昭和31年3月16日、衆議院内閣委員会できわめて興味深い公聴会が開かれました。岸信介さんたちが中心になって提出した法案「憲法調査会法案について」の公聴会でした。内閣のなかに憲法調査会を持つことを提案したものですが、議論はその是非だけでなく、日本国憲法そのものの意義、意味を問うものになっていきました。この本は白熱した議論が闘わされたこの公聴会の記録を再現(復刻)したものです。
昭和31年といえば、日本国憲法公布後10年、対日講和条約が発効して4年後、「吉本隆明らが文学者の戦争責任論を提起し、丸山眞男が『現代政治の思想と行動』を刊行したのもこの年」というころでした。この時代背景も知った上で読まれるといいと思います。
公聴会の記録に登場するのは公述人として、神川彦松さん(国際政治学者)、中村哲さん(政治学者)、戒能通孝さん(法社会学者)の3人の碩学。質問に立ったのは、自由民主党から山崎厳さん、眞崎勝次さん、辻政信さん、大坪保雄さん、日本社会党から石橋政嗣さん、片島港さん、飛鳥田一雄さん、茜ケ久保重光さんの8人でした。
まず憲法調査会自体への疑義が表明されます。
「内閣が(略)憲法擁護の義務から、とくに憲法を守っていく、こういうことを十二分にしてきたならいいですが、その逆に、憲法に違反する事実が出てきた場合に、そのほうに加担して憲法の条文を再検討する、こういうことは、本来九十九条でいう憲法擁護の義務をもっている政府や国会の方々としては、どうもその責任をはたしているように私どもには思えない」(中村哲さん)
「内閣は、けっして国権の最高機関ではございません。したがって国権の最高機関でないものが、自分のよって立っておるところの憲法を批判したり否定するということは矛盾でございます」「内閣総理大臣以下の各国務大臣は、いずれも憲法自身によって任命された行政官でありますから、したがって憲法を擁護すべきところの法律上の義務が、憲法自身によって課せられているのでございます。(略)したがって、内閣がこのような義務を負いながら、現行の憲法を改正するということを前提とするような憲法調査会を置くというのは、まちがった考え方ではないかと思います」(戒能さん)
いまでも問題になっている内閣による解釈改憲という、行政府の暴走に異議を唱える発言のようにも思えます。
この日本国憲法で必ず問題視されるのはその成立過程です。占領下、マッカーサーの指導のもとに成立した日本国憲法はマッカーサーによる押しつけ憲法であり、日本人が作ったものではないということです。神川さんがその不当であることを問題提起しています。神川さんは他方で「およそ権利だろうが、自由だろうが、自分の力で戦い取らないかぎり自分のものになりません。(略)外国から押しつけられてもらった権利は自分のものになりません」という考えをも打ち出しながら公聴会での質疑に答えています。といっても闇雲な改憲論者ではありません。
「日本の憲法制定権を代表している日本の国会が無効の宣言をし、そうして続いて国民投票についてもいちおう念のためにやってみて、日本の国民投票の大多数が大賛成と言えばそれは私はよろしい、こう思うのであります」
という柔軟な姿勢をもうかがわせています。
この現行憲法の国民投票による審判という提案は少し前にもあったように思います。現行憲法がどのような正統性に基づくものであるかということにつながるものです。成立過程の問題は、単なる手続き的なものだけではありません。神川さんがいうように、誰が何のために何を勝ち取ったか等ということが含まれているのではないでしょうか。
では現行憲法にはなにが含まれているのでしょうか。
「現在の憲法ほど各国の憲法に比べて民主主義的であり、平和主義的であり、しかも基本的人権の保障においてよその国よりも厳重であるという憲法は──私は比較憲法上はこれがもっともすぐれた憲法だと思います」(中村さん)
と成立過程を考慮しても日本国憲法の内容の普遍性、卓越性を主張しています。これは成立過程がどのようなものであれ、卓越した理念が込められているのであればその理念の普遍性への信頼を大事にすべきであるということだと思います。これは第9条を守る、という現在の護憲派に通じる考え方だと思います。
ここでは憲法とは何かということが問われているのだと思います。もちろん憲法が基本的人権の保障等、国家権力の暴走を止めるためのものであるのはいうまでもありませんが、それと同時にどのような理念をこめた国であろうとするのかということを表明しているのではないでしょうか。
激しいやりとり、その中には出席者の戦中、戦後の姿勢を問うものもありました。この本に記された意見に対する諾否、賛成・反対は読む人の考え方によると思います。けれど少なくともここの白熱した議論がすべて自分自身の信念・思想に基づいた言葉なのだということは確かだと思います。昨今の「党是だから」とか「時代にあわない」とかという改憲論議とは違う、深みのあるものがここにあります。この深みのないところで交わされているのが現在の護憲、改憲論だと思えてなりません。
この公聴会後に憲法調査会法は成立し、翌年昭和三十二年に首相官邸で憲法調査会総会が開かれることとなります。その後「このとき成立した憲法調査会法は、昭和四十年六月に廃止されています。現在は衆参両院に二〇〇〇年から憲法調査会が設置」されています。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。