近未来のディストピアで展開される“己の尊厳を賭けた戦い”
この世界で「貧」に属する人間は、誰もが「GENNAI」の操縦するラジコンのようなものである。金持ちが捨てた型落ちのVRグラスで現実から目を逸らし、混ぜ物だらけの安いドラックでメタバースをキメれば、脳内はドーパミンで埋め尽くされる。
貧民は安い娯楽を与えられ、死ぬまで目に見えない檻の中で飼われ続ける。いわば「支配者層がAIを駆使して、人類をゆりかごから墓場まで管理する世の中」である。
人としての尊厳を取り上げられ、生きているのか死んでいるのかも、もはやよくわからない。そんな「圧倒的な惰性の人生」に不満を持ちながらも、そこから抜け出そうと戦うこともなかったキョウスケ。しかし彼は「GENNAI」のエリート社員だった親友・ユーヤの不審な自殺に直面し、その理不尽な死に疑問を抱く。
親友を失った喪失感の中、キョウスケは喋る奇妙なネズミ「イージー」と出会う。そしてイージーの不思議な能力に触れ、さらにイージーに導かれる形で、街外れの遊園地で、命を落としていたはずの親友・ユーヤに再会する。
遊園地の観覧車から「リ・東京」の煌々たる夜景を見下ろしながら、ユーヤは言う。
見ろ キョウスケ
この夜景
オレが全部
ブッ壊そうと思ってる
ユーヤを止めるために、これまたイージーの力を借りて愛車(バイク)を駆るキョウスケ。
思わぬ流れに身を任せることで世界の真実に触れ、さらにそれを刷新することが出来得る力に触れたキョウスケの運命の歯車は、ここから大きく狂わされていく。
2024年「ちばてつや賞」ヤング部門で優秀新人賞を受賞した大村知空による初連載作品は、「格差社会」や「巨大企業の陰謀」といった骨太なテーマに正面からぶつかった「超感覚・覚醒的ディストピアSF」作品である。
“令和のネオ東京”を駆ける新たなる衝動
『ラットコレクティブ』第1巻を読み終えて、そんな言葉が最初に頭に浮かんだ。
“ネオ東京”は大友克洋の名作漫画『AKIRA』の舞台となった、近未来の東京の呼び名である。1980年代、『AKIRA』が描いた「ネオ東京」の退廃と熱狂に、私たち往年のマンガ好きは言葉にならない衝動を覚えた。圧倒的な力、広がる格差、そして理不尽な体制に抗う若者たちの姿は、時代の閉塞感を打ち破る強烈なエネルギーに満ちていた。
それから約40年。2069年の日本を舞台にした本作を読んだ今、私は『AKIRA』を初めて開いた時と同じ、ヒリヒリとした肌寒さと高揚感を覚えた。
『AKIRA』における絶望の象徴が国家や軍の暗部であったのに対し、『ラットコレクティブ』で世界を牛耳るのは超巨大企業「GENNAI」だ。資本主義が極まり、AIによりすべてを管理された人類は、持つ者と持たざる者が完全に分断された超・格差社会を生きている。主人公のキョウスケも、その最底辺である「貧」の層で燻り続けている。
『AKIRA』で金田や鉄雄がバイクを駆って無軌道なエネルギーを撒き散らしたように、キョウスケもまた、どん底の生活の中で行き場のない怒りと虚無感を抱えている。そこへ、唯一の希望であったはずのエリート層の親友・ユーヤの不審死という「理不尽」が降りかかる。彼が直面する謎と体制側の巨大な陰謀は、『AKIRA』でアーミーの機密に触れてしまい、後戻りできなくなった少年たちの姿と重なる。
しかし、本作においてキョウスケらが手に入れる「力」は、鉄雄が抱えたような純粋な破壊衝動や暴走とは少し毛色が異なる。圧倒的なディストピア社会の中で、隠蔽された友の死の真相を暴き、自分たちの尊厳を取り戻すための「牙」として機能している。巨大なシステムの前ではネズミのように無力な存在が、異能を武器に体制の喉首に噛み付いていくことにより得られるカタルシスは、本作の強烈な推進力となっている。
ちなみに「AIが人類をゆりかごから墓場まで管理する世の中」は、手塚治虫の『火の鳥』をはじめ、さまざまな創作物で描かれ続けてきた。今や、そんな世の中がもはや「絵空事」ではなくなっていることは、多くの人々が実感し始めていることだろう。
また、タイムリーなことに、実際に現実世界でトップクラスの研究者が、AIの超速的な進化に警鐘を鳴らし始めている。2026年9月上旬、アメリカの企業「アンソロピック」の研究者が「AIが『全人類を滅ぼす』可能性は『10%以上』」という衝撃の警告を発した。
同時に同社のCEOダリオ・アモディ氏は「AI開発のペースを減速させる」ように提言。「OpenAI」や「xAI」のトップも、これに同調するような動きを見せている。本作の世界観の背景となっているディストピアの足音が、まぁまぁのリアリティを持って近づいてきていることも、本作の魅力をさらに強めていると言えるだろう。
もちろん荒廃したスラムのディテールや、異能による近未来ガジェットのワクワク感に加え、本作の魅力の根底にあるのは泥臭い人間ドラマである。令和の漫画界に現れた新たな「反逆の物語」として、今まさにリアルタイムで追いかけるべき一作であると言える。








