歴史に学ぶとはどういうことなのか、ということを体現している本です。書名から時務情勢論のように感じられますがそんなことはありません。謙虚に歴史から学ぶ、歴史が語りかけてくれることにじっと耳をすましている実証史家としての保阪さんの姿が浮かんできます。
安倍晋三首相の歴史感覚の危うさを指摘するだけでなく、私たちがともすれば見失いがちになる私たち自身の今のありようにも警鐘をならしています。
安倍首相のヤジに触れた章でこのようなことが紹介されています。
それは国家総動員法案委員会でのことでした。法案説明に足った佐藤賢了軍務局長が「軍部の立場から政策論を長々と話だした」のです。逸脱した発言内容に委員の宮脇長吉が抗議すると「佐藤は、「黙れ!」とどなったのです。
保阪さんは安倍さんがこの軍事指導者に似ているということだけを言おうとしているのではありません。
「法案を通してほしい行政府の側が、命令口調で立法府を侮辱していること」
さらには
「国家総動員法は結果的に国会を通過するが、この法案が太平洋戦争そのものの悲惨さを証明することになった。行政府の側も立法府からその権限を奪い取ろうとしたわけだが、立法府もまた近衛新体制を目ざしてこの法案を機に政党の解体への動きが出てくる」
そして
「昭和史が教えているのは、こうした法案が提出されたときには立法府自体も自らの存立基盤を考えることなく、行政府の下請け機関でかまわないといの計算が先に立っていたということだ」
“殷鑑遠からず”とはこのことでしょう。
「「国会が死んだ」という状態になってほしくないが、そのようなプロセスが立法府の内部に宿っていたことを私たちは知らなければならないだろう。「黙れ!」と「早く質問しろよ」は、ささいな行政府からのやじに見えるが、その本質は決して侮れない。その背景には、暗い過去が垣間見えるという想像力を持つべきではないか」
保阪さんのように、現実を歴史の教訓を忘れることなく捉えられる視点を私たちは持つべきではないでしょうか。
議員の劣化としか考えられない出来事が起きています。行政権力のもとに立法府も司法もその存立を脅かされているとでもいうような事態に私たちは直面しているのではないでしょうか。
内閣総理大臣は言うまでもなく“全権委任された存在”ではありません。“政治的判断”“政治的決着”というのは行政府の独走・暴走を追認する言葉ではありません。立法府は政府の法案、行動を追認するものではありません。
また政治はどのようなものであり結果を伴うものであり、政治家はその結果責任を負うものです。
敗戦時、日本中のあちこちで火がたかれました。さまざまな書類を焼却するために。それは戦争責任(結果責任)を逃れるためでもあったそうです。過去を検証するための重要な書類も焼かれました。それは過去を封印して、なかったものにすることでもあるのです。なにやら政治(家)の貧困を象徴しているような行動です。
「あの戦争を、政治や思想という尺度でなくて、あたりまえの人間的な目で真っ当に解釈すべきだということです。客観的に実証的に、そして謙虚に史実と向き合えば、見えてくる歴史的な知恵があるはずです」
その知恵で、今をとらえかえすことがなによりも必要なことだと思います。この視点で書かれた「慰安婦問題試論」は必読です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。