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停滞する辺境の地は、なぜ大躍進をとげたのか。『ヨーロッパの出現』
いま、ヨーロッパは世界でもっとも密度のたかい文明をいとなんでいる。だが、当然のことながら、ヨーロッパとても、はじめからそのような形姿をあらわしていたわけではない。何百年、いや何千年の時間の歩みのなかで、自然をつくりかえ、社会と生活をうみだしてきた。本書では、その気の遠くなるような歩みをたどる。
かつては鬱蒼とした森が広がるばかりの大地に、人々は生活の基盤を作り、国を興し、文明を築いた。ヨーロッパがいかにして世界の表舞台に立つ存在になっていったか、それには果たしてどれだけの長い時間がかかったのか……。その歴史を一冊の本を通して語りきるのは誰が考えても至難の業だが、本書はそれをやってのける。もちろん、あえて語られない部分も多く、「出現」と題しているだけあって意外なところで幕が引かれるが、実に劇的なタイミングであるとは言っておこう。
西洋史の専門家である著者は、前書きで「通常おこなわれているような、通史のかたちを避け、むしろ、歴史を読み解くための立場をはっきりさせ、それに沿ってヨーロッパ史をたどってみたい」と語る。まさしく、その"目の置きどころ"が本書の魅力だ。著者が本書でとる立場についての記述を、前書きからもう少しだけ引用しよう。
第五に、ヨーロッパの歴史を、結果のわかった必然的なサクセス・ストーリーとしてではなく、予断の許されぬ事件の連続として描こうとしている。その事件とは、政治的事件ばかりではなく、文明の構造を動かすさまざまな事件のことをさしている。いうならば、ヨーロッパの出現そのものがひとつの事件であるといってもよい。
教科書的な固定観念から一歩離れて、長大かつ広範な歴史を捉え直す。そうした独自の視座を獲得することの面白さも、読者は本書から学ぶことができよう(念のため、歴史修正主義などとは全然違う種類のものである)。たとえば、西暦1033年に何が起こったか。あるいは1347年、1648年には何が起こったか。それらの馴染みのない年にヨーロッパの大転換期を見る視点の面白さは、教科書からは得られない。
歴史に名を残す英雄たちの戦いや、外地からの侵略、覇権をめぐる内地での攻防ばかりがヨーロッパの歴史ではない。より重要であると言ってもいい庶民生活の変遷も、本書では追うことができる。野蛮ですらあった人々の生活がいかに変化し、育まれてきたか。荒々しい自然が開墾されて農地が広がり、領主と平民の関係が形作られ、やがて都市が生まれる。その過程や実情のリアリティはどれも興味深い。
空間としては都市は、きわめてせまかった。周辺の農村にかこまれた小島のようだ。うねるような曲線路に、塵芥(じんかい)がつみかさなり、家畜と人間の糞(ふん)が異臭をはなち、ほうぼうから異様な騒音がきこえていた。居所もさだまらぬ浮浪の者たちが、残飯をあさり、ときには喧嘩(けんか)や騒擾(そうじょう)に人だかりがしていた。このようにぶざまな空間ながら、それこそがヨーロッパにうまれたあたらしい文明であった。
こうしたディテールが、たとえば映画や小説などのフィクションにおいてモデルになったり、作品世界を豊かに肉付けしたりする。中世社会の悲惨さを笑い飛ばした映画『モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリーグレイル』(1975年)や、近年では多崎礼のファンタジー小説「レーエンデ国物語」シリーズなど、我々に「現代とは全く考え方も生き方も異なる社会」があったのだと思い出させてくれる物語の紡ぎ手たちは、例外なく歴史を深く勉強している。優れた物語を生み出そうとするならば、歴史から学ぶことが必要不可欠であることも本書は気づかせてくれるだろう。
また、現代人のイマジネーションでは思いつかないような、奇抜な史実や慣習も教えてくれる。たとえば「シャリヴァリ」。中世から近代にかけてのヨーロッパ各地で、共同体のルールを破った者に対して若者たちがおこなった制裁行為である。
夕暮れのころ、若者たちが狼やら牛やら架空獣の仮面をかぶり、バケツやラッパをならして、行進する。めざす犠牲者はといえば、若い娘を口説きおとした年配の再婚男。妻に乱暴するとか、姦通(かんつう)するとかいう噂ののんだくれ男。夫の命令をきかないじゃじゃ馬女。とくに最初のやつが、かっこうの標的。
戸口をけやぶり、ねんごろに寄りそいあった、年齢不似合いの夫婦を、無理矢理つれだし、驢馬(ろば)にうしろむきにのせる。戸板にくくりつけて、かつぐ。こうして、口々に罵声(ばせい)をあびせて、村中をさらしものにする。しまいには、犠牲者は、金でつぐなうから勘弁してくれ、などといって、一件は落着する。むろん、若者たちは、その金で深夜まで酒盛りをもよおしたことだろう。
これらの牧歌的描写も楽しいが、やがてそんなのどかな時代も過ぎ去る。類い稀なる経済力や軍事力を身につけ、アジアやアフリカ、そして新大陸アメリカにも領地を拡大していった大国同士の勢力争いは、大いなる遺恨とともに、現在も地球上を覆っている。文明の発展に関しては、他の地域に比べるとだいぶ後発だったにもかかわらず、いまも西洋文明の代表者として堂々たる威容を誇るヨーロッパ。そのイメージは、本書で少し変わるかもしれない。
本書の原本は1985年刊行の『〈ビジュアル版〉世界の歴史7 ヨーロッパの出現』で、文庫化にあたって図版が改訂された。現在はさらに研究が進んだ古代史などの分野に関しては、初刊行時の時代を感じさせる部分もある。それでも、その歴史観の視座の確かさは、いま読んでも信頼できるものである。
- 電子あり
森と石、都市と農村が展いた後発のヨーロッパ文明は、どのようにして世界史の領導者になったのか。戦争・飢餓・疫病、ルネサンス・宗教改革・大航海を経てきたその歴史に建設と改新、破壊と停滞のリズムを読み取り、長大な文明を一つのシステムとして通観する。西洋史の泰斗による格好のヨーロッパ入門!
しばしば、ことに当のヨーロッパ人の歴史家たちがおこなうような、オリエント文明やギリシア文明から説きおこすヨーロッパ史は、ここでは斥しりぞけられる。それらの偉大な古代文明は、ヨーロッパ人にとっていとおしいモデルではあろうけれども、ヨーロッパとは異なる文明である。[本書「はじめに」より]
【目次(抄)】
はじめに
第一章 太古の大陸にて
第二章 建設と破壊
第三章 改新の世紀
第四章 精神と生活の範型
第五章 成人に達した文明
おわりに――持続する文明
付録
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。
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