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流行歌の検閲と発禁──「昭和」という時代における音声メディアと権力との関係
(著:毛利 眞人)
「発売禁止」、略して発禁という言葉には、人を惹きつける黒い魅惑がある。時の権力によって検閲され、禁制品とされたモノを手にすることへの危うい憧れが、そこにはある。自分は「イケナイこと」をしているのだとの反体制的、偽悪的な達成感や、稀少品を獲得したコレクション的な興味が満たされる。禁止されるとしたくなる、見たくなる、聞きたくなるのが人の世の常だ。
と、本書の著者も巻頭に記すように、その言葉はある種の人々にとっては極めて魅力的で、抗しがたい好奇心をそそるものだろう。だが、その実情について、どれだけ多くの人が正確なことを知っているだろうか? 誰が、どのように、何を基準にして行われたのか? 本書は戦前~戦中にかけて日本で行われたレコード検閲の実態と変遷を、つぶさに研究した労作である。レコード史にあまり詳しくない人が読んでも興味深く、初めて知る意外な事実に驚かされること請け合いだ。
レコードが検閲対象となったのは、そもそもレコードが昭和初期のころに急激に売り上げを伸ばし、一大産業となったことに端を発する。そのときに絶大な人気を誇った流行歌のなかには、もちろんエログロナンセンスを売りにしたものも少なくなかった。たとえば1931年に発売された〈数へ唄 娘づくし〉というレコードの歌詞は強烈である。
〽あゝ五つともせいえ いかけ屋の娘で此奴もどん助平
黒いお手々で撫でまわす 穴さへ見たなら チヨイとつめたがるわいな
〽あゝ六つともせいえ むちやくちやに入れたがるわ桶屋のどん助平
足でからんで手で輪を入れて ソコぢやソコぢやと チヨイと尻たゝくわいな
〽あゝ七つともせいえ 何んぼわたしがどん助平でも
材木屋商売したからにや お金を持つて来な チヨイと気をやらぬわいな
このように、引用するのも憚られるほど下ネタ満載である(もう引用してしまったが)。しかし、当時はレコードの取り締まりに関する明確な法律がなく、内務省が発売禁止を命じたものの、最終処分が実施されたのは発売から数年経ったあとだった。しかも、禁止対象となったのは音盤そのものではなく、まずは歌詞カードに出版法を適用したり、猥褻物取締法や興行取締規則等を用いて公共の場での演奏(再生)禁止を命じたりと、あれこれ努力がうかがえる。
過激なフレーズが飛び交う歌謡曲や、漫才・落語などの演芸ものだけでなく、当時は演説録音レコードも大いに売れた。明治以降の演説文化の活性化については、以前レビューした『独立のすすめ 福沢諭吉演説集』も参照してほしいが、昭和に入っても政治家・活動家たちの反体制的演説は一般庶民の人気を集めていた。当局からは「主義者」=危険分子として目をつけられ、集会の開催や印刷物の発行は厳しく取り締まられたが、レコードに関してはしばらく野放し状態で、多くの演説盤や労働者向けの唱歌レコードなどが作られたという。
1932年には海軍青年将校らによる反乱事件“五・一五事件”が発生し、世間を騒がせた(詳しくは同じく前にレビューした『テロルの昭和史』を参照のこと)。このときも厳しい出版統制をすり抜け、裁判記録を俳優たちが朗読した描写劇レコード〈五・一五事件 血涙の法廷〉が発売され、センセーショナルな話題を呼んだ。これまた内務省が発売禁止命令を下したころには、すでに多くの商品が巷(ちまた)に出回っていたとか。本書では、そういったレコード文化黎明期の混迷した状況についても詳しく知ることができる。
そして1934年、ついに出版法が改正され、レコードもまた検閲対象となる。その検閲係として抜擢されたのが、内務省きっての“音楽通”として知られた役人・小川近五郎だった。膨大な量の新作レコード審査をほとんど一人で日夜行い、レコード業界の発展と成熟を目指したこの人物は、同時にレコード制作者たちの敵でもあった……。本書で最も読み応えに溢れているのが、その「評伝」ともいえる部分である。
当時のレコード検閲が、ほぼ一人の人物の価値観に左右されていたという事実には驚かされるが、その情熱いっぱいの働きぶりにも感心してしまう。彼の所属していた内務省警保局図書課では、月々の報告を目的として『出版警察報』が定期刊行されており、そのなかに小川が審査内容や業界の動向を分析するページがあった。たとえば、当時の主要レーベルの特色を説明する記事は以下のような感じ。さながら人気音楽ライターの連載記事のようである。
【ビクター】
