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2019.01.06

レビュー

開成学園の創立者、佐野鼎。幕末、真に国を強くする方策に目覚めた男の物語。

明治の教育者というと福沢諭吉、新島襄、中村正直などの名前がすぐに思い浮かびます(大木喬任、森有礼、近藤真琴を加えた6人を明治6大教育家と呼ぶそうです)。さらに大隈重信などの名前もあげられるでしょう。

これらの人びと以上に魅力的な優れた教育者が明治日本に存在していました。それがこの小説の主人公・佐野鼎です。不幸にもコレラという病に倒れ、明治10年10月に49歳で亡くなりました。教育者としての理想の学校の第1歩となる共立学校(きょうりゅうがっこう)を設立して6年目をむかえたばかりでした。この学校は佐野の死後、いくつかの変遷を経て、現在も続いています、屈指の名門校、開成学園と名を変えて。

蘭学塾で学んでした佐野はその後、長崎の海軍伝習所に入所。西洋砲術、航海術を身につけ加賀藩に「西洋砲術師範棟取役」として召し抱えられます。1人の軍事指導者として幕末を生き始めた佐野は遣米使節、遣欧使節と2度に渡って欧米を視察することになりました。

そんな佐野はなぜ教育者として自らを立てようとしたのでしょうか、その軌跡を追ったのがこの小説です。


・「教育」の発見

幕末期の軍事指導者は大村益次郎を始め、西洋軍事技術、西洋兵制を学ぶ中で早くから「合理的精神」を身につけていました。佐野もまた砲術研究の中で、その技術の背景にある西欧の合理的精神に気がついたのです。そしてかの国の「人間教育」こそが西欧の精神、文化、技術を支えているのだということに深く思いをいたすことになりました。これが2度の西欧視察の中で佐野がつかんだものでした。

「ニウヨークの聾(ろう)学校で、初めて手話を見たときはお二人と同様、まことに驚きました。私は長年にわたって西洋砲術を修めてきました。加賀藩は今、海防のための武器、火薬の類の調達や製造に必死です。私も藩に仕える以上、その務めは全うする所存です。しかし、欧米の国々をこの目で見て、今、もっとも必要なものは何かということを考えたとき、行き着く結論はひとつだということに気付いたのです」(略)
「そう、教育です。何を成すにも、人材の仕立て方こそが肝要(かんよう)なのだと」

物語の中盤、欧米の視察で感じたことを福沢諭吉と箕作秋坪と語り合った部分です。佐野が教育の重要性に開眼した瞬間でした。

佐野に教育の重要性を気づかせたのはベンジャミン・フランクリンの活動でした。私財を投じて教育に力を注いだフランクリンに佐野は大きな感動と感銘を受けます。聾学校で見た教育法、盲人用の点字書籍の数々……

「人は誰でも、学ぶ機会を平等に与えられるべきなのだということを、恥ずかしながら、この歳になって初めて気付かされたのです」

ここにフランクリンの教育理念が生きていました。これがアメリカを作り上げた根本にあるものだったのです。教育の重要性に開眼した佐野は、砲術の大家としての名声を棄てて明治政府を去ることになります。時に佐野、44歳。この時が共立学校の始まりとなりました。

単行本の帯にこのような文言があります。

明治維新150年を締めくくる大河小説、ここに完成

この小説は、明治をいたずらに顕彰しているかのような巷間の明治ブームとは一線を画する傑作小説です。素晴らしい明治日本人の姿を生き生きと描きあげています。


・「富国強兵策」への疑問

この小説から感じられるものは佐野の中に顕然としてある「明治の健全さ・健康さ」とでも呼べるものです。

「福沢さんは、以前『増訂華英通語』を翻訳された折、healthを“精神”と訳されていました。しかし、次に出された『西洋事情』では、“精神”ではなく“健康”に変えられた。あれは非常によい訳だと感心いたしました」
「さすがは佐野さん、細かいところに気付いてくださいました。
(略)突き詰めれば人は、healthでなければ何事も成すことができません。moral(モラル=徳)も、inteligence(インテリジェンス=智)も、すべてはhealthのうえに成り立つのです」

