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明治政府の鉄道開設から昭和末期の分割民営化まで。巨大組織「国鉄」の全史

国鉄史
(著:鈴木 勇一郎)
2024.01.12
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日本の近代史を読む

国鉄とは、分割民営化されてJRとなる前の組織の名称である――。

多くの人が、国鉄という機関をそのように理解しています。むろん誤りではありませんが、それでわかったことにしてしまうと、ここに宿った豊かなものをとりこぼしてしまいます。かくいう自分のように。

日本の近・現代史に興味をお持ちの方は多いことでしょう。この時代は諸説紛々あって統一見解を出すのが難しいため、学校教育で扱われることが少なくなっています。現代に直接つながっているわけですから、歴史上もっとも重要な時代と言い切っていいのですが、軽んじられることが多いようです。
だからなのかもしれません。この時代をある程度知っていると、ある種の選民意識みたいなものが芽生えてしまうのです。どう考えたって織田信長より板垣退助のほうがおまえの生活に関係あるんだよ、と毒づきたくなったり、おまえが近代知らねえのは戦後教育のせいだよ、とわかったようなことを言いたくなったり。

本書はまず、そういうひとりよがりの青二才のよい薬となるでしょう。近・現代は通り一遍で理解できるほど簡単じゃねえんだ。イヤというほど反省させられることになりました。

本書は、国鉄の歩みをたどることにより、日本の近・現代をみごとに描きだしています。それはあまり語られることがなかった側面ですが、たいへん重要なものを多く含んでいます。

国鉄は史上最大の組織である

国鉄の歴史を見ていくことで、なぜ日本の近・現代を追いかけることになるのか。理由はいくつもありますが、ふたつお伝えしましょう。

ひとつは、国鉄という組織が、日本最大のものであったこと。戦時こそ軍が大きくしのぐことになりますが、平時において、国鉄は軍よりも巨大な組織でした。戦後、軍が解体した後では、比肩する組織はまったくありません。まさしく唯一無二だったのです。さらに、その存立形態ゆえに、ときの政治事情が大きく反映されます。国鉄を追うことは、たしかに歴史をたどることになるのです。

もうひとつは、日本の近代化とともにはじまっていること。

「はじめての鉄道」は1872年(明治5年)、新橋・横浜間に開通しています。当時の日本には憲法はむろんのこと、議会さえありませんから、まさに「政府やりたい放題」の状態でつくられました。あえて意地の悪い言い方をするならば、鉄道があることは、充実した政治システムを持っていることよりも、ずっと近代国家っぽく見えたということがわかります。

民営化したときにしきりに語られ、今でも時おり耳にすることがあるのは、ここを起点とした「国鉄一〇〇年」という言い方です。著者によれば、これは実情を反映したものではないと言います。実際、ずいぶん粗雑な物言いなのです。

「はじめての鉄道」は官営でした。したがって、国鉄のはじまりと称してもよいのですが、建設の参考とした欧州諸国の状況は大きく異なっていました。イギリスでも、フランスでも、鉄道は民間企業が運営するもの=私鉄が常識だったのです。
その後、日本の鉄道網は民間主導で延伸していきます。この時代を本書では「私鉄の時代」と呼んでいます。国鉄ではなく私鉄が主導権を握っていた時期がたしかにあったのです。それは決して短くはありませんでした。

あらためて整理すると、一八七二年に日本の鉄道が開業してから日露戦争後の鉄道国有化までが第一期、その後、国が直接鉄道を運営する第二期が続き、一九四九年に公共企業体の日本国有鉄道となった国鉄が一九八七年に分割民営化されるまでが第三期と考えると、それぞれの期間がだいたい四〇年ということになるというわけです。このような捉え方と、国鉄一〇〇年という捉え方とでは、歴史の見え方が大きく異なってくることは言うまでもありません。

戦争と総裁変死事件

1945年8月15日、日本は終戦を迎えます。本書は国鉄の歴史を描くものですから、すべての価値観が転換したこの日のことは、比較的あっさりと語られていると言っていいかもしれません。しかし、本書にしか語れない視点をたしかに描いています。

激しい空襲、艦砲射撃、迫りくる本土決戦、といった異常な状況の中でも、多くの国民が一応日常生活を送ることができたのは、国鉄をはじめとする鉄道が運行を続けたことも大きく影響していました。終戦を伝える放送を聞いて、国中が茫然自失している中でも、国鉄は通常どおり列車の運行を続けたのです。

