「戦後史の知識と理解が、現在の情況や、日々起きてくる事件・事象を考察し、分析する能力の前提になる」、つまりは「戦後史をがわからなければ、いま起きていることの本当の意味がわからない」という福井さんの熱い思いで貫かれた1冊です。
冒頭に安倍首相の現代史に対する無知・誤認への指摘があります。「政治家としての資質が問われる」ようなポツダム宣言の認識、満州国に対する誤認など戦後史に対する無知には福井さんならずとも驚かされますが、福井さんが言うようにそれらの発言は「ジャーナリズムで大きく取り上げられることもなく、そのまま見過ごされて」きました。現代史・戦後史の上に私たちの未来がある以上、それらの誤認は正さなければならないと思います。歴史の無知の上に未来を築いてはならないからです。
この戦後史に福井さんは「虫の目」と「鳥の目」を交互に使って迫っていきます。「生きる人を自分の等身大として、息づかいや肌合いまでをもとらえようと」する〝虫の目〟と全体を俯瞰する〝鳥の目〟、その2つの視点から歴史を捉えた試みがこの本です。
敗戦後「日本の「非軍事化・民主化」を具体化する五大改革指令」をGHQは出します。ちなみに五大改革とは以下のものです。
(1)婦人の解放……婦人参政権など
(2)労働組合の奨励……労働三法など
(3)教育の自由主義化……教育基本法・学校教育法・教育委員会法など
(4)圧政的諸制度の撤廃……治安警察法・治安維持法などの廃止
(5)経済の民主化……財閥解体・農地改革など
こうして出発点を押さえてみると、その後日本がどのような変貌を遂げていったのかよく理解できると思います。そして、その目的はどこまで達せられたのか、この改革によって日本人の意識がどのように変わったのか、どのように民衆の生活に影響したのかを生き生きと描き出していきます。
政治・経済の事件だけを追うものではありません。敗戦後のいわゆる焼け跡・闇市、それらが生んだ文化や風俗について詳細に語られています。太宰治、坂口安吾ら、無頼派と呼ばれる作家が大活躍しましたが、それもまた戦後の解放が生んだものだったのがよくわかります。彼らだけではありません。同時代の出来事として丸山真男、大塚久雄という学者の登場もまた、その解放が生んだものでした。このような叙述に「虫の目」と「鳥の目」をつかいながら歴史を重層的なものとして描き出そうという福井さんの強い意志が感じられます。
そして日本国憲法の制定。この憲法に示された立憲主義は今ますます重要になってきているように思います。ちなみに立憲主義とは「憲法によって国家権力を制約することにより、個人の人権を守ることです。国家権力の肥大化を抑えるのが、近代民主主義」というものです。日本国憲法の成立は1つの成果ではあるもののそれで民主主義が完成したわけではありません。憲法のもとでそれまでの民法、刑法の改正がどのように行われたのか、またどこでその改正がせばめられたのかまで詳述されています。
そして大きく歴史が動きます。冷戦下でのいわゆる〝逆コース〟の始まりです。この本の後半はこの逆コース後の日本の動きを追っていきます。
55年体制、高度成長、安保闘争、学園紛争、オイルショック、狂乱物価、バブルとその崩壊、そして冷戦の終焉と国際紛争・テロの時代へと日本は歩んでいます。的確に記述された現代という姿を一望にできます。
最後に福井さんはこう記しています。
「「戦後七〇年」、大きな転換期で筆をおきます。来年のいまごろ、日本がどうなっているのか僕にはわかりません。多分、誰もわからない、わかっているようなことをいう者は詐欺師かもしれません。そのような「歴史的現在」にいるのです」
誠実に語り続けた後の言葉としてとても重く感じられます。
ところで、読み進めるとこんな一節に出会いました。1966年中央教育審議会が佐藤栄作内閣に出した答申「期待される人間像」にふれた部分です。
「日本社会の大きな欠陥は、社会的規範力の弱さにあり、社会秩序が無視されることにある」、また「日本人は社会的正義に対して比較的鈍感である」と断定している答申に対してこう福井さんはこう反論しています。
「一種の愚民観とも取れますね。そんなどうしようもない日本社会や日本人だから、「国家を正しく愛することが国家に対する忠誠であると」(略)そんな「日本人」を「期待」したようです」。
教育とはそのようなものではありません。「教育は、教育を受ける者のためにおこなわれるもので、教育を受ける者のよりよき自己実現の手伝いをするだけです。(略)教育は、国家が「こういう人間をつくる」ための手段ではありません」。
近頃このような〝期待される人間像〟というものがゾンビのように復活してきているように思えます。掛け声勇ましい〝一億総活躍社会〟もなにやらかつての〝一億一心〟を思わせたりもします。〝一億一心〟がその国民運動に疑義を呈した人たちを排除したように〝一億総活躍社会〟も国が認める〝活躍〟ができない人を排除することがないとはいえません。弱者の居場所がないとまでいわれる今の日本に、どうしてこうなってしまったのか、出発点はどうだったのかを知るときにはうってつけの1冊です。読みやすく、その時代の空気がヒシヒシと感じられる見事な戦後史です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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