この物語の主人公・佐野鼎が最終章で福沢諭吉と交わす会話の1節です。一翻訳語の話ではありません。ここには佐野の明治政府への真っ当な批判が隠されているように読めます。そのころの明治政府は大きな汚職事件の中にありました。長州の山県有朋の汚職、山城屋事件でした。佐野はこの「金にまみれた薩長閥」の政府を間近に見てきたのです。時の政府は「health」などとはとても呼べないしろものでした。無理矢理の富国強兵策のマイナスが早くもあらわれてきました。

列強の脅威を言いたて富国強兵策を走る明治政府、その行く先はどうだったのでしょうか。「health」のない近代日本、それは琉球処分、日清戦争、韓国併合、日露戦争、国際連盟脱退、満洲事変、ノモンハン、日中戦争、太平洋戦争と続く道を進んでいきました。

日露戦争(明治時代)までは健全な日本だった、という人もいますが、大正や昭和になっていきなり「不健康な日本」になったはずはありません。むしろ幕末・明治初期にあった「健全なもの」が忘れ去られ、失われていったのではないでしょうか。この小説の主人公・佐野も明治政府の富国強兵策の誤りに気づいていました。

どれだけ「富国強兵」と叫んでも、いくら最新型の兵器を揃えても、世情を冷静に見極める視野の広い人材を育てなければ物事は何も進まない。(略)
「教育はすべての基礎でございます。より良き人材を仕立てることこそ、我が藩の、そして国の発展に繋(つな)がっていくものと存じます。
(中略)
高い知識を身に付けるためには、まず基礎的な教養を習得することが大切です」

戊辰戦争勃発以前の加賀藩主との対話です。佐野の教育理念が早くから生まれていたことが語られている1節です。

もとより「富国強兵策」は「手段」であって「目的」ではありません。「health」を失った日本は「手段」が「目的化」していったのです。これは今の日本にも当てはまるようです。


・ペンは剣よりも強し

明治となって、同じ教育家としてお互いに尊敬し一目置いていた福沢との印象的なやり取りがあります。
「武器で人を殺すことよりも、教育で人を育てていく。富国のためにはまずこれが第一であることを、政府は認識すべきなのですが」
苦渋に満ちた福沢の問いかけに心から同意した佐野はフランクリンの言葉を思い出しました。

There never was a good war or a bad peace.
(いまだかつて、よい戦争というものはなかったし、悪い平和というものもなかった)

軍事指導者でもあった佐野の述懐には実戦に参加してきたものの重みがあります。そして佐野が「health」を確固と持っていた人物であったことが分かります。現在の開成学園の校章が「ペンと剣」をあしらったものであり、「ペンは剣よりも強し」に由来するということにも佐野の思想が生きているように思えてなりません。(ちなみに慶應義塾の校章は2つのペンで武器はあしらっていません)

それにしても明治初期には間違いなく存在した佐野のような「健全さ」はどこにいったのでしょうか。佐野が命をかけた「教育」は今どうなっているのでしょうか。貧困による教育格差はいまだに是正されていません。

お手盛りの明治礼賛ではなく、明治日本人の健全さをつかむことができる1冊です。また福沢諭吉だけでなく幕臣・小栗上野介、漂流者だった音吉など物語の随所に描かれた人物たちの魅力もあふれています。それらを感じとれるのもこの小説の素晴らしいところだと思います。漢字につけられたふりがなの多さも、この本への敷居を低くしていると思います。ですから大人だけでなく、多くの子供たちに、できるだけ読んでほしいと願いたくなりました。明治150年の掉尾を飾る良書です。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。

note⇒https://note.mu/nonakayukihiro

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