どんなことにも「はじめて」はある。だがそのための「きっかけ」は、意外と多くない。人文系の学部に属していた学生時代、「レヴィ=ストロース」の名はよく耳にしたし、周囲には著作を読んでいる人もいた。その時私も思いきって、わからないなりに読んでみればよかったのに──今でこそそう思えるが、当時はその勇気が湧いてこなかった。結局「人類学」は、近くて遠い存在のままだった。
それゆえ、本書の冒頭に書かれた著者の穏やかな語りかけは、何より染みた。
この本は、人類学の世界を覗きたい、自分自身と他者を知るための学問とは何かを学びたい、そんな初学者のための本です。
そう! そうなんです。ずっと、ちょっと覗いてみたかった。この歳になって、まさかの「はじめて」を迎えることができるとは。今までの不勉強を許された気がして、どこかホッとしながらページをめくる。
1962年生まれの著者は、1998年に一橋大学大学院博士後期課程を修了し社会学博士を取得した。その後、桜美林大学国際学部での勤務を経て、現在は立教大学異文化コミュニケーション学部の教授を務めている。人類学に関する著作を多数執筆しているほか、翻訳や監訳も多く手掛けてきたという。
ちなみに「人類学」とひと口に言っても、現在の「人類学」の研究分野は多岐にわたっているという。その中でも「社会人類学」や「文化人類学」といった名称ならば、聞いたことがある方も多いだろう。それらの区分について、著者は全6章からなる本書のうち、第1章で最初に触れている。
いわゆる「人類学」と呼ばれるこの学問分野は、成立の背景の違いから、国や地域によって名称が少しずつ違っています。あるいは同じ名称が国によって別の意味で使われたりしているので、紛らわしいのです。
「そんなややこしいことがあるの?」と驚いたが、この後には「アメリカでは、イギリスで社会人類学と呼ばれている分野を『文化人類学』と呼びます」「これに対しフランスでは、社会人類学や文化人類学は一般に『民族学』と呼ばれてきました」という具体例が挙げられており、さらにおののいた。こんな違い、解説がなかったら絶対にわからない……!
初心者のそんな混乱を見透かすかのように、著者はそれらの違いをきちんと整理した上で、本書における「人類学」という言葉を定義してから話を進める。その流れは、まるで暗闇に確かな光が灯されたようにも感じられ、とにかく心強い。ここから著者は、近代人類学が成立した過去100年の流れを、その誕生前夜から丁寧に説き、4人の人物を1章ずつ取り上げる。
誤解を恐れず言えば、人類学には「絶対にこの4人は外せない」という最重要人物がいます。ブロニスワフ・マリノフスキ(1884ー1942)、クロード・レヴィ=ストロース(1908ー2009)、フランツ・ボアズ(1858ー1942)、ティム・インゴルド(1948ー)です。彼らは19世紀後半から現代に至るまで、それぞれの時代を生きながら人類学において重要な概念を打ち出してきました。
先回りして言えば、マリノフスキは「生の全体」を、レヴィ=ストロースは「生の構造」を、ボアズは「生のあり方」を、インゴルドは「生の流転」を突き詰めた人類学者と捉えることができます。
彼らを通して過ぎた100年の積み重ねは濃く、幅広い。また最終章では、現代における人類学のあり方とその挑戦も提示されていた。初学者にとっては、またとない指針ともいえる。
専門的な読み物としてはかなり読みやすくまとめられた本書を、人類学への「はじめてのきっかけ」としてほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。