前作『邪魅の雫』から実に17年ぶりとなる、ファン待望の「百鬼夜行」シリーズ最新作『鵼の碑』が発表された。発売前から大きな反響があったなか、今年、作家デビュー30周年を迎える著者・京極夏彦さんと担当編集の栗城浩美、西島聡が、唯一無二の物語の魅力を語り合った。
百鬼夜行シリーズ17年ぶりの書き下ろし新作『鵼の碑』
栗城 前作から17年。編集担当として感慨深いものがあります。
西島 『邪魅の雫』は発売日に買って夢中で読みました。そのころ私は中学3年です。まさか、そこで予告されていた『鵼の碑』の発売に担当として立ち会えるとは。感動しています。
京極 書くのに17年間かかったわけではないし、17年間意識不明になっていたわけでもないですよ。もちろん17年遊び呆けていたわけでもないです。監修に6年かかった『水木しげる漫画大全集』って講談社のお仕事じゃなかったでしたっけ? その後、日本推理作家協会の代表理事を4年やりましたけど、江戸川乱歩賞受賞作の版元も講談社ですよね? まずそのへんはトルツメでしょう。
栗城 実質的には5〜6年?
京極 いや、ゼロですよ。
栗城 ゼロにしちゃいますか(笑)。
前作の巻末で今作のタイトルを予告したときには──
『鵼の碑』著者、京極夏彦氏
京極 できていました。タイトルと中身は一緒にでき上がります。ただ、時期を逸したので3種ボツにしました。なので4つ目の「鵼」ですね。
栗城 それが一気に動き出したのは、2022年の年末でした。完成稿の第1弾として300ページほどをいただいて。
西島 そこから半年で、残る500ページを書かれたと。
京極 正味3ヵ月くらいですかね。
西島 そんな短期間で書かれたんですか⁉
京極 ただ、僕の場合、24時間×90日に近いですがね。時間というよりそれだけの容量が確保できるかですよね。ほら、「こっちを先に書け」とか「選考しろ」とか「推薦しろ」とか言うでしょ。1行書くのも1000ページ書くのも僕にしてみれば労力は同じですから。出版社の都合ですって。
栗城 確かに(笑)。
350万もの閲覧回数を記録! 大反響を呼んだ新作発表
西島 7月末に発売日が告知されて以来、ネット上では大きな反響が続いています。書影を公開したX(旧ツイッター)のポストは、350万インプレッション(閲覧回数)をたたき出しました。
京極 僕はその手の数字は信用しません。軽蔑や憎悪の数かも。
栗城 いえいえ、ファンの方たちの喜びは本物です。Xでも皆さん、「いいね」だけではなく、引用リポストで熱い思いをひと言添えて拡散しているんですよ。これまでに経験がないほどの大反響に、編集部も驚いています。
西島 トレンド欄を「京極堂」、「姑獲鳥の夏」、「邪魅の雫」といったシリーズ関連ワードが席巻していました。日本中で妖怪の名前が飛び交う異常事態でした。
京極 期待値が高いと失望も大きいんです。それに実物を手にとったら、こんな重い本、誰も買わないんじゃないでしょうか。
西島 多くの読者にとっては「これぞ!」という厚みだと思います。
栗城 『鵼の碑』は、京極さんの信条である「整理整頓」が、これまで以上にがっつり伝わってきます。読みやすい! 初めての読者にも面白さがダイレクトに伝わる作品になっていますよね。
西島 「百鬼夜行」シリーズの長編作品のタイトルは、どのように決められているのでしょうか?
京極 このシリーズの構成要素である「お化け」と構造である「漢字一文字」の組み合わせです。「鵼」と「碑」を選んだ時点で書くことは決まっちゃうんですね。お化けは『画図百鬼夜行』(注1)から選んでいますが、もうあんまりいいのが残ってないですね。
栗城 妖怪の名前って、書名に向かないものが多いですよね。若干緊張感に欠けるところも。
京極 若干どころか間抜けの塊みたいな小説になりますよ(笑)。
妖怪や怪異の本質は時代とともに変わっていく
中央)著者の京極夏彦氏 左)単行本担当編集者、栗城 右)ノベルス担当者、西島
京極 “妖怪”は文化の上澄みみたいなものなので、文化が変容すればどんどん変質します。日替わりですよ。一方“恐怖”のようなものは生物学的に規定される部分も多いから、不変です。ただし“怪異”となると社会との関係の中で醸成されるものなので、時代ごとに更新される。そのへんの言葉を無神経に使う方が多い気がしますね。キャラクターとして使っているだけで“妖怪”である必要がなかったりするし。もっとお化けに敬意を払いましょうよ(笑)。誠実に接すると畏れ多くてお化けなんか出せませんよ。
栗城 それなのに、この小説全体が「鵼」そのものに感じられたと、先日京極さんが出演された番組(注2)で加藤シゲアキさんもおっしゃっていましたね。
京極 読んでお化けが涌けば成功ではあるんですが。面白いかどうかよりそこ優先(笑)。ほら、土俗ホラーだとか民俗学ミステリーだとか、わりと多いですよね。
西島 そういったジャンルの作品は近年、特に活気があります。
京極 あの手の作品って、とても面白いんだけど、要するに民俗共同体の崩壊に伴うパラダイムの変化がキモになってるわけですよ。なのにそのへんの扱いはわりと雑で、明治から昭和初期にかけて提供された風俗史学観から脱出してない気がする。そこはもう少し細かく拾っていきたいと思ってはいます。例えば民俗共同体崩壊後も家族という共同体は残ったし、それも社会構造の変化によって変質していく。徐々に家という概念だけが浮き上がる一方で、それらが抱えていた闇は個人に還元されていく。昭和20〜40 年代にはそうした変動もあるわけで、過去作ではそのあたりを扱ったんですね。
西島 そうすると、今回のテーマも気になります。
京極 今作は、高度経済成長時代の到来を目前にして、少し先取りをしてみようと。情報という実体のないものがネットワーク化することで仮想の疑似共同体を形成していくような状況ですね。そうなれば、そこにいにしえの民俗共同体が抱えていたような闇も醸成されるのだろうし、なら“怪異”も生まれ得る。『邪魅の雫』の一歩先ですね。鵼には相応しいかなと。
西島 なるほど。とても腑に落ちます。
京極 情報は読み替えも組み合わせも結合も容易ですね。その結果とんでもない形になったりもするんだけど、情報は情報であって、実体はないですからね。
栗城 布の織り方次第で陰謀論にもなるし、家族の話にもなる。
京極 いや、そんなところは読み取っていただかなくていいんですけど(笑)。そんなこと考えながら読んだって面白くないですから。
栗城 発売前に『姑獲鳥の夏』から読み直してくださっている読者の方々も多いシリーズです。ぜひじっくり読んでいただければ! 今回も次回作を予告しています!
※注1=1776年に刊行された鳥山石燕の妖怪画集。
※注2=8月26日に放送された、NEWS・加藤シゲアキさんがホストを務める番組「タイプライターズ」(フジテレビ系)。
撮影/林 桂多(講談社写真部)
1963年、北海道生まれ。1994年『姑獲鳥の夏』でデビュー。1996年『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、1997年『嗤う伊右衛門』で泉鏡花文学賞、2003年『覘き小平次』で山本周五郎賞、2004年『後巷説百物語』で直木賞、2011年『西巷説百物語』で柴田錬三郎賞、2016年遠野文化賞、2019年埼玉文化賞、2022年『遠巷説百物語』で第56回吉川英治文学賞を受賞。