学問も修めた2人の話はものごとをどうとらえるのかを実践的に教えてくれています。科学、歴史、数学、そして現代社会について経験を踏まえた2人の話はつきることがありません。考えるということは可能性を追うことだということが強く語られています。ここで私たちは「人生」と出会います。「考えること」が「生きること」そのものであることを強く考えさせてくれた1冊だと思います。

  • 電子あり
『思考のレッスン 発想の原点はどこにあるのか』書影
著:竹内薫/茂木健一郎

小学校で落ちこぼれだった薫少年は、法学部に入学するが、物理学の面白さに目覚め、物理学科へ学士入学。そこで盟友・茂木健一郎と出会う。ところが2人とも大学院の試験に失敗し、それぞれの道を歩み始めることに……。一芸に秀でるのではなく多芸であったからこそ、いまの自分たちがある。彼らの発想の原点を赤裸々に語り明かす。凸凹コンビの人生指南。さあ、今日から「思考のレッスン」をはじめよう!

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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