2016年、江戸川乱歩(1894-1965年)作品の著作権保護期間が終了し、氏の著作物は誰もが自由に利用できるようになった。青空文庫ではすでにいくつかの乱歩作品が公開されており、さまざまな出版社がコミカライズ、朗読CDなどの企画・販売を進めている。
講談社の月刊マンガ雑誌『ARIA』でも、2016年1月28日発売の3月号からnaked apeの手がける『孤島の鬼』のコミカライズが始まった。『孤島の鬼』は同性愛を扱った探偵小説であり、その評価は乱歩作品の中でも極めて高い。コミカライズを担うnaked apeは、原作とデザインを担当する逢川里羅、作画担当の中村友美によるコラボレーションネーム。6月7日に発売となる1巻は、原作の「少年軽業師」にあたる「MURDER 五」までの、計5ヵ月分の連載を収録している。
内容に踏み込んでいくとしよう。原作『孤島の鬼』は語り手の「私」こと箕浦金之助(みのうらきんのすけ)が、ある一連の殺人事件を自らの体験を元に小説化する、という体で書かれた作品である。あらすじは次のようなものだ。当時25歳の箕浦は、勤め先の見習いタイピストである木崎初代(きざきはつよ)に恋をした。2人の関係は順風満帆であったが、大正14年6月25日、密閉された部屋の中で、初代が何者かに短刀を突き立てられて殺されてしまった。自らの半身とも言える恋人を失った箕浦は、下手人を見つけ出すことを固く心に誓い、友人である諸戸道雄(もろとみちお)や素人探偵深山木幸吉(みやまぎこうきち)の手を借りて真相に迫る。事件は次第におどろおどろしい様相を呈し始め、やがて箕浦は障害児を集めた謎の孤島に隠された秘密を嗅ぎつける。
後半では孤島における獄中の生活や怪人物との対決が描かれ、物語は次第に探偵小説から怪異小説・冒険小説にシフトしていく。そのため、不可解な謎が鮮やかに解き明かされるといった謎解きの面白さに限れば、さほど際立ったものがあるわけではない。だが、序盤で提示された伏線の意味が徐々に明らかになり、物語が綺麗に畳まれていく様子に乱歩の小説巧者ぶりがうかがえる逸品で、評価が高いのも頷ける。
今回のnaked apeによるコミカライズは、やや駆け足気味ではあるものの、原作を丁寧に追いかけ、時に大胆な解釈も交えながら組み立てられている。『孤島の鬼』の妖しさや文章の艶めかしさを現代的な表現で描こうとするなら、なるほどこのようになるだろうと納得の行く出来栄えだ。中でも、美少年たる箕浦に惹きつけられた年上の友人たちには……、とりわけその胡散臭さの表現には目を見張るものがある。
箕浦は学生時代に初音館という下宿宿に世話になっている。このとき同宿人として知り合ったのが、この泣きぼくろの諸戸道雄であった。諸戸は当時医学生であり、箕浦に懸想してなにかと彼の世話を焼いていた。しかし、箕浦は諸戸の心を知りながらもその想いには応えず、25歳に至るまで一線を越えぬままに友人として関係を続けていた。
2人の関係は木崎初代の登場を境に崩れる。女嫌いであるはずの諸戸が初代に求婚したのだ。彼は自分と初代の恋を妨げるために求婚したのではないかーー箕浦はいぶかしむ。やがて初代が殺され、捜査線上に諸戸の名前が挙がるようになると、もう避けては通れない。箕浦は諸戸と対峙し、行動を共にし、彼の持つ秘密を探ろうとする。だがその度に諸戸はのらりくらりと追及をかわしながら思わせぶりな言動を続けるのだった。
深山木幸吉もまた『孤島の鬼』前半のキーパーソンの1人である。蓄えでもあるのか40を超えても定職に就かず、ふらふらと女をとっかえひっかえする風変わりな雑学者であり、箕浦からは知らぬことのない男として評価されている。今で言うなら有名大学を卒業した資産家の文化系遊び人といったところか。
