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写真界の三巨頭の足跡をたどり、写真を通して経験される「神秘」を伝える写真原論

2024.07.03
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物が在って、それが写る

〈物が在って、それが写る〉という単純極まりないありようをした写真が、世界の視えない深奥へと繋がっている──人々は、否応なくその写真の神秘に、世界の神秘を顕わすその写真の神秘にまで導かれたのだった。「〈視えないけれど、在るもの〉が在る」、そのことの並外れた示唆こそが写真なのだった。写真は窺い知れぬ世界の深奥を観させる──やはり言い表し難いそのこと自体が、真に人々をとらえて離さなかったものの正体だったに違いない。

心霊写真の話ではない。これは写真の本質についての話だ。
1839年、フランスでゲダレオタイプと名付けられた写真術が登場したとき「今日を限りに、絵画は死んだ」と言われた。何に人々は驚いたのか?

人は世界を視る。しかし、その世界のすべてを知覚するには情報量が多すぎる。ゆえに人間は、必要な視覚情報だけを残し、不要な情報を削ぎ落として世界を視る。しかし、写真は世界を取りこぼすことなく写し撮る。つまり、間違いなく世界に実在するが、人間にはほとんど見えない「細部」が写真には在る。その「細部」に人々は驚いた。そして、その細部こそが世界の深奥と繋がっている……と直感的に気づいていた、という話である。

本書は、写真が写し取る世界の深奥に魅せられ、戦前・戦中・戦後を生きた三人の日本人写真家の評論である。その三人とは、木村伊兵衛、土門拳、濱谷浩である。

である……、って。「木村伊兵衛といえば、木村伊兵衛賞の人。土門拳といえば、土門拳賞の人。濱谷浩は……、すみません知りません」という私である。ちばてつや賞におけるちば先生の偉大さは語れても、木村伊兵衛賞の木村伊兵衛の偉大さについては何も語れない。そんな“もの知らず”が、本書で後追いした三巨人の足跡は、とてつもなく長く高き頂を目指すものだった。西洋の産物である写真の本質を掴み、日本と日本人を撮り続け、激烈な変化を遂げる日本の表層から奥へ底へと潜った彼らの足跡を、ぜひ、スマホで画像検索をしながら追いかけてほしい。

三者三様の視点

「シャッター代りのレンズのふたを、「ひい、ふう」と数えて開閉して現像したら、あまりよく写ったのでびっくりした」

浅草の花やしきの露店で買った3円50銭で買ったおもちゃのカメラ。「あまりよく写った」という感動。9歳の木村伊兵衛は、そのシンプルで強い感動(これこそが初期衝動!)からから始まり、日本の写真史を先導していく。スナップ、報道、肖像、舞台写真を通して、日本や日本人に潜在する「なにか」を捉えようとする。

その木村伊兵衛を追うように登場した土門拳は、30歳で一生をかけて撮り続けることになる女人高野 室生寺の「弘仁仏」に出会う。その一方で、戦災孤児や傷痍軍人、原爆後遺症に喘ぐヒロシマの人々、三池や羽田闘争など社会派の写真を数多く遺している。なかでも写真集『ヒロシマ』の衝撃度は、60年以上経った今も生々しい。

麻酔で眠る患者の横顔。ローラーで大腿部から引き剥がされる生皮、目に入るその強い弾性。皮を剥がれて滴る血、ぬめぬめと濡れる肉のマチエール。人体に突き立てられた幾本もの手術ばさみ、その鈍い光。縫合糸とぴんと引き攣れた皮膚との荒々しい交渉。ざくざく荒々しい縫い目は横顔一面に広がり、目に、耳にと容赦なく食い込む。カメラはあまりに冷淡に正視する。

静謐に満ちた仏像写真と憤怒を感じさせる報道写真、どちらが土門の本質か? 私たちが感じる疑問を、若き日の大江健三郎が代わりに質問し、これに土門が答えている。

「素材的な見てくれは、動的なものと静的なもの、今日的なものと古典的なものと、まあ、違いますけどね、いまの生きている人間にかかわることとしては、同じじゃないですかね」

土門が視ていたのは対象物ではなく「命の流れとしての日本人がどう生きて、どう生きており、どう生きていくのか、過去・現在・未来」だ。その視線において、仏像も報道写真も同じ。もはや哲学的な命題にまで辿り着いた土門の視点を、根気強く明らかにしていく第2章は、本書の読みどころである。

