自分の頭で考える技術を身につける
私たちの日常にはさまざまな課題や選択肢がある。そしてその多くは、一つの尺度で機械的に判断できるものではない。
たとえば、スマートフォンの買い替えにあたり「自分でカスタマイズできて、容量が大きく、金額が手ごろな機種がいい」人と、「バッテリーが長持ちで、画面が大きいものがいい」人では選択肢となる機種は異なるはずだ。ショップに並ぶ何種類ものスマートフォンの中から一つを選ぶとき、私たちは何を考えるべきだろうか。
本書『思考の方法学』は、日常生活から学問やビジネスの現場まで、思考と意思決定のプロセスにおける論理的な思考を支える「モデル分析」の作法を教えてくれる。
モデル分析は、現実への対処法を考えるときに不可欠の技術です。モデルを作成して用いるからこそ、私たちは論理的な思考に基づいて物事を理解したり、適切な計画を立てることができます。
この本に数式は出てこない。本質の理解に重点を置き、具体的かつ興味をそそる事例を用いて、多岐にわたるモデル分析をするうえで知っておくべき手法や概念を平易な言葉で紹介する。冒頭のスマホ選びも、モデル分析によって「自分にとっての最適解」を導くことができる。
この本は「モデル分析」という豊かなツールを使い、自分の頭で考えるための「一生もの」の技術を明かしてくれる1冊だ。
「モデル」をコーディネートする
論理的な意思決定を行うための技術「モデル分析」。「モデル」とは、複雑な現実から物事の要点(部品)を取り出し(それ以外は捨て去り)、部品同士の関係性から作る、現実を模倣した「模型」のようなものだという。
「モデルとは捨てる技術なり」とあるように、部品がシンプルになるほど、思考もシンプルになる。しかし、その模型が何を模しているかが分かるレベルの完成度を保つには、捨てるばかりではなく「正しいと思われること」を導き出すための要素は残さなくてはならない。「うまく」捨てることが肝心なのだ。
さらに
①定量的モデルと定性的モデル(→第2章 数学を用いるか、言語を用いるか)
②普遍性を追求するモデルと個体を把握するモデル(→第3章 いつか役立てるか、いま役立てるか)
③マクロモデルとミクロモデル(→第4章 ざっくりと切り分けるか、細部を見るか)
④静的モデルと動的モデル(→第5章 時間による変化を考えるかどうか)
といったかたちで「対」となる概念があり、モデルを作る際には対のどちらかを選択する。その選択によって、できるモデルは大きく変わる。
なんだか難しそうに感じるが、本書はこれを私たちの日々のファッションに例えてくれている。
洋服のコーディネートは、シャツやニットといった「トップス」、スカートやジーンズなどの「ボトムス」、コートやジャケット、そして靴、といった具合に、アイテムを一つずつ選んで決めていく。
その際、重要な意味を持つのが、その日の予定、つまり「目的」だ。仕事か遊びか、また会う相手は誰か……これらを頭において考えることで、その日にふさわしい服装が完成する。モデル作りも同様なのだという。
また、モデル分析には「事実確認」「最適解を導出する」「物事を評価する」などの7つの目的があり、何かを真剣に思考する際の目的は、このどれかに当てはまる。
私はここにも、ファッションとモデル分析の共通点があると感じた。「目的」(予定)別の服装も「フォーマル」「セミフォーマル」「ビジネスウエア」「カジュアル」といったパターンがあり、自分の目的を把握すればコーディネート、つまりモデル分析の方針を確信をもって選び取ることができる。「目的がはっきりしている人」は、モデル分析においても上手な取捨選択ができるだろう。
この取捨選択に加え、正味現在価値法・埋没費用・パレート最適・伝統主義・フェティシズム・官僚制の順機能と逆機能といったキー概念を押さえることで、より精度の高い分析ができるようになる。個人的には、ここでも「正しく捨てる」ための考え方をインストールできたと感じた。
文系と理系の思考をまたぐ
本書の冒頭には、
文系と理系の垣根を飛び越えることの大切さをお伝えすることに力を注ぎました
とあり、帯にも「文系も理系も関係ない! まず、モデルを考える」と記されている。
これは「自らの学びが文系・理系のどちらにカテゴライズされていても、論理的な思考ができるようになるべきだ」という意味合いだと思っていたが、それだけではない。モデル分析のフローも、文系・理系の境界を行き来しながら進んでいく。
第7章では、モデル分析を合理的な意思決定に役立てるための学問「オペレーションズ・リサーチ(OR)」に触れている。
ORの中核には、物事の計画を支援するための数学モデル「計画数学」がある。計画数学によるモデル分析のフローは、以下のようになる。
まず目の前の現実を観察し(①)、その問題に含まれる要素を数学記号によって表す(定式化・②)。この、数理モデル分析のスタート地点で求められるのは「国語力」であるという。
現実の世界で何が起きていて、それについて何が求められているのかを、言語の形で表現することが、モデル分析のスタート点なのです。このとき何よりも大切なのは、論理的にものを見る力と、国語の力です。
設定した数式を解くと(③)、問題の所有者に向けて「数学の解に基づく説明を行う」プロセスに移る(④)。国語力とモデル分析は切っても切れない関係であることが分かる。
ただしモデル分析は一度で完璧な結果が得られるとは限らない。①の観察と整理のプロセスが不十分だった場合の「間抜けな結果」、「ホウレンソウの逸話」はその一例だ。
しかし、それでも①のプロセスから再度、らせんのように各プロセスを繰り返せばモデルをブラッシュアップできる。この「らせん的展開」は、このモデルに限った話ではなく、長期間かけて多くの研究者が学問全体を磨き上げてきた大きな営みでもあるのだ。
本書でいう「思考」とは、モデル分析の各プロセスを、また文理の境界を、何度も行き来しながら完成するものなのだと感じた。分析すべきモデルの構築だけでなく、さまざまな思考の道筋を平易な言葉で読むことは、とても楽しい体験だった。
レビュアー
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
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