昨日、何話した?
あなたは昨日、何を話しただろう? それは口角をキュッと微笑みの形に上げる言葉だっただろうか? それとも、眉間にギュッとシワを寄せたくなるもの?
「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だけど50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る」。これはココ・シャネルの有名な言葉だ。
若い頃は持って生まれた「顔立ちがきれい」なことと「いい顔」はほぼ同じ意味を指す。しかし年を重ねるごとに、人の「魅力」や「美」に「きれいな顔立ち」は必須ではなくなる。顔の造作が整っているかどうかより、生き方や心の持ちようからにじみ出る空気感のほうが、その人の美しさを左右する……、ということだろう。
本書『顔は言葉でできている!』は、美容や人物インタビューを中心に活動するフリーのエディター、ライターである松本千登世さんが選び抜いた「“顔”を育てるよき言葉」に関するエッセイだ。自分の意志や思考だけでなく、人からかけられた言葉が自分の心と科学反応を起こし、また自分の「顔」になっていく。そんな瞬間が集められている。
この本が生まれたきっかけは、松本さんがある人にかけられた「言葉」だという。
見ず知らずの人からかけられた何気ないひと言に、平凡な日をモノクロからカラーに変える力があったなんて! この言葉によって、眉間にしわを寄せた顔から口角と頬が上がった顔へと、一瞬にして私の顔が変わったのがわかりました。そのとき確信したのです。大人の顔は、こうしてできあがる、と。
「いつかまた、お目にかかれますように」「ここじゃ、美しいものが創れない気がするんだよね」……こんなやさしい言葉、時にドキッとする言葉たちが松本さんの心にどんな風を吹き込み、表情を変えていったのかが、見開きに収まる短いストーリーの中に凝縮されている。今、目の前で起きているようにエピソードをすくい上げる松本さんの文章は、それを読む私の顔も同じように変えてくれたように思う。
ありふれた日常にあふれる「宝物」
美容業界を中心に幅広く活躍する松本さん。この本には、俳優や作家といった有名人の「あの人らしいな」という言葉も登場するが、普通の人々に思わずハッとさせられるストーリーも多い。家族や友人、ただすれ違っただけの人、たまたま応対してくれた店員さんなど、普通の人とのありふれた日常の中にこそ、宝物のような言葉があふれていることに気づかせてくれる。
私のお気に入りは75話「踊ろか?」だ。このストーリーは、大学生になった松本さんが友人の家を訪ねた時に目にした、ある「家族の形」を描いたものだ。こちらの目頭まで熱くなるような幸福感があふれているし、それに続く76話とあわせて読むと、今、この瞬間に受け取る言葉だけでなく、過去の言葉を紐解くこともまた、人の心を癒し、温めることを教えてくれる。
また、先に引用した「平凡な日をモノクロからカラーに変えた」言葉は、コンビニの店員の女性によるものだという。
「楽な靴」を選びがちになっていた松本さんが、ひとめぼれした素敵なパンプスをおろした日のこと。あまり歩かない日を選んだものの、しばらくすると足が痛みだす。靴擦れしてしまったのだ。絆創膏を求めて駆け込んだコンビニで、松本さんは思いもよらぬ言葉をかけられる。
清算を終え、絆創膏を受け取ろうとした、そのとき……! 「お大事に」。(中略)店員の女性が、私の目を見て、にっこりと笑い、そう話しかけてくれたのです。私が驚いた顔をしていたからでしょう。「靴擦れかな、と思いまして……」「そうなんです、初めて履いた靴だったので」「靴擦れって、痛いですよね。お大事に」。
靴擦れ以外にも、ちょっとしたところで数々の「ついてない」に見舞われていたこの日の松本さん。しかし、この女性の一言によって棘だらけの心がふっと和らぎ、整う様子に「それは確かに嬉しい」と、思わず口角が上がる。
さらに、大人の女性が駆け込んできて、絆創膏だけを急いで買っている……。それだけで「この人は靴擦れしているのかも」と気づける女性の想像力と、見知らぬ人に臆せず優しい言葉をかけられる行動力も素敵だ。こちらの頬まで緩んでしまう。
読み終えて本を閉じる。表紙は深く美しい赤だ。日々意識して丁寧に言葉を選び、味わうことが、美しい空気感をまとう「顔」を作ると教えてくれる。何気なく話す言葉、聞く言葉、かけられる言葉、目にする言葉の中に、魅力的な「顔つき」を育てる「宝物」を見いだせるようにしてくれる。この本の持つ、そんな温かさそのものの色だ。
レビュアー
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
twitter:@752019