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2016.01.20

インタビュー

夫婦の「最期の喜び」は何か? 闘病1094日を看取った妻に聞く

2015年12月11日、夫婦の闘病エッセイコミック『はっちゃん、またね 多発性骨髄腫とともに生きた夫婦の1094日』が発売された。最愛の夫はっちゃんを見送った漫画家・池沢理美さんにお話を伺った。

池沢理美(いけざわ・さとみ)

1962年3月18日生まれ。2000年、『ぐるぐるポンちゃん』で第24回講談社漫画賞受賞。

美化せず本当のことを描きたかった。

『はっちゃん、またね 』P165
第13話「祈り」より。八郎さんの旅立ちのシーン。それまでの壮絶な苦しみから一転、緩和ケア病棟にて静かな最期を迎えた

──八郎さんの最後はあまりに壮絶で、とても「安らか」とはいえない表現でした。亡くなったお顔も目と口が開いたままでリアルというか。作中でも池沢さんご自身が「安らかなお顔で良かったって言ってもらえないよ」と話しかけていましたよね。

池沢:映画で見るようなきれいなシーンではなく、素直に本当のことを描こうと思っていたんです。加賀八郎の生き様を美化したくなかったといいますか、ありのままを表現したかったんです。とくに、生きているときと亡くなったときの境目を漫画でも分かるように、“目の光”で表現しました。

──光がなくなることで死が決定するという?

池沢:飼い犬のガッツ(第8話「いのち」にて死亡。)でも同じでした。呼吸がなくなって、目の光がなくなって。

看取る側であることを覚悟したときは?

『はっちゃん、またね 』P26
第2話「多発性骨髄腫という病」より。八郎さんの入院から1週間が過ぎた頃。主治医からあらためて病気の深刻さを告げられた帰り道

──八郎さんと池沢さんは本当にラブラブなご夫婦でしたよね。池沢さんも八郎さんが病気になる前に、「はっちゃんが先に死んだら、あたし生きていけない」とおっしゃっていたそうですが。

池沢:はっちゃんが元気なうちから、そんなことを考えて泣いたりしていたんです(笑)。本人にもよく言っていました。そしたら「そうなったらキミは生きていけそうにないね」って。どうしてバラバラに死ななければいけないのかと思うだけで悲しくて。死ぬときは一緒がいいのにと思っていたんです。

──そんなに仲のいいご夫婦で、池沢さんが看取る側になると自覚したタイミングっていつだったのでしょうか。

池沢:はっきり意識した瞬間はないんですよ。宣告されたときも、余命について説明されたりしてとにかく動揺してしまっていて。

──第1話での病院での宣告シーンでは池沢さんが呆然とされている様子が印象的でした。医師の「最善を尽くします」という言葉に「ドラマのセリフみたい」と思われていたり。

池沢:そのくせ入院費の高さに驚いてしまったり、完全にパニック状態でした。その後も原付で病院に通っていたのですが、道すがら月を見て「嘘だと言ってくれないかなあ」なんて思っていたり。 漫画にも描きましたが、宣告される前に八郎に現れていた色々な症状(鼻からの出血、物忘れ、ぎっくり腰など)がすべて多発性骨髄腫からくるものだと知って、もっと早く採血をしていれば……ということも頭をグルグルめぐってしまっていました。

──パニックから抜けた時は覚えていますか?

池沢:それも徐々にだったように思います。漫画で描いているシーンは症状の悪いところが多いのですが、多発性骨髄腫はいきなり悪くなる病気ではなかったんです。時間があるんですね。効果のある薬が見つかれば、調子のいい時が多くなって食べられるようになったり、ライブのリハもできていましたから。死の影が薄らいでいた時期もあったので、現実として自分に何ができるか考えることができました。

心の底からの「ありがたい」が増えた

『はっちゃん、またね 』P92
第7話「食べれる幸せ」より。合う薬が見つからず、吐き気と体重減少に悩まされていた頃。新しい薬によって食欲が回復。アイスクリームを完食したシーンには池沢さんの「ありがたい」が溢れていた

©池沢理美/講談社

──ご自分にできることとは?

