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震災列車から生還した著者が紡ぐ「死者の声」が聞こえる物語

やがて海へと届く
(著:彩瀬まる)
2016.02.02
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■生きてきた証は遍在する。聞こえない死者の声をたしかに聞くための物語

2011年3月11日、未曾有の被害をもたらす東日本大震災が起きました。翌12日には福島第一原発が爆発し、その周辺地域には大勢の避難者と放射線の汚染が発生、国内はもちろん海外にも大きな衝撃を与えました。

人の記憶力というのはほんとうにいいかげんなもので、あれほど「忘れない、こんな大きなできごとを忘れるはずがない」と思っていたのに、5年が経過したいま、私の中でもその日のできごとはうすぼんやりした頼りない記憶になってしまっています。当時は何度か現地に足を運び、ボランティアのまねごとをしましたが、最近では日々の忙しさにかまけ、すっかり過去のできごととして追いやってしまい、思い出すことすらありませんでした。まだ回復していないものは東北の地に、人の心に、数多くあるにも関わらずです。

著者の彩瀬まるさんはこの5年前の震災のとき、ひとりで東北を旅行中に被災した体験を書き、『暗い夜、星を数えて-3・11被災鉄道からの脱出-』(新潮社)という本にまとめています。津波で大きな被害を受けたことで知られるJR常磐線新地駅に緊急停車した列車に乗っていた著者は、たまたまその列車から降り、徒歩で内陸部に移動していたことで、無事生還することができました。ただ、「死んでいたかもしれない」「一人で死ぬのは怖い」という心に刻まれた思いが、その後の創作活動に大きく影響を与えていることは想像に難くありません。

「真っ暗だった」「真っ暗で何もない」という震災のときの心象風景、それを抱えながら生きるのは辛いと、著者は「回復のための物語」を紡ぎました。それがこの『やがて海へと届く』という著者2作目の長編小説です。

少し長く生きていると気づくことがあります。それは「どうやら人は平均寿命まで生きるとは限らないらしいぞ」ということです。「人生80年」「日本人の平均寿命は世界一長い」と言ったところで、そのはるか手前で、何かの必然があるわけでもないのに、思いもよらず死んでいく人は少なからずいるものです。

よく考えれば当たり前のことなのですが、多くの人がそのことを往々にして忘れて生活をしています。そしてその一方で、ただダラダラと生き残っていたところで、たいして世の中の役に立ったり世界を変えたりしているわけでもない自分は、なんらかの価値があるのだろうかと根本的な疑問にぶつかるのです。

ホテルのダイニングバーで働く主人公の真奈。親友のすみれは震災の前日東北地方へ旅行に行き、そのまま行方がわからなくなって数年が経っています。すみれと同棲していた遠野がすみれの荷物を片づけると言い、すみれの母親はそれこそもっと早い段階で気持ちを整理してしまったように見えます。

キラキラしていて、これからもキラキラしつづけるだろうと思っていた親友が消えてしまい、もう会話もできない、手もつなげないことをどうしても納得できない主人公は、そのころ、また新たにもう一人の突然の死に出くわします。

現実の真奈の生活と、夢のような世界が交互に描かれ、どちらも変わらない繰り返しのようでいて、少しずつ変わっていくさまは、あたかも流れていく川の水のようです。生者の世界も死者の世界も直接は行き来できないのにどこかでつながっていて、ときおりガッと強い水流によって一部が混ざりあう感覚。あの震災を体感した人であれば漠然と知っているのではないでしょうか。

死んだ人間であっても多くの人生に、よいとか悪いとかの評価を越えたところで、あきらかに影響を与えていることが、読み進んでいくうちに自然と伝わってきます。生きている人のそれとほぼ同じような重さと軽さとでです。心霊話やオカルト、奇跡をひっぱりだすまでもなく、人が生きてきた証は至るところに存在し、関わる周囲の人生をちょっとずつ動かしているのだと、少なくとも私には感じることができたのです。

レビュアー

小倉美保

1965年生まれ。埼玉で育ち埼玉に暮らす編集者。

1994年、出版社「ぶなのもり」(http://www.bunanomori.jp/)を設立。
おもに国際ファミリーや在日外国人、女性、児童関連の記事を執筆、編集している。
津田塾大学在学中から海外をフラフラ。国内でもエスニックレストラン回りに余念がない。
ここ数年は男性声優の世界にはまっていて、抜けだせないでいる。

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