自分を嫌いじゃダメですか
「自分を愛せるポジティブさ」が求められるようになって久しい。「自分のことが嫌い」とうっかり口に出せば、周囲から腫れもののように扱われる。自分を好きで自己肯定感の高い状態が良しとされ、「コンプレックスに折り合いをつけること」も大人のたしなみとしてカウントされる。恋愛以外のつまづきも「自分を愛せていないせい」だそうで、自虐は「謙虚」ではなく「ネガティブでカッコ悪い」と捉えられるようになり、処世術としてもギャグとしても機能しなくなった。
「自分のことが好きじゃない」人間にとっては、なかなかに生きづらい世の中だ。しかし「自分のことが好き」と「自己肯定感」は同じ意味なのだろうか。自分のことが好きじゃなくても、そんな自分を受け入れて生きていくこともできるのではないだろうか?
『自分が嫌いなまま生きていってもいいですか?』は、“推し本”こと『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』の著者・横川良明さんによるエッセイを書籍化したものだ。
推しが野原を覆う大輪のバラなら、僕はウエストを覆う大変な三段腹。推しが夜空にまたたくアルタイルなら、僕は便所のタイル。もうね、こういうフレーズなら延々と言ってられる。ある意味、めちゃくちゃ自分らしくもある。しかし、その自分らしさに今、令和の世がNOと言っているのだ。
と、思ったことを素直に口に出すだけで自虐になる横川さんが、「もっと自分を愛そう」という時代の空気の中で感じたことや、その中で自分の尊厳を守ろうと試行錯誤した過程がつづられている。
日々普通に生きているだけで痛感する「自己肯定感の低さ」や、自分嫌いを決定づけたコンプレックス、子ども時代の苦い経験。少しでも自分を好きになりたくて、あれこれ試した“自分磨き”。そして辿り着いた「これ以上、自分が傷つかないための方法」を、強い共感を呼ぶ文章でつづる。
それでは、この問いとともに「自分を好きになること」をめぐる長い長い模索の物語を始めたいと思います。
自分が嫌いなまま生きていってもいいですか?
共感できすぎてしんどい
エンタメ愛に溢れた文章や、オタクならではの“あるある”を的確に表したつぶやきで、一躍人気ライターとなった横川さん。“推し本”のような単著も出していて、傍からは順風満帆に見えるのに、なぜ、「自分を嫌い」なのか……。その理由が垣間見えるのは、「第2章 ぼくが自分を嫌いになった理由」だ。
この章は、自信が持てず、どうしても自分を好きになれない人にとっては、しんどさを感じる部分かもしれない。顔や家に対するコンプレックスや、うまく築けなかった友達関係を描いたエピソードは、性別は違っても、同じ経験はなくても、強烈に「わかる……!」と感じ、また同じくらいの自己嫌悪も押し寄せる。共感性羞恥ならぬ、共感性自己嫌悪だ。
誰かといるときも、ふっと子どもの頃にさんざん言われた「キショ」がくっきりとあの頃の音声のまま再生されて、うまく笑えなくなるときがある。
つらすぎる。でも、どうか最後まで読んでほしい。のちに、横川さんは
結局、僕のこの自分嫌いの原因を辿っていくと、根っこにこびりついているのは人に対する苦手意識だ。
と分析する。サラッと書かれているが、あの経験をこんな風に消化して、しかも人に語れるようになるには、どれくらいの時間が必要だったろうか。これを踏まえて、横川さんは見た目を整える努力や合コンへの参戦など、自己肯定感を上げる効果がありそうなことに挑戦していく。その赤裸々な心の内を読むうちに生まれるのは、先ほどとは別の共感だ。自分や他人を好きにはなれなくても、人に優しくすることはできるし、幸せにもなれる……。こちらの胸にも、ある種の勇気が湧いてくる。
自己肯定感を高めるための努力はした。でもやっぱり無理だった。そんな自分を丸ごと受け入れるのも「自分を肯定する」ことではないだろうか。
「なりたいものになれなかった」「誰からも選ばれなかった」自分を認められない、現実と折り合いがつけられない。だから「自分を好きになったほうがいいのはわかっているけれど、できない」……。この本は、そんなしんどさを抱える人たちの背中に、優しく手を添えてくれる一冊だ。
レビュアー
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
twitter:@752019