この二人に続いて現れたのが、アジア人初の寄稿写真家としてマグナムフォトに迎え入れられた濱谷浩だ。彼の写真家としての出発点は民俗学にある。偶然に民俗学者・市川信次、渋沢敬三(渋沢栄一の孫。政財界で活躍しつつ、民俗学者でもあった)の知己を得て、記録写真を撮り始める。彼の代表作のひとつ『雪国』は、人の生活を容易に押しつぶしてしまう新潟県高田市(現・上越市)の厳しい自然環境と、そこで生きる日本人を収めている。ミノボシという防寒具に身を包んで雪道を歩く子供たち、目が見えない二人の瞽女が導き導かれ歩く姿……、生活、知恵、そこに住む人の心まで浮かび上がるような写真群は、すでにその風景を失った私たちの「なにか」を今も穿つ。

評論の力

と、ここまで三人の写真家について書いたが……、黒澤明、小津安二郎、溝口健二について2000字でまとめることなどできないように「無謀」だ。そもそも、これでは本書の面白さや、凄みは何ひとつすくえていない。なんとかここから挽回したい。

バカみたいな言い方になるけれども、本書の文章はとてもきれいだ。端正と言ってもいい。どこを切り取っても大学入試の現代国語の評論文問題になるような文章で、340ページの本全体が貫かれている。過剰になることも、扇情的になることも避け、正確な言葉を用いて分かりやすい文章にする。クセもない。これは強く言いたい。これはなかなかに書けない素晴らしい文章だ。

写真は、それ写真だ。見ればよい。そこから感じる物を受け取ればよい。評論を読む前に、見ればよいが、おおよそ人はこの三巨人の写真を見ていない。そんな見ていない一枚の写真について、著者は驚くほど丁寧に言葉を「掘り当て」ていく。先に引用したヒロシマの言葉はその良き例だ。私はこれを読んで、「ヒロシマを見なければいけない」と思って図書館へ行き、衝撃を受けた。びっくりしたし、気持ち悪かったし、いたたまれなくなったし、悲しくなった。言葉にできない写真について、まるで一木に鑿を当て、仏を削り出すが如くに言葉を紡ぐ著者の労苦には敬服する。

文章の素晴らしさは、一枚の写真についての解説だけではない。三人の写真家が、世界の深奥に辿り着かんと視続けたものを、著者もまた同様に視んと、写真を通して奥へ底へと潜り、探り、言葉にしていく。そしてそれが「こういう写真家がいました」「こういう写真を遺しました」というところで収まらず、終章で現在に切り込んでくるスリリングさも備えている。一級の評論である。ぜひ、ご一読を。

私はこれから図書館へ行って、濱谷浩の『裏日本』にある「田植女」を見てくる。

  • 電子あり
『日本写真論 近代と格闘した三巨人』書影
著:日高 優

江戸幕末期に日本に渡来した写真術は、日本が近代化を急激に推し進めた明治時代に社会に導入され、普及し始めた。遡れば、フランスでルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787-1851年)が「ダゲレオタイプ」と呼ばれる最初期の写真を開発したのは1839年。この新しい技術は日本の人々にも衝撃を与え、やがて西洋で流行していた「絵画主義(ピクトリアリズム)」という表現と技術の習得が求められていく。
だが、そうした時代の中で、写真という技法の恐るべき単純さに気づき、ただひたすらにその単純さを極めようとする者たちが現れた。その系譜に位置づけられるのが、本書が取り上げる三人の巨人――木村伊兵衛(1901-74年)、土門拳(1909-90年)、濱谷浩(1915-99年)にほかならない。
写真の単純さとは何か。それは「物が在って、それが写真に写る」という事実である。写真は、物が放つ光の痕跡であり、物が放つ光、渦巻く光の運動である物が写真におしとどめられる。この事実にこそ忠実であろうとした三人が、いかにして写真と出会い、その本質に気づき、それぞれの手法で、それぞれの対象を通して、どこに向かって歩んでいったのか。その軌跡を、本書はただ愚直に、ただ単純に追求していく。
著者は言う。「彼らは機械文明が戦争という頂点をなす戦前の激動期にそれぞれ写真に決定的な仕方で出会っている。彼らは、欧米化=近代化の問いを日本という土壌で強いられつつ、写真を自らが拠って立つ基盤として選び取って、写真に生きた写真家たちであった」。本書は、日本という場所でこそ花開いた写真の可能性を明らかにし、世界と写真という「神秘」は誰もが経験できることを示す、まさに写真原論と呼ぶにふさわしい渾身の一冊である。

[本書の内容]
序 章 写真なるものの出来──近代文明のただなかで
第一章 物への信仰に至る写真──木村伊兵衛という源泉
第二章 凝集する時間、満々たる写真のさざめき──土門拳という極北
第三章 潜在するふるさとに向かって──濱谷浩の継承と返礼
終 章 生まれ出づる写真家たちへ──知覚のレッスンに向かって

レビュアー

嶋津善之 イメージ
嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

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