先づ洋楽に於て本年度は圧倒的に他社に抽(ぬきん)でたことである。シユナーベル演奏のベートーヴエンのピアノソナタ及フイツシヤー演奏のバツハ作品を始めモーツアルト、シユーバート、ベートーヴエン等古典大家の各作曲等所謂大物を以て終始圧倒的に君臨したことである。他の曲種のものと雖(いえども)相当に優秀なるレコード多く出色のものなきに非らざれど、著名作曲家の洋楽古典ものゝ発行が其の尤(ゆう)なる特色としなければならぬ。
(中略)
【ポリドール】
洋楽大物についてはコロムビアと同様なことが、言ひ得らるゝが此の社に於ては本年度の収獲は何と言つても流行歌黄金時代を現出したことであつた。東海林、喜代三の進出と伴奏効果の卓越(伴奏のアダプテーシヨンはポリドールが現在の所随一)並に吹込技術の進歩等の名コンビに於て、作るレコードも、作るレコードもヒット続出「流行歌レコードなる哉」の盛況であつた。
これが内務省の内部報告書?と思わず二度見してしまうような熱い筆致には度肝を抜かれる。クラシック愛好家で、流行歌にも理解があることは文章からも伝わってくるが、こういう人物が先述の〈数へ唄 娘づくし〉のような艶笑歌や演芸もの、演説レコードなどの審査も一手に引き受けていたことを思うと、危なっかしさと同時にパワフルな幅広さも感じてしまう。
本書では現存する記録をもとに、実際に発禁処分を下されたレコードの問題箇所が詳しく解説される。その理由は「歌詞がセンチメンタルすぎる」「日本帝国の壊滅を思わせる」「声そのものがエロ」など、理不尽さも含めて多種多様。いずれにしても理由を知れば知るほど興味をそそられ、聴きたくなってしまうのが人間の性(さが)だ。一方、これまで発禁レコードの代表例として語られることの多かった〈湖畔の宿〉〈暗い日曜日〉などのタイトルが、実は発禁対象ではなかったことも明らかにされる。国内の音楽史研究に携わる者なら必読だ。
著者は検閲する側・される側のどちらか一方に偏ることなく、つとめてニュートラルな視点を保つ。そこに私情や思想信条が絡んでしまうと、先述のような思い込みや思い違いによる間違った言説が発生しやすくもなるのだろう。国家による表現の弾圧に憤りたい読者にとっては、少々物足りなく感じるかもしれない。だが、そういう一方的視点では曇ってしまう部分も確実にある。
かといって堅苦しいだけの内容では決してない。むしろ人間くさい部分を平等に、ユーモラスに拾い上げている。どちらも等しく「面白がる」ことは、完全なニュートラルとも言えないかもしれないが、しかし読み物としてはすこぶる面白い。
終盤からエピローグにかけては、国全体が戦時色を増すなかで生存の道を模索するレコード業界の苦闘と、権威を手に入れた小川検閲官の変質していく理想が綴られる。濃密だが呆気ない彼のキャリアには、諸行無常のはかなさすら漂う。
敗戦後の法改正によって、一見断絶したかのように見える往時のレコード検閲体制だが、はたして本当にそうだろうか? 誰も責任を取らないための自主規制や暗黙の了解に、静かに支配された現状は本当に健全といえるのか? そんな「いまの空気」もまた、見つめ直さずにいられない一冊である。
- 電子あり
本書は当時最新の、音声にかかわるメディアであったレコードの検閲について、内務省当局の記録である『出版警察報』をメイン史料として浮き彫りにします。レコードは最新の音声・映像メディアであるラジオ・映画に比して、一般大衆が実際に手元に置けるという点で従来の書物と地続きのものでしたが、再生装置の必要性、享受の複数性・同時性などの特徴から従来の「活字の取り締まり」とは違う位相を呈することになりました。
レコード検閲は内務省警保局図書課レコード検閲係(のち検閲官)がおこないましたが、官と民の意見のすり合わせをする「内閲」や「懇談」を通じて、やがて発禁を避けるためのレコード会社による自主検閲(=自粛)という仕組みができあがります。
敗戦後、検閲は憲法によって禁止され、GHQによる占領期を除いて公式にはおこなわれてはいませんが、クレームを恐れるレコード会社や放送局の自主規制が検閲の役割を果たしているという点で、その仕組みはいまなお変わっていません。さらにSNSの普及によって検閲はいまや一般大衆の手に委ねられたとさえいえ、企業が自粛する構図ができあがっているのです。
本書は「昭和」という時代における音声メディアと権力との関係、メディア自身のありようがどのようなものであったかをさぐります。また、本書ではこれまで取り上げられることのなかったレコード検閲係(官)小川近五郎という人物の実像に迫ります。レコード検閲で下級官僚が果たした役割をたどりつつ、その人間味をも含めて「現場からの歴史」を描きます。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。
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