戦後、国鉄の扱いは大きく変わっていきます。国が変わったのだから当然かもしれません。
敗戦国日本が未だ独立していないころ、国鉄に大事件が起こりました。初代国鉄総裁・下山定則の変死事件(下山事件)です。
この奇怪な事件に関しては、松本清張が論考を発表しているほか、手塚治虫もこれを土台としたストーリーを描いています。この時期を描いたエンターテインメントには必要不可欠な事件だと言ってもいいでしょう。ここに大きな謎があることは、当時の人が共有していたことだったのです。
ところが、国鉄が民営化して「国鉄総裁」という役職がなくなってからかなりの時間を経ている現代の人には、今ひとつピンときません。
「八十年近く昔の変死事件なんかどうだっていいじゃん」
それが(自分を含めた)今の人の正直な感慨でしょう。

本書を読むと、この事件の重要性をあらためて思い知らされます。そして、のちの分割民営化の遠因はすでにここに胚胎していることに気づくのです。これは、松本清張にも手塚治虫にも描けなかったことでした。

分割民営化、そして

民営化が成ってからのJRに関しても、本書には少なからぬ紙数がついやされています。しかし、あくまで歴史の書ですから、提言のようなものはあまり見受けられません。むしろ、「なぜ民営化されたのか」「民営化によって何が変わったのか」を語ることに重きが置かれています。

しかし、いずれ不可避的に起こるであろう未来について記した後、本書の末尾に記された次の述懐は、重く受け止める必要があるでしょう。

現在のJR体制は三〇年以上が大過なく過ぎていますから、それなりによくできた制度設計であったと言えるのかもしれません。しかし、本書がここまで追ってきた歴史を見てわかるとおり、鉄道の基本スキームはせいぜい四〇年程度のスパンで大きく変わってきました。どんなに長くても五〇年間続いた体制はありません。葛西(引用者注:葛西敬之。国鉄改革を進め、のちにJR東海の会長となった)が言い残した言葉どおり、いままさにJR体制の構造に揺らぎが出ているのも明らかです。

  • 電子あり
『国鉄史』書影
著:鈴木 勇一郎

【“この国のかたち”を鉄路で描いた者たちの、栄光と蹉跌の全史】
かつて日本には、国家の所有する鉄道があった。
その組織は平時においては陸軍をしのぐ規模を誇り、列島津々浦々の地域を結びつける路線を構想することは、社会のグランドデザインを描くことそのものであった。
歴代の国鉄トップは、政治家や官僚たちは、そして現場の人々は、この巨大交通システムに何を託し、いかに奮闘したのか。
近代化に邁進する明治政府が新橋・横浜間を開設してから昭和末期に日本国有鉄道が分割民営化されるまで、「鉄道と国家」の歴史を一望する壮大なパノラマ!

【本書より】
日本の鉄道の歴史は大きく四つの時代に分けることができます。まず、明治時代の私鉄が主役だった時代、次に、日露戦争後に多くの私鉄を買収した政府が直営した時代、さらに、第二次世界大戦後、国鉄が公社化されて日本国有鉄道となった時代、そして現在のJRの時代です。
(中略)
本書ではこれから、日本の鉄道の歴史を、鉄道がいかにあるべきかというグランドデザイン、その実現のための経営体制、そしてそれを動かしてきた人物ということに焦点を当てて描き出していきます。それにあたって、この四つの時代区分という捉え方は、たいへん見通しをよくしてくれるので、これに従って議論を進めていきたいと思います。


【本書の内容】
プロローグ 「鉄道一五〇年」と国鉄
[第一部 「国鉄」形成の道程]
第一章 私鉄の時代(一八七二─一九〇六)
1.官設鉄道の誕生 
2.「鉄道の父」井上勝 
3.鉄道敷設法と私鉄の繁栄 
第二章 国家直営の時代(一九〇六─一九四九)
1.鉄道国有法の制定
2.「国鉄」の誕生
3.初代総裁後藤新平の組織作り
4.原敬と改正鉄道敷設法
5.国鉄ネットワークの充実
6.戦時下の苦闘とその遺産
[第二部 日本国有鉄道の興亡─公社の時代(一九四九─一九八七)]
第三章 「復興」の中で(─一九五五)
1.占領期の混沌
2.「公共企業体」の桎梏と総裁たち
3.組織と人々
第四章 「近代化」への邁進(―一九六五)
1.新しい時代の鉄道像
2.「改主建従」の夢
第五章 光と影の昭和四〇年代(─一九七五)
1.都市交通と国鉄の使命
2.効率化がもたらすもの
3.「政治主導」の時代
4.国会とストライキと債務と
第六章 再建の試みと崩壊(─一九八七)
1.「後のない計画」
2.分割民営化への道
エピローグ JR以後(一九八七─)

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/

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