ちばてつやの講演の一番前の席に座り、一心にメモをとりながら聞いている客がいる。『はじめの一歩』の作者、森川ジョージである。
森川は人気作家であるから、編集者にひとこと言えば講演のチケットなど簡単に入手できるだろう。舞台袖で見ることも可能だろうし、望めば楽屋に入ることだってできる。
だが、それじゃダメなんだ、と森川は語ったという。
あくまで一般の客として講演を聞かねばならない。聞けば、森川は一番前の席をとるために、数時間並んで入場したという。
なんていい話だろうと思った。
『あしたのジョー』は、マンガ作品の最高傑作のひとつである。これを知らない人生は不幸だと断言できる。
だから読みなさい。しのごの言わずに読みなさい。女房を質に入れても読みなさい。質草にする女房がないなら親を入れなさい。仕事が忙しくて読む暇がないなら……そんな仕事やめちまえ! これは、そういう作品である。
『あしたのジョー』には、すべてがある。
闘いも、友情も、信頼も、正義も、貧困も、嘘も、悪事も、成長も、敵も、次代も、よろこびも、かなしみも、恋愛も。すべてが表現されている。おまえの人生なんかより、たくさんのことが描かれているんだよ。
以上、『あしたのジョー』のレビュー終わり。
……と、これだけですませたいし、これ以上何を言っても屋上屋を架すことにしかならないのだが、それでは役割を果たしたことにならぬので、駄文をつらねることにしよう。たぶんまだ誰もふれてない話だ。
今回、何度めかに本作を手に取ったのは、ライバル・力石を失った後の、ジョーの迷走を読みたいと思ったからである。
力石の命を奪ったのは、ジョーがテンプルに放った一撃だった。すなわち、ジョーは力石を殺してしまったのだ。
作中でも語られているが、少年院出身で家族もおらず、ドヤ街にさえ住むところのないジョーにとって、唯一の理解者は力石だけだった。拳をまじえたことしかないが、力石は友だちだった。そう呼べるのは彼だけだった。そんな人間を、みずからの手で殺してしまったのである。
以降、ジョーはボクサーとして欠陥品になってしまう。力石の命を奪った顔面攻撃は一切できず、できるのはボディ打ちのみ。したがってボディさえしっかりブロックしていれば負けることはない。敵に勝つためには顔面に向かって強いパンチを打たなければならないが、それをすればジョーはゲロをはいてしまう。顔面打ちを身体が忌避してしまうのだ。
ジョーは格下の相手にも敗れ続け、ついにドサ回りの草拳闘にまで身を落とす。舞台はライトに照らされた後楽園ホールではなく、神社の境内とかである。スポーツですらないから、八百長だって普通にある。にもかかわらず、彼はボクシングをやり続けるのだ。ボクサーとしては終わってるのに。浮かぶ瀬なんかあるはずないのに。
このくだり、異様に長い。新書版のコミックスでまるまる3冊、ジョーは苦しみ続けるのである。これは読者だって相当に苦しい。
現代のマンガであれば、こんなことはあり得ない。
主人公が苦しむのは同じである。当然だ、苦しんだ上で勝たなければ、勝利の栄光は誰にも了解されないだろう。しかし、苦しみは絶対に長く続くことはない。なぜって、読者のほとんどは主人公が苦しむさまなど見たくないからだ。みんな、勝つところが見たいのであって、苦しみはあくまでその前提としてちょっとあればいいのである。
読者の多くが求めていないもの。そんなものを長く描き続けることは、連載マンガにはできない。それをやると如実に人気が落ちてしまうからだ。人気作が人気を失うことは、雑誌の売り上げにも影響を与えるたいへん大きな問題である。誰もがやめろというだろう。
『あしたのジョー』がジョーの苦しみをこれほど長きにわたって描くことができたのは、上記のような作品の人気と雑誌の売上との関係が、作り手にハッキリと了解されていなかったためだ。
さらに、マンガがメディアとして新しかったことも、大いに関係している。少年マンガ誌のマーケットは今よりずっと小さかった。ために、掲載誌の売上下落はそれほど深刻なものではなかったのだ。言いかえれば、現代のマンガでは決して得ることのできない位置が、「おちぶれたジョー」を描くことを可能にしたのである。
しかし、これはふれておかねばならない。
『あしたのジョー』がマンガの最高傑作であるのは、主人公ジョーの迷走と彷徨さえ、きちんと表現することができているからだ。ほかのどんな作品が、友の命を奪ってしまった男の苦しみを描くことができただろう。ここには拳闘というスポーツの本質とともに、人間という存在の本質も表現されている。
おそらく、これがなかったとしたら、『あしたのジョー』は凡百の作品で終わってしまったにちがいない。森川ジョージが、ちばてつやの講演のいい席を得るために一般入場者の列に並んだりすることは、たぶんなかっただろう。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。