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「天皇・皇后」と「胎児性水俣病」患者、異例ずくめの交流

ふたり 皇后美智子と石牟礼道子
(著:高山 文彦)
2016.02.03
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●水俣での天皇陛下の異例のお言葉

「ほんとうにお気持ち、察するに余りあると思っています。やはり真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたいものだとあらためて思いました。ほんとうにさまざまな思いをこめて、この年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方向に向かって進んでいけることを願っています」

2013年10月27日、天皇陛下が水俣病患者との会見・対話をした時のお言葉です。このお言葉だけでなく異例ずくめだった天皇皇后両陛下の水俣訪問を中心とした水俣病闘争史とも読めるノンフィクションです。

水俣病患者資料館語り部の会会長の緒方正実さんが、訪問された両陛下に水俣病の歴史を講話することになりました。けれど緒方さんは、「どうせ自分がいちばん言いたいことなど握りつぶされてしまうだろうと勝手に忖度(そんたく)して、あたりさわりのない内容」のものを講話の原稿として送りました。けれどその原稿は「天皇から却下」されてしまいます。

陛下は「水俣病患者としていちばん苦しかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと、そしてご自身のご家族のことをお聞きになりたい」という意向をお持ちだったのです。ここに両陛下の水俣病問題への強い意志のようなものを感じるのも、それほど的外れではないと思います。

あるいは両陛下の脳裏に雅子皇太子妃の祖父(江頭豊氏)がチッソの社長(後に会長)であったこともよぎっていたのかもしれません。そのことに触れた高山さんの「本来なら、天皇皇后よりも先に皇太子夫妻が水俣を訪れるべきなのだ」というくだりはさまざまな思いを読む者に感じさせるのではないでしょうか。

緒方さんが話したのは水俣病の激しく苦しむの症状だけではありません。周囲の無理解からくる差別、偏見の日々の中で生きてきた緒方さんは、病であることを隠し水俣病と向きあうのを避けていたこともありました。つらい告白だったと思います。けれど「自分が求めていた本当の幸せとは、隠し続けることでもなく水俣病から逃げ続けることでもないことに気づき」正面から水俣病に向きあうことを決意したのです。そこからも新たな苦痛と闘争の日々がありました。そのような自身の来歴だけではありません。緒方さんは、はっきりと「水俣病は日本の政策のものとで起きた失敗だと思います。そして水俣病問題は現在いろんな問題を残しています。けして終わっていないことを両陛下に知っていただきたいと思います」と話したのでした。

●石牟礼道子さんの手紙が生んだ訪問

緒方さんのこの講話の後に、冒頭の天皇陛下のお言葉がありました。通常ですと「つぎの行事」に移るものを、緒方さんの講話を聞き終わった両陛下は立ち上がることはなく、「彼(緒方さん)に向かって一礼した天皇は、坐ったまま彼の顔をじっと見て例の言葉を述べはじめた」のです。異例なことはこの講話だけではありませんでした。その後の「弾き語りの歌唱」の後にも起こったのです。歌唱に参加した人々ひとりひとりに両陛下はじっくりと時間を気にすることもなく話しかけられました。それは高山さんが「平成の天皇史のなかでも特筆される出来事だったのではないだろうか」とまで記すことだったのです。

水俣病患者たちとの面会のきっかけをつくったのが、水俣病の実態を世に問うた名著『苦界浄土』の著者、石牟礼道子さんでした。ある会を通じて知りあった石牟礼さんは美智子皇后との間に「二人にしかわからない深い心の交流が生まれて」いたそうです。ある時、石牟礼さんに「今度水俣に行きます」と話された皇后へ石牟礼さんは手紙をしたためました。「胎児性水俣病の人たちに、ぜひお会いください」と。この1通の手紙から異例ずくめの訪問が始まったのです。

そして両陛下は決心されます、「資料館を訪ねるまえ、日程にあげられていなかった胎児性患者二人との面会」をしようと。これは直前まで周囲にも話されなかった面会でした。「官製のスケジュールから外れたところでの」面会、病状のため聞き取りにくい患者の声に「たいへん辛抱づよく、熱心に」耳を傾けられた両陛下の姿がそこにはありました。このノンフィクションが読む者に大きな感動を与えるひとつのシーンだと思います。

●〝もだえ神様〟となった人びと、そして両陛下もまた……

この本の中で、石牟礼さんが〝もだえ神様〟というものを紹介しています。「水俣病患者が塗炭の苦しみにあえぐそばで、どうにかしてその苦しみを癒してやりたいと願いつつ、どうにもしてやれずに人びとはもがく。自分にいったい、なにができるのだろうか。なにもしてやれないのがつらい、と言う人に、『一緒にもだえてやりなさい』と、石牟礼さんは言うのである」と。たとえ患者さんに会えなくても「患者さんは、ちゃんと知ってくれとります。あの人は、昨日もうちの軒先まで来て、自分と一緒にもだえてくれとりました、と」。「そういう人のことを『もだえ神様』と呼ぶのだ」そうです。それは絶対的な〝共感力〟、〝共振力〟とでもいうものなのでしょう。この本は水俣病闘争史を縦軸にして〝もだえ神様〟のありようを追ったものだともいえます。

この〝もだえ神様〟とは誰でしょうか。もちろん水俣病患者によりそう石牟礼さんであり、支援活動を続けている渡辺京二さんであり、患者たちの周辺にいる無名の支援者であることは間違いがありません。けれどその人たちだけではありません。高山さんは水俣病患者を見舞った皇后陛下、さらには天皇陛下をもそうなのではないかといっているのです。

さらに〝ふたり〟とは誰のことを指しているのか……。もちろん美智子皇后陛下と石牟礼道子さんであることは間違いありません。けれど読み進めるのにつれて、水俣病問題で苦しく、激しい闘争を続けてきた石牟礼さんと渡辺京二さんのことをいっているようにも思えてきました。

「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」
翌年1月に発表された天皇の御製の一首です。

国にも企業にも踏みにじられながら戦い続ける水俣病患者たち、彼らを忘れずにいる天皇皇后両陛下の姿がうかがえるように思えます。この本は魂があらわれるような清冽なノンフィクションであり、日本の経済成長の裏にあったもの、忘れてはならない歴史を綴ったものです。そしてまた日本人のありようを考えさせられるものでした。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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