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日米英「暗号戦争」の勝者は? 開戦に至った最悪の解読ミス

日米開戦と情報戦
(著:森山優)
2017.02.28
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情報の流通速度が速まり、流れる情報の総量も増え続ける今だからこそ読まれるべき本だと思います。太平洋戦争前夜の情報戦には、戦史の1ページというものには収めきれない教訓があります。

──グルー駐日アメリカ大使とクレイギー駐日イギリス大使は、いずれも日本の政治文化を深く理解して日本の穏健勢力に期待し、本国の過激な行動に対して警告しつづけた。そして、彼らも幣原と同様MagicやBJのような暗号解読情報からは遠ざけられていたのである。しかし、本国は彼らの意見をくみ取ることはなかった。出先が持っていない暗号解読情報で日本の「本心」を熟知していると信じた英米の政策担当者は、強硬論に傾斜して日本の暴発を招いたのである。──

ここで起きたことは、相手の文化や歴史に無知であることが大きな誤解と間違った判断を生むことになるということです。情報が決して抽象的な事象ではありません。相手の背景にある文化総体を考慮にいれないと情報に踊らされる事態が生じかねないのです。

情報は言語です。ですから前後の文脈や発せられた環境(これらは文化そのものです)を捨象してはその意図を読み違えます。たとえばよく知られた「自存自衛」という言葉(概念)があります。日本がやむを得ず戦争をするにいたった原因だとしていわれているものです。けれどこの「自存自衛」はもともとは違った意味・意図で使われていました。
──じつは「自存自衛」という文言は、南方進出(「南進」)を検討する過程で海軍が言い出したものであった。そして、この言葉は、そもそも「南進」を抑止するためのレトリックだったのである。──

当時、ヨーロッパを席巻したナチス・ドイツの勢いにのり、「バスに乗り遅れるな」という掛け声が政界・軍部に起きてきました。その声に押されて「英領植民地への武力攻撃が声高に唱えられた」のです。しかし日本海軍にとって「イギリスとの戦争は大きな賭け」でした。
──海軍にとって意図せぬ対英戦(それは対米戦に発展する可能性が高い)に引きずりこまれないためのレトリックが、「英米不可分」と「自存自衛」だった。つまり、「自存自衛」の危機が訪れないことが、そもそもの前提にあったのである。──

「自存」とはなにか、それは「戦略物資を売ってくれないから戦争に訴えるという論理」であり、「内向きかつ独りよがり」なものにすぎません。これは「物取りの戦争であり大義名分が立たない」と当時の東條英機首相も考えていました。そしてこの時に「大義名分」として主張・構想されたのが「大東亜共栄圏」という観念でした。

では「自衛」とはなにを意味していたのでしょうか。それについての沢本海軍次官の懸念・疑問が取り上げられています。
──対米戦に踏み切れば、資産凍結の直前に日本が実施した南部仏印進駐が原因となったことになり、日本が「正義の上より悪しき立場に立つ」と。つまり、英米の一方的な圧迫ではなく、相互挑発の最初の引き金を引いたのは日本側だと認識していたことになる。──
こちらも「大義名分」にはならないものでした。この疑問を呈した沢本海軍次官は戦争回避を訴え続けます。しかし沢本の冷静な判断は取り上げられる事なく、日本は開戦への途を歩んだのです。

沢本海軍次官の提言のように公正な情報に基づくものであっても、それをどう取り扱うかによってその後の意思決定(政策決定システム)は大きく異なってしまいます。集められた情報を日米の首脳はどのように取り扱ったのでしょうか。

日本の意思決定で特徴的なのは「両論併記」というものでした。
──曲がりなりにも「国策」に文章化されれば、それを根拠としていて一定の拘束力が発生する。(略)しかし、対抗勢力によってそれに反する文章も盛り込まれていれば、そのような動きを牽制するお墨付きも与えられている。つまり、「国策」を決定しても、各勢力間の綱引きは延々とつづくことになる。──

「決定」というものはどこへいってしまったのでしょうか。
──妥協困難なケースでは「両論併記」で糊塗したり、文書化を避けたり(「非(避)決定」)して、いわば「決定」したことにしてその場をしのいでいたのである。そして、そのような矛盾を内包した「国策」をどのように解釈するか、はてしない綱引きが展開された。──
つまり「反対をなるべく顕在化させずに決定したことにする制度が、『非(避)決定』や『両論併記』というもの」だったのです。今の日本の政治でも見られる振る舞いです。

ではアメリカはというと、最近のトランプ大統領の言動を見ても分かるように大統領が絶大な権限を持っています。
──日本では参謀本部には首相のコントロールが及ばなかったが、アメリカの参謀本部はプランを出すだけで、どの案を選ぶのかは大統領だった。──
それに加えて「ローズヴェルト大統領は、官僚機構のトップの意見をあまり尊重せずに、独自の政策を展開しようとする傾向」にありました。責任あるポストにいる専門家に相談せず、「取り巻きの顧問の意見を採用する」ことが多かったようです。さらに「閣僚に対しても手の内を見せず、情報を一手に集中して操縦しようとしていた」のでした。

権限の集中化が正しい判断になるという保証はどこにもありません。まして情報を取捨選択できる立場ですからいくらでも恣意的な情報利用が可能になります。

このような中での情報戦でした。日本の「両論併記」はアメリカから見ればその正体(本意)がつかみにくく、アメリカの受け取りかたによって重点の置かれ方が異なってしまう。つまりはアメリカの情報選択権保持者(大統領)の意思次第となっていったのです。

日本の意思決定の曖昧さ、「バスに乗り遅れるな」という主体性のない雰囲気、「内向きには対外強硬論を唱えていたが、外向きには慎重な行動を取っていた」という2面性を感じさせる松岡洋右たちの言動、面子と省益中心だった陸海軍部、そのすべての上で(調整の上で)発せられたのが“日本の情報”というものだったのです。

情報解析は情報収集や“暗号解読”だけではありません。相手の意思決定をつかむのが情報解析の目的です。意思決定のプロセスには制度だけでなくその国の風土が関わってきます。ですから、その知見を持つものの判断こそが実は重要なのです。

森山さんはこう記しています。
──最高機密である暗号解読情報に接した者たちは誤り、接することができなかった者たちが正しい判断をしたことになる。このことは、インテリジェンスの利用と情勢判断に何が必要かを、あらためて問いかけている象徴的な事例と言えよう。──

開戦前の日英米の情報戦が教えてくれるものは……、
──戦争では、どの国も過誤を犯す。そして、より少なく過誤を犯した国が勝利を収める。情報戦でも、日英米何れもが過誤を犯した。その結果が、あの戦争だった。もっとも少ないコストで目的を達成するという観点からすれば、日英米いずれも開戦前の情報戦に敗れたのである。──

太平洋戦争の教訓はここにもありました。悲劇は繰り返してはなりません。繰り返しは喜劇です。インテリジェンスということがあちこちでいわれている今だからこそ、ぜひ読んでほしい1冊です。

  • 電子あり
『日米開戦と情報戦』書影
著:森山優

1日に20通以上の外交暗号を解読しあう熾烈な日米英インテリジェンス戦争。ローズヴェルト、チャーチルら指導者が生の情報に触れることで強まる対日対決姿勢。松岡洋右外相に翻弄され、陸軍・海軍内の組織利害対立で指導力を発揮できない日本の中枢部。エリートたちはなぜ最悪の決定を選んだのか? 真珠湾攻撃から75年。戦争に至る不毛な現実を描く決定版!

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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