亀井さんの膨大な聞き書きをもとに描き出した傑作ノンフィクション『ガダルカナル戦記』『ミッドウェー戦記』の濃密感は読む者を驚倒させるものでした。この『ドキュメント太平洋戦争全史』も300人以上に及ぶ取材をもとに、あの戦争が何であったのかを一挙につかめるように描き上げた傑作です。
なぜあの戦争は避けられなかったのか、日米の思惑はどこでどうすれ違い、開戦へと向かったのか、そのひとつひとつが手に取るようにわかります。交戦国となったそれぞれの国で誰がいつ決断したのか、その政治家は何を見据えていたのか、戦争をどう捉えていたのかまでを冷静な、けれど熱い思いを込めて書かれています。
まず驚かされるのは日本軍部のバラバラぶりです。今の私たちは軍部をひとくくりにしてしまいがちですが、この本を読むと陸軍と海軍で意志統一がはかられたようにはとても思えません。
亀井さんが記したように、陸軍は「太平洋方面の戦域は主として海軍の分担であるという認識のもとに、ふだんから関心が薄かった」のであり、陸軍が「自分たちの分担だと考えていたのは、中国大陸からビルマ、インド方面」だったのです。
政府も含めれば三者三様としかいいようがないのが当時の日本の姿だったのです。
「陸海軍がてんでんバラバラになって指導をするというのは、一九世紀的な形態であって、近代戦のような総力戦にふさわしい指導形式とはいえない。太平洋戦争のような近代戦には、陸海、さらには政府までが統合された一段高い次元の戦争指導機構が必要だったのである。換言すると、太平洋戦争の本質に関する認識が欠けていたともいえる」ものでした。
「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」というクラウゼヴィッツの言葉にならえば、日本の政治がバラバラだったということになります。この政治の貧困が300万人を超える日本人の死者を作ったのです。
真珠湾奇襲のための訓練風景、それをサーカスのようだと感心して見ている日本の民衆。けれど、その背後では日米間の息詰まるような駆け引きが行われていました。
ヒトラーの野望に対して、アメリカではルーズベルト大統領がこのような演説をします。「アメリカは、この秋(とき)にあたって民主主義の兵器廠となろう」と。そのドイツと同盟を結んだ日本も見過ごすことのできない敵国と見なされたのです。そして敵に対するルーズベトの立ち向かい方(=戦略)もまた断固たるものでした。
「日米両軍の戦略構想の相違は、戦争全体の決着をどうつけるかという戦争終末促進案のちがいとも関連してくる。アメリカは固い決意のもとに第二次大戦に参画したので、ヨーロッパ、太平洋両戦線ながら限定戦争ではなく無限戦争のつもりであった。つまり、相手国の息の根を止めるまでやめないという戦争観である。だから、中途半端なかたちでの講和などはありえなかった」。
このようなアメリカの戦略に対して日本はどのような戦争観、戦略を立てていたのでしょうか。それは「ある程度占領地域をひろげた上で重要な局地戦に大勝し、講和に持ってゆく肚」という日清・日露戦争と同じ戦略・政略しかありませんでした。そしてこの「局地戦の勝利」をいつまでも追い求めて、講和の機会を逸していったのです。
いったい「民主主義の兵器廠」というルーズベルトの強烈な信念に拮抗できる理念を日本は持ちえていたのでしょうか、「自存自衛」「大東亜共栄圏の建設」という理念ではとてもそれに対抗できたとは思えません。
この太平洋戦争(第二次世界大戦)のような総力戦がこれからもあるのかどうかはわかりません。けれどこのドキュメントは戦争とは何か、戦闘とは何か、それを招いてしまった政治とは何かを考えるさせる一級資料です。もちろん戦死、その大半は餓死でしたが、それがなにゆえに避けられなかったのかを知るためにも必読の書だと思います。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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