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「演説の父」福沢諭吉。熱く巧みな弁論で語り尽くした未来への思い
(編:小川原 正道 著:福沢 諭吉)
幕末~明治にかけて、日本の近代化に邁進した偉人・福沢諭吉。彼は優れた教育者・翻訳家・思想家であり、それまで我が国の文化に定着してこなかった「演説」の重要性を説いた人物でもあった。そんな福沢が残した演説の数々を、時代の変遷に沿って編纂したのが本書である。
多くのテキストは昔の文語調なので多少の読みにくさは覚悟してほしいが、各演説の末尾には編者による解説文がつき、当時の社会情勢、演説の行われた状況、福沢の意図したところなどを現代の読者にも分かりやすく説明してくれる。親切な作りなので、重厚なイメージに躊躇している方も安心して手に取っていただきたい。
まず新鮮な驚きを覚えるのは、江戸時代の日本には「演説」が存在しなかったという主張である。確かにかつての日本人は将軍様や偉い先生のお話を黙って聞くばかりで、不特定多数の聴衆の前で個人が持論を展開し、異なる意見を平等に闘わせるという文化は、公の場では皆無だったかもしれない。
近代化の重要なツールとして掲げられた「演説」のスキルは、何より議会政治を行うために必要不可欠なものだと福沢は説く。彼にとって演説はディスカッションを発展させるためのツールであり、一方的なアジテーションではないと考えていた。そして新時代においては学者や政治家だけでなく、女性や子供に至るまですべての日本人がその心得を有するべきである、とも語る。イギリスでは今も活発に行われている教育ディベートを、日本の学校教育にも取り入れたいという理想もあったのだろう。
かくして福沢は自ら「日本初の演説家」となり、明治七年に発足した三田演説会などの場でその理想を実践していく。本書収録の各スピーチには「所有権」「医学の使命」「酒池肉林の宴会を止めよ」といった議題が冠され、幅広い分野に一家言を持っていたことがわかる。あくまで活発な議論や思索を促すことが目的であるからか、初期にはやや挑発的な物言いも少なくない。たとえばこんな調子。
天子のためならばといって、錦の切れを付けて働くやつは、みんな屁でもないやつで、それを使うやつは巨燵〔炬燵〕にでもあたって、知らん顔をしている。大名もお先に使われたのだから、廃藩置県の後は、華族の意気地のないこと、人力〔人力車〕に乗るにも礼を言って乗る位のことだそうだろうじゃあないか。それとも説のある人はいって御覧なさい。これより外に説はあるまい。
これなどだいぶ柔らかいほうの例だが、今なら「ちょ、言い方!」と思わず注意したくなるような危うい発言もちらほら。もちろんポリティカル・コレクトネスなど成熟していなかった時代性もあるし、意図的にくだけた言葉選びで聴衆の心をつかむ「演説術」の実践という意味もあっただろう。
間もなく演説という概念はみごと日本国中に普及し、それを有効活用した社会運動は時の政府が危険視するほど活発になっていく。一方、福沢自身の演説では過激さは影を潜め、若い世代に向けた真面目で教条的な提言が増えていく。なかには長男・一太郎の結婚披露宴でのスピーチ(第三章の「親子も『他人の如く』」)なども含まれていて面白い。
第四章にある「政論の下戸となるな」では、政治議論に熱くなり、簡単に悪酔いして狂態をさらす下戸であってはならないと主張する福沢だが、明治27年に日清戦争が始まると、彼自身いささか平静さを失っていく感も見受けられる。19世紀の英米文化に多くを学んだ人間が、帝国主義思想の影響を受けずにいられたはずもないだろう。とはいえ、その「愛国心」は排外主義的ナショナリストのそれとは種類が違うことも、当時のスピーチでは明言されている。
全体的に、本書はそういった時代的・社会的背景を思い浮かべながら読むべきものであり、2023年に生きる我々が額面どおり受け取れば、誤読の可能性もあることは気をつけたいところだ。福沢もきっと「その時代と社会に思いを馳せよ」と読者に言うだろう。
どんな人間でも晩年には枯れていきそうなものだが、福沢はそんな固定観念をも打ち破る。第五章、明治31年に三田演説会で行われた「この塾には一切万事秘密なし」は、それまでの文語調から一転。まるでスピーチライターとして作家デビュー前の夏目漱石でも雇ったのではないかと思うほどの軽妙洒脱ぶりなのだ(ちなみに漱石が『吾輩は猫である』を発表したのは、福沢の死後4年が経過した明治38年)。ここにその一部を引用してみよう。
そのマア事項を挙げて申せば、諸君は動ともするとよい着物を着たがる。これは何の事だ。よい着物を着て如何するというのだ。この洋服が好かない、羅紗はこれがよい、ガラはこういうのが流行だなんというのは可笑くて堪らぬ。何ということだ。情けない話だ。ドレ程の事だ。(中略)
ソレで学校が気に入らなければ颯々と出て行きなさい。ぜひこの塾にいてもらいたいという望みがないから、決して遠慮は要らない。前にもいう通りこの塾には一切万事秘密なし、自由自在にしていながら、自分は自分の身を守って行くようにしたい。今晩はこれまでのお話(拍手喝采)。
内容についての説明は省くが、まるで噺家かラッパーのような名調子である。文末のレスポンスを見ればわかるとおり、見事に学生たちの心をつかんでいる。校舎内に自身の銅像が建ち、権威化・偶像化が果たされてもなお、それを笑い飛ばすかのようなくだけた態度で、若い世代に対して最も効果的と思われる「演説のあり方」を模索してみせる。学ぶべきはその語りの姿勢そのものではないか、と思わせる一幕だ。
あらゆる知識を吸収し、それを言語化し、世に広めることで、日本社会の発展に寄与することに全人生を費やした福沢諭吉。本書はその生き方と思想、壮大な理想が孕む矛盾や瑕疵、思わぬチャームポイントまで含めて凝縮された貴重な発言集である。明治の社会情勢、往時の空気を感じ取る資料としても、大いに価値ある1冊だ。
- 電子あり
speechを「演説」と訳したのは福沢だった。
そして福沢自身、抜きん出た名演説家だった。
日本の近代化・文明化のためには、独立した個人が自らの思想を大いに論じ合わなければならない。
明治という時代が大きく動き出す中で、日本のよりよき未来を、熱く巧みな弁論で語り尽くした、その記録。
著作で見せるのとはひと味違う、福沢のライブ感溢れる言葉が、時代を超えて日本人の心を撃つ!
今日における福沢の思想史的再検討をリードする編者が、残されている速記録や原稿から「名演説」を厳選し、わかりやすい解説を付して編集した、画期的演説集。
【本書より】
日本世界をもっとわいわいとアジテーションをさせて、そうして進歩するように致したいと思う。それが私の道楽、死ぬまでの道楽。何卒皆さんも御同意下さるように。
【主な内容】
第一章 「演説」と「交際」の創始
演説はなぜ必要か/政府の専制から人民の政府 など
第二章 実業界へ出でよ
智識交換・世務諮詢に不景気なし/道徳は説くのではなく示せ など
第三章 立憲国家の国民へ向けて
経済学芸への注意を怠るな/学問に凝る勿れ など
第四章 個人の独立、国家の独立
銭は「人生独立の母」なり/政論の下戸となるな/学者は飼い殺せ など
第五章 次世代へのメッセージ
老却せる老生からの勧告/排外主義と自尊自大の戒め など
編者解説
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。
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