歴史の綴り方というものにこういう方法があるということを今さらながら感じさせるものでした。ここには(変ないいかたですが)柳田さんが見て、生きた事実しかありません。それが生活史というものだということに改めて気づかされました。
ある節の書き出しに何気なく
「明治三十四年の六月に、東京では跣足(はだし)を禁止した」
と書き出されていますが、それまで跣足は一般的だったのでしょうか。柳田さんはそれを衛生上の理由とか「対等条約国の首都の対面を重んずる動機」と記した後で、その検証を始めます。
「最初の跣足禁止は足と地面との間に、何か一重の障壁を設ければよかったので、あるいは草鞋(わらじ)の奨励といったほうが当たっていた」
「それがたちまちにして今日の足袋全盛になったのは決して法令の力ではないのである。武家階級の上下を一貫して、素足はもと礼装の一部であった」
ことを突き止めます。この跣足の話は木綿の力(柳田さんには『木綿以前の事』という著作があります)への人々の開眼(!)を経て続き、
「男女の風貌はこの六十年間に、二度も三度も目に立ってかわった。それは単なるお化粧の進歩ではないのである。男のほうでも男らしさの標準というものが、だれ定むるともなく別なものになった。そうして常に現在のものが正しく、振り返ってみればみな少しずつおかしい」
という風俗姿にまで話がおよんでいきます。そして、その変化をもたらしたものとして
「気を付けて見ると、いずれも履物の影響が大きかったようである」
と、私たちが普段使っているものからの影響を見逃さず指摘しています。今でも私たちは、自分で選んでいるようでも、すでにあるものからの影響を受けていることは見やすい道理だと思います。「そうして常に現在のものが正しく」というあたりに柳田さんの批判精神を見るのはいささか、うがち過ぎかもしれませんが……。
こんな一節もあります。
「一度世間へ出てしまった人の故郷観は、村生活の清さ安らかさに対しての賛歌が先に立ち、これに次いでは後に残った者の寂寞無聊に対しての思い遣りがあった。(略)故郷の山河は明らかに美しく良くなっていた場合にも、なお決して以前ままとは言えなかった。多くの記憶の裏切られていることが、普通には零落の感をさえ抱かしめたのである」
そして「村が経済的には衰えなかった場合にも、なおわれわれの古い故郷は、退歩しなければならなかったのである」
村は「勢力の中心」の移動によって変貌をとげさせられていたのです。その流れに追い打ちをかけたのが「明治二十一年の市町村制」の実施でした。この制度による町村の合併は「十七万幾千の村と町とを、大まかに一万二千ほどに纏めてしまった」のです。この時、あるいは今に続く日本の原型ができたのかもしれません。
この本はたとえば村の変貌への哀惜を綴ったというようなものではありません。変化を見据え、その中にあって変わるもの、持続し続ける(変わらぬ)ものを発見し、そのよってきたるところを探り続けたドキュメントなのではないかと思います。衣食住に加えて恋愛(柳田國男さんは新体詩人であり農政官僚でした)や野次馬根性までその観察眼はおよんでいます。
この本に描かれた世相がそのまま今の日本に当てはまるかどうかはわかりません。けれどここに描かれて入れるものが私たちの無意識の中にあるといわれても驚かないのも確かではないでしょうか。古き日本を知るということではなく、今の私たちの位置を映し出す助けになるのだと思います。(それにしてもこういう長編を初め、著作の多さを考えるとこの人はつくづく肺活量の大きい人だなあと感心してしまいます。これが柳田民俗学の大きさ、広さなのでしょうです)
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。