著者は「途上国から世界に通用するブランドをつくる」を哲学に展開している会社、「マザーハウス」の社長で、社会起業家として各方面からも大いに注目されている山口絵理子氏。テレビや雑誌のインタビューなどで見たことがありますが、若く見目麗しく、いかにも聡明な印象の女性です。
高尚な理念と健全な経済活動、付加価値の高い商品……。そのあまりの完璧ぶりに、凡人にはちょっと腰のひけるプロフィール。にもかかわらずそれとのギャップとも言える格好悪さ、泥臭さで私を引きつけているのが、彼女の半生記を本人自身の言葉で綴った2冊の本、『裸でも生きる』、『裸でも生きる2』です。
ビジネスで海外に出向き、トラブルに遭ってさんざん大泣きした後に、著者は立ち上がり、毎回全力で問題に対処していきます。往々にしてその対処法が格好悪く、泥縄にすら見えるので、「そこまで正直に書かなくてもいいのに」と、読んでいる側がハラハラさせられることになるわけです。
小学校でいじめられ続けた経験から教育に関心を持つようになり、中学でグレ、高校では柔道にばかりかまけていたものの一念発起、大学進学を志した著者。進学した先の慶応大学で開発経済学に出会い、米州開発銀行のインターンを経て、アジア最貧困の国、バングラデシュにそのフィールドを求めることとなりました。
以来、バングラデシュをはじめ、ネパール、インドネシアを生産拠点とし、同情や寄付でなく商品の魅力で売れるものをつくり、販売している「マザーハウス」は今年、誕生10周年です。東京の有名百貨店や路面店、はたまた香港、台湾にも進出し、いまや20以上の店舗を構えるまでになっています。
困難を乗り越え、バングラデシュでバッグを作り、日本で売るようになるまでが前作で、『裸でも生きる2』はそれに続く第2弾です。前作の時より会社はぐんと大きくなり、舞台はバングラデシュからまだ共和制になって間もないネパールへと移っていきます。
荒削りな文章、オープンにできない事情も多いせいか、けっしてわかりやすいとは言えない経緯の説明は、正直読んでいて少々歯がゆいです。世界各地を飛びまわり、積極的に企業活動を展開するのですが、著者は年中トラブルに巻き込まれます。ビジネスパートナーや信頼していた人に裏切られ、商売の根底をひっくり返されたりします。そしてそのたびに著者は大泣きすることになるのです(前作の副題は「25歳女性起業家の号泣戦記」)。
この本に出てくる商売の現場があまり馴染みのない国々なので、著者の苦労はそのせいかと思ってしまいがちですが、おそらくそれだけではないでしょう。もちろん政情、治安、習慣や労働意識等、上げたらきりのないほどの違いはある地域での経済活動です。いろいろ問題が起こるのはなんの不思議もないことです。だからこそ一般の会社はそこをビジネスのメインフィールドにはしないし、するとしてももっと事前にいろいろ準備してから行くでしょう。そうはしない、できないところに著者と「マザーハウス」の魅力があるのだと思うのです。
世に経営者の成功譚を書いた本は多いですが、しばしばそれはなんらかの不条理な困難を見事な手腕や冴えた頭、周囲の支えで切り抜け、結果いまがあるという内容になっています。こうしたストーリーはたしかに読んでいても爽快です。ただし、その一方でどうしても嘘くささをはらんでしまうのです。そんな勧善懲悪のようなわかりやすいビジネスは、現実にはありえないでしょう。世の中、そんなにうまく行くはずがありません。さまざまな取り組みを短く1冊にまとめるうえで、都合の悪い事柄は往々にして排除されているものです。
泣くなんてとんでもない、騙されるなんて格好悪い、次々に襲いかかる新たなトラブルを全突破して、彼女は顔を上げつづけています。逃げれば「だから女は」と言われるこの舞台で、「どうやってもいいんだ、やりたいようにやって人生だ」と逆に開き直ってこその希望を、この本から見出すことができるんじゃないでしょうか。
私自身、小さな編集・出版の会社を経営している(いちおう)女性社長です。いろいろうまくいかなくて、いつもみっともない自分にうんざりさせられています。でも、生きるというのが、そういう有象無象の海に飛び込み、バタバタとみっともなく裸で泳ぐというようなものならば、キラキラした著者の表の顔のその裏に、ここまでの泥臭さ、みっともなさがあったことを励みに、もうちょっとジタバタしてみたくなってしまいました。
レビュアー
1965年生まれ。埼玉で育ち埼玉に暮らす編集者。1994年、出版社「ぶなのもり」(http://www.bunanomori.jp/)を設立。
おもに国際ファミリーや在日外国人、女性、児童関連の記事を執筆、編集している。
津田塾大学在学中から海外をフラフラ。国内でもエスニックレストラン回りに余念がない。
ここ数年は男性声優沼にはまっていて、抜けだせないでいる。