主人公の名前はローズ。彼女はゴリラだが、その知能は人間に匹敵し、手話で会話もできる。今は動物園で暮らしているが、ある日、夫のゴリラが銃殺されてしまった。そして彼女は裁判を起こす──。第64回メフィスト賞を受賞した『ゴリラ裁判の日』。衝撃のデビュー作について、著者の須藤古都離氏と編集の大庭大作が、その魅力を語る。
圧倒的読みやすさ! 満場一致でメフィスト賞受賞
大庭 昨年のメフィスト賞を受賞した本作は、デビュー作にもかかわらず、早くも各メディアから注目を集めています。これまでにも、いろいろな文学賞に応募されていたんですか?
須藤 4年前、初めて書いた長編をハヤカワSFコンテストに応募しました。1次は通ったんですけど、2次には引っかからず。そのときに編集者の方から、アイデアはいいけど読みづらいと言われて。そこから文章の読みやすさを徹底的に追求して本作に至る感じですね。
大庭 下読み選考の際、この作品はとにかく読みやすくて驚きました。僕は最初からこの作品を推していたんですが、蓋を開けたら満場一致での受賞でしたね。
須藤 嬉しいです。プロとして、最後まですらすらと読み終えてもらえるエンタメ小説を書こうと決めているので。
大庭 大学卒業後は、一度就職されているんですよね。
須藤 ええ。もともと小説は趣味程度で、短編を書いてSNSに載せるくらいだったのですが、会社を辞めて、何か新しいことをやりたいなと思って本格的に書き始めました。実は、書けばすぐにデビューできるだろうと軽く考えていたんですよ(笑)。
小説以外の読書歴から着想を得た異色のテーマ
『ゴリラ裁判の日』著者、須藤古都離氏
大庭 本作の着想はどういうところから生まれたのですか?
須藤 この作品は、3作目になるんですが、その核となるアイデアは1作目からあったものなんです。そのときのテーマは「進化」でした。たとえばサザエなんかは、波に流されないよう岩にくっつくための角が、波の静かなところだとその世代で伸びなくなったりする。そんな急速な進化がもし人間に起きちゃったら、社会はどう変わっていくのだろうと。
「進化」から「人間と人間を分けるものは何か」「人間の権利とは何か」とだんだんテーマが膨らんできた感じです。
大庭 ゴリラが進化して人間と同じ思考と会話力を持ったときに、「人間と何が違うのか」という話に発展するわけですね。
須藤 僕は大学時代、あまり小説は読んでいなくて、主にビジネス系や生物化学系の本ばかり読んでいました。なかでもすごく印象に残っていたのが、ナシーム・ニコラス・タレブの『ブラック・スワン』です。金融関係の本ですが、何か一つ、今までの常識を覆すことが起きたら、世界がガラッと変わってしまうという話で。
コロナ禍がいい例ですよね。ウイルスの影響で、一気に世界中の人の暮らしが変わってしまった。白い白鳥の中にポンと黒い白鳥が出てきたら、社会の常識が全部崩れてしまう、そんな瞬間を自分の言葉でわかりやすく小説にしたいと思って書きました。
大庭 小説しか読んでこなかったら、こんな突飛な設定の作品は生まれなかったかもしれません。
須藤 もし動物が話せたら、今の社会はどうなってしまうのか。ゴリラが会話できるというその一点だけでは、この作品はSFと呼ぶには弱いんですが。
大庭 SFの道具だけを借りたエンタメ小説ですよね。でも、動物が喋るという設定は、ほとんど類を見ないと思います。『吾輩は猫である』は猫の語りで話が進みますが、人間と会話するわけではないですからね(笑)。
須藤 僕も思いつきません(笑)。
大庭 『ゴリラ裁判の日』というタイトルだけを見ると、ナンセンスな面白さを追求した作品かと思われそうです。
でも、この作品のすごいところは、荒唐無稽な設定だなぁと訝いぶかしみながら読んでいるうちに、どんどん違和感が消えていく。本当にこういうことが起こるかもと思えてしまうほど、リアリティがあるんですよね。
須藤 それは、主人公のローズに一人称で語らせているのも大きなポイントでしょうね。主人公のゴリラを客観的に三人称で描くと、物語に没入してもらうのは難しかった思います。
あと、ゴリラが人と会話するという設定以外のことは徹底的にリアリティを追求して、地に足が着いた小説を目指しました。
大庭 単行本刊行に際して、世界的なゴリラ研究者の山極寿一先生に監修していただきました。ゴリラのジャングルでの生態などは詳しすぎるほどに書かれていますよね。
須藤 ジャングルではこういう掟があって、野生の動物はこういう思考回路で生きている、人間とはこう違うんだというのを体の中に沁み込ませていくと、後半で人間の生活を見たときに、「あれ?」となる。今まで見えていなかったいびつな部分が客観的に見えてくると思うんです。
大庭 そのためにも、必要な部分だったわけですね。
須藤 はい。僕はまず、人間が描きたくて、そのためには外から書きたかった。人間以外のものを背景にして、外側から人を見る必要があったんです。
「人間とは何か」を問う感動的スピーチ
左)『ゴリラ裁判の日』著者、須藤古都離氏 右)担当編集者の大庭
大庭 物語のクライマックスは、やはり裁判の最後でのローズのスピーチですよね。「たとえ私が貧しくとも、私は人間である」で始まって、「たとえ私が〇〇でも」と何回も続けて、最後に「たとえ私がゴリラでも、私は人間である」と締める。
この一言のために書かれた物語なのだろうと思いました。
須藤 あれはアメリカの公民権活動家・ジェシー・ジャクソンの有名なスピーチを、この作品に合う形で僕なりに翻訳したものです。人間とそうでないものの違いは何なのか、とても考えさせられる言葉ですよね。
大庭 昔、奴隷としてアメリカに連れて来られた黒人、選挙権がなかった女性、これまで多くの虐げられた人たちが権利をつかみとってきた歴史を想起させる、感動的な場面です。
須藤 主人公はゴリラですが、ゴリラにまったく興味がない人にも感情移入してもらえたら嬉しいです。
大庭 それが、意外なことに僕の周りでゴリラ好きが多くて驚いたんですよ(*)。この作品がきっかけでゴリラ・ブームがくることを祈っています(笑)。
*=この本の帯に推薦コメントを書いてくださった京極夏彦さんも大のゴリラリスペクターです。
撮影:森 清/講談社写真部
1987年生まれ。神奈川県出身。青山学院大学卒業後、国内メーカー等で営業職を経験し、退職。その後、小説家を目指す。2019年から作品を新人賞に応募し始める。2022年「ゴリラ裁判の日」で第64回メフィスト賞を満場一致で受賞。趣味は着物を着ること。Mephisto Readers Club(MRC)の会員限定小説誌「メフィスト」2022 SUMMER VOL.4に「どうせ殺すなら、歌が終わってからにして」(短編)が掲載。