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『巨人の星』が伝える人間の悲劇──星一徹はなぜ厳しかったのか?

巨人の星(1)
(原作:梶原一騎 漫画:川崎のぼる)
2016.07.02
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たいへんな誤解がある。まずはこれを正すことからはじめよう。

星一徹は厳父である。大酒飲みである。現代なら幼児虐待に当たることもやっている。しかし彼は断じて……断じてちゃぶ台をひっくり返したりはしない。星一徹が食べものを粗末にしたりするもんか。まして、娘の明子が貧しい家計をやりくりして作ったものを、ダメにしたりするはずがない。

星一徹=ちゃぶ台返しのイメージができたのは、テレビアニメのせいだろう。原作マンガにはちゃぶ台をひっくり返すシーンはない(息子を食事中に殴ったために、テーブルが倒れそうになったことはある)。

星一徹はおそらく、飲食に関しては自分にも他人にも厳しい人だったはずだ。そうでなければ10年以上の長きにわたって禁酒をつづけ、祝い酒をすすめられても口にしない禁酒の鬼になれようはずがない。

酒は一切やらず、昼のみならず夜まで肉体労働をやって貯金する父を、息子・飛雄馬は心から尊敬した。巨人入りして独り立ちしてからもずっと、尊敬し続けた。『巨人の星』とは、「父と子」を描いたドラマなのである。

『巨人の星』のパロディは、しょっちゅう見る。マンガはむろんのこと、テレビドラマ、アニメ、小説など、あらゆるところで見る。実際、茶化したくなるところがたくさんある作品なんだ。目の中でメラメラと燃える炎、滝のように流れ落ちる涙、荒唐無稽な魔球、ツッコミどころ満載のセリフやストーリー。この作品を茶化さずに読める人は、たぶんいないだろう。

しかし、パロディが多いというそのことが、この作品がおそろしく有名だ、ということを語ってもいる。
パロディは、誰もが知るものでなければ成立しない。たとえばキンタロー。が名をあげたのは、前田敦子のモノマネだったでしょ? あれは誰もが前田敦子を知っているから可能なのだ。

『巨人の星』もまた、誰もが知る作品なのである。だからこそ冒頭のような誤解が生じてしまうのだろう。この作品を笑いものにしようという態度も、多くは同じところから生まれている。

だが、あなたに問いたい。
あなたは本当にこの作品を笑えるのか?
星一徹はちゃぶ台をひっくり返す人。そう思い込んでいたあなたに言ってるんだ。
ものごとを表面だけ眺めて判断しようとする、軽率なあなたに。

『巨人の星』は、父と子の物語である。「父と子」とは、古来より人間が演じ続け、つむぎ続けた芸術の根本テーマのひとつだ。子はいつか父を乗り越えねばならず、父はいつか子と戦わねばならぬ。それが成長するってことだ。だが、誰が好きこのんで自分の親や子と戦いたいと思うだろう。そこには矛盾があり、深い悲しみがある。

『巨人の星』がツッコミどころ満載なのも、ひとつにはこれを描こうとしているためだ。

この時代のマンガ作品には、マンガの地位向上、要するに芸術のひとつとして認められたい、という性向が少なからずある。『巨人の星』が「父と子」という重いテーマを選択しなければならなかった大きな理由も、ひとつにはここにあるだろう。

同時に、本作はトップ作品として、大衆人気も得なければならなかった。ツッコミどころ満載なのも、「わかりやすさ」を追求しなければならなかったからだ。巨人だの、魔球だの、あふれる熱い涙だの、この作品が理解しやすい符牒にあふれているのはそのためだ。

聞けば、『巨人の星』を笑う意見は、すでに本作が連載中に存在したという。作者や編集者がそのことに気づかぬはずはない。笑いたいやつには笑わせとけ、という思いが絶対にあったはずだ。

プロ野球選手としての星飛雄馬には、まるでいいことがなかった。プロ選手なら楽しいこともおもしろいこともたくさんあるはずなのに、彼の人生はつらいとか苦しいとか厳しいとか、そんなことばっかりだった。だから、水島信司など、野球マンガを描く後進が表現したのは、「野球の楽しさ」である。野球とは楽しくおもしろいスポーツだ。それは、『巨人の星』には表現されていなかったことだ。

仕方ない。だって、この作品が描こうとしていたのは、争いあう父と子の悲しいすがた──人間のすがただったからだ。飛雄馬とはHuman、すなわち人間を意味している。星飛雄馬の悲劇とは、人間の悲劇なのだ。それを知って見たとき、この作品を笑うことはできなくなるだろう。飛雄馬の孤独、飛雄馬の悲しみは、誰もが多かれ少なかれ体験する質のものだ。

それから、このマンガに登場する実在の人物について、誤解を解いておかなきゃいけない。ここではONと並び称されてるけど、それはこの時代だけのことだ。今は全然ちがうんだよ。王は世界一の打者であり、世界一の監督なんだ。

反論したい人もいるだろう。そういう人にはこの作品を読めと言いたいね。プロとはどういう世界か、わかるから。

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レビュアー

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草野真一

早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。

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