深山木は箕浦から事件のあらましを聞き、素人探偵として事件の解決に乗り出す。その慧眼は確かなもので、「殺人現場から消えたチョコレートの罐」や「七宝の花瓶」について、いくつかの重要な手がかりを示唆していく。この深山木が帽子を被り、探偵する様は実に……実に、なんというか、「しっくり来る」としか言いようがない。
しかし、これらの現代的なヴィジュアルイメージの与えるインパクトばかり語ったところで、naked apeによる『孤島の鬼』の魅力を十全に伝えることはできない。この2人にもまして注目すべきは、主人公たる箕浦の語りをどのように解釈してヴィジュアル化したかという点にある、と筆者は見ている。
原作からして語り手である箕浦は、年上の友人たちに気を持たせるような行動ばかり取っている。それは「全てが終わった後の箕浦の語り」というバイアスのかかったもので、箕浦が当時の行動や気持ちに注釈を加えながら自身を表現した結果そのような人物像が確立されるに至ったわけだが、なぜ箕浦はそんな書き方を選んだのだろうか。その語りにはどのような真実が隠されていたのだろうか。原文からの宝探しもまた『孤島の鬼』の醍醐味の1つである。
具体例として、箕浦が深山木に調査依頼を切り出すシーンを見てみよう。
ーー「恋、ね、そうでしょう。恋をしている眼だ。それに、近頃とんと僕の方へはご無沙汰だからね」
「恋、ええ、まあ……その人が死んじまったんです。殺されちまったんです」
私は甘えるようにいった。いってしまうと、どうしたことか止めどもなく涙がこぼれた。私は眼の所へ腕を当てて、ほんとうに泣いてしまったのだ。深山木はベッドから降りてきて、私のそばに立って、子供をあやすように、私の背中を叩きながら、何かいっていた。悲しみのほかに、不思議に甘い感触があった。私のそうした態度が、相手をワクワクさせていることを、私は心の隅で自覚していた。ーー(『孤島の鬼』創元推理文庫版、p69-70)
「近頃とんと僕の方へはご無沙汰だからね」とのたまう深山木に対して、「私」は真実を告げて感極まって泣いてしまう。しかしこれは、ひょっとしたら深山木に捜査協力を求めるための嘘泣きかもしれない。箕浦の再構成した物語の中では、作中の登場人物たる「私」の気持ちを地の文の通りに受け取ることはできず、バイアスのかかった語りをどのように捉えるかで受け手の印象は異なってくる。「私」を正直者ととるか、無自覚なたらしと考えるか、復讐のために持ち得る武器を使う覚悟ある人間と捉えるか。語られない深山木の心情は?
揺らぎは作品の豊かさに貢献する。原作の解釈がダイレクトに伝わるコミカライズを読む場合は、そこにこそ注目したい。先に挙げたシーンに関しても、「私の背中を叩きながら、何かいっていた」の解釈にnaked apeのオリジナリティが見られて興味深かった。もちろんいい意味で、だ。この質のコミカライズなら何も知らずに読んでも楽しいし、原作を熟読した上で比較しても面白い。扱いの難しい原作が適切な筆に託されたと言って差し支えないだろう。
ところで、1つ懸念事項がある。『孤島の島』に限った話ではないが、原作には差別的な表現が多数含まれているため、版によっては一部の表現がその語を含む文ごと削除されていたり、「生地獄」の章の同性愛に関する文章が丸ごと欠落していたりもする。乱歩作品に対してはパブリックドメイン化する前から無体な改変が行われているわけだが、今回のコミカライズではそれらの表現をどのように扱うのだろうか。その点にも注目していきたい。
レビュアー
ミステリーとライトノベルを嗜むフリーライター。かつては「このライトノベルがすごい!」や「ミステリマガジン」にてライトノベル評を書いていたが、不幸にも腱鞘炎にかかってしまい、治療のため何年も断筆する羽目に。今年からはまた面白い作品を発掘・紹介していこうと思い執筆を開始した。