池沢:薬や病気について調べることもそうですが、迫ってくる時間を大切にすることです。できる範囲の精一杯をすることと、気持ちを伝えることです。じつは彼が病気にかかってからも幸せを感じていたんです。体調が良くて、はっちゃんがニコニコしていると本当に嬉しくて。

──とくに食事シーンは読んでいて記憶に残るんです。ごはんを残さず食べられたときや、THE GOOD-BYEのメンバーが来てホームパーティをしたりするシーンは読んでいても幸せが溢れているように感じていました。

池沢:この作品を始めるときに食事シーンは私が描きたいことのひとつでした。

──退院して自宅での夕食後にアイスクリームにラム酒をかけて食べているシーンが印象的です。薬の副作用などで食事がとれない日が続いていたので、八郎さんが自ら食べるとおっしゃったのが嬉しい衝撃でした。

池沢:はっちゃんの「これ食う!」と言ったときの顔が描きたかったんです。食べ終わって吐き気も起こらず満足そうな顔が嬉しくて嬉しくて。アイスクリームを食べられたというだけのことがありがたかったんです。彼が病気になってから、心の底から「ありがたい」と思えることが増えました。たとえば透析の日に病院に行くと、入館手続きする受付の人が顔を覚えていて通してくれたこと。ほんの少しだったとしても気持ちをいただけると、「ああ、ありがたいな」と噛み締めていました。毎日を大切にしなきゃと考えるようになったんです。

もしいまのうちにやれることがあるなら──「2ショット写真を撮っておくこと」

池沢さんと「はっちゃん」こと加賀八郎さん
池沢さんと「はっちゃん」こと加賀八郎さん

──もし、大切な人が八郎さんと同じように病気にかかっていて、なにもできないと落ち込んでいる人がいたとしたら、どんな言葉をかけますか?

池沢:自分もそうだったんですが、精一杯のできることをすればいいと思います。相手には真心は伝わっているし、最後、本当に病状が悪化して苦しんでいるときは彼ひとりの闘いで私は視界に入っていないように感じていたのですが、そんなときも会話はあったんです。大きな後悔はありませんが、気持ちはもっと伝えればよかったかもしれません。本当は元気なうちから。時間があることはあたりまえなことではありませんから。

──以前から夫婦の会話は多い方だったとのことですが、さらにですか?

池沢:大事なことというよりは、ビールを飲みながらああだこうだ楽しくしゃべっている夫婦でした。入院してからもLINEのやりとりは頻繁にしていたのですが、「大好き」、「ありがとう」といった会話は多くはありませんでした。

──LINEといえば単行本のエピソードに収録されていた八郎さんからの最後のメッセージ「文かかるま」(亡くなる直前は意識障害によるミスタッチや混乱などが生じていた。)の意味が判明したとお聞きしました。その前の池沢さんからのメッセージが「これから行くね(病院に)」だったそうですが。

池沢:友人が本を読んで教えてくれたのですが、「何分かかるの?」じゃないかなって!その友人も近しい人が入院していて、よく友人にそう聞いていたそうなんです。それからあとに別の友人も同じように教えてくれて。タイムカプセルが開いた感じです(笑)

──池沢さんに早く会いたかったんですね!

池沢:やっておいたほうがいいことについていま思ったのですけれど、ツーショット写真は撮っておいたほうがいいかもしれません。夫婦のツーショットって案外撮る機会ないんですよ。猫と一緒に撮ったりはありますけど。写真を見返しても楽しいですし。ぜひオススメします(笑)。



表紙画像

多発性骨髄腫を発症した夫・加賀八郎(「THE GOOD-BYE」ベース、ボーカル)との日々を、妻で漫画家の池沢理美が描いた、夫婦の闘病コミックエッセイ。夫婦で過ごした切なくも愛おしい1094日間の物語です。感動の描き下ろしエピソード9ページと、「THE GOOD-BYE」メンバーからのメッセージも収録!

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