戦後70年がまもなく終わろうとしています。来る年が戦後71年と呼ばれるのか、それとも(テロ)戦前〇〇年と呼ばれるようになるのかは誰にもわかりません。
色川さんの戦後70年の歴史を綴る筆致は実証的であり、分かりやすく、その時々の出来事をどう捉えるべきかを的確に叙述していきます。どの出来事をも複眼的に民衆からの視点を手放さずに、どう考えるべきなのか、その時なにが問われていたのかを捉え返しています。たとえば高度成長の裏側で引き起こされた環境問題のひとつ、水俣病の調査にも色川さんは積極的に加わります。その時には「学者がいちばん稔りある時期を専門外のそんなことで潰してどうする」と、ある学者からいわれたそうです。
その助言(?)にもかかわらず、色川さんは10年余に渡り水俣病の調査を続けます。その中にこそ歴史家を超えた色川さんの〝人として生きる姿勢〟というものがうかがえます。民衆の視点を手放さず、反戦、民主主義、反核、環境問題と積極的な市民活動をおこなってきた色川さんの生き方があります。
この本では戦後日本の歴史的な事実の叙述とともに数多くの色川さんの日記が引用されています。けれどそれは色川さんが提唱していた〝自分史〟というものの延長ではありません。むしろ「自分史でもなければ、民衆史でもない、それらを含んだ全体史、国民体験史の総合叙述」をするためであり、その時々の時代の空気を余すところなく伝ようとしたものです。「民衆の一人である私がどう生き、何を考え、何を痛覚したか」という記録は、歴史を過去のものとして終わらせることなく、いつも〝今〟として向かうべきだという色川さんの姿勢なのだと思います。
この本の末尾近くに次のような日記の一節が記されています。「安倍自民党政権は戦後七十年間、平和に暮らしてきた日本を、米国とともに戦争できる国に変えようとしている。それなのに国民の多数は、まだこの政権を支持している。〝この民にしてこの首相あり〟と諦めることはできない」。さらには「愚衆はこんども目先の景気のこと、ゼニ・カネのことばかりで日本の命運をこの安倍晋三なる饒舌な右傾の策士に委ねたとは! 寒気しんしんとして身に沁みる」と続けられています。
「愚衆」と書くほど色川さんの危機意識は強いのです。色川さんは、北村透谷の研究家であり自由民権運動の研究家でも知られる歴史家です。自由民権の研究者として名著『明治精神史』を著し、さらには明治の民衆自身が作った、憲法草案(私擬憲法といいます)のひとつで千葉卓三郎さんが中心となって作った〝五日市憲法草案〟を発見し、研究したことでも知られています。いってみれば民衆の持っているエネルギー、可能性を一貫として深く追求した歴史家でした。ちなみに、この〝五日市憲法草案〟は美智子皇后陛下が感銘をうけたことでもよく知られています。
その色川さんが発した「愚衆」という言葉を私たちは重く受け止める必要があると思います。政治の〝劣化〟ということがしばしばいわれますが、それは同時に〝民衆の劣化〟であることをも意味しているのです。もちろん、色川さんは大衆を軽視する愚民論者などではありません。民衆の可能性を信じているからこその発言にほかなりません。
「私たちはまさに国際テロと紛争が流動する時代に入っているのである。この地上に安全なところはどこにもないと、嘆かれる時代にさしかかっている。(略)それらを考えれば、古めかしい集団的自衛権などを持ちだすとは、笑止の沙汰を通り越して危険である」。「日本はどの国、どこの人をも敵としない憲法を持つ平和国家」であり、そのことに基づく国際的な人道支援、災害支援が国際的にも高く評価されていることにふれて「その誇りと名誉を傷つけてはならない」と断じています。
その上に立って、色川さんは日本の戦後の平和についてこう記しています。「こういう実績を持てたのは単に戦争を禁じた憲法九条があったからではない。国民の大半が平和を切に望んだからだ」。けれどそれがあやうくなっていると警鐘を鳴らしています。かつて国民の多くが願った平和への思いはどこへいこうとしているのだろうか、今の日本の歩みはそれらを受け止めているのだろうかと。
自らを「過去の遺物」ともいいながらも「遺物の経験と智慧を伝えておきたい」という思いがあふれている本です。ここに綴られた70年の歴史は少しも〝閉じた〟ものではありません。色川さんの言葉をどのように受け止め、受け継いでいくかということを考えさせてくれるものでした。歴史学者として、また市民活動家としてさまざまな形でその時代の日本というものと関わりながら生きてきた色川さんの総決算ともいえるものだと思います。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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