第19回大藪春彦賞を受賞した『リボルバー・リリー』が映画化され、いま熱い注目を浴びている作家・長浦京氏。スパイ小説、アクション小説で高い評価を得ている長浦氏が、今回は19歳の青年を主人公に据え新境地に挑む。現実の諜報、防諜の最前線を舞台に、予測不能の展開が怒濤のように押し寄せる本作。スパイ小説の概念を一変させる傑作の背景には長浦氏のどんな狙いがあるのか。担当編集の大曽根幸太とともに語る。
出し惜しみなし! 奇想天外なネタのすごい凝縮感
大曽根 2020年から「小説現代」に連載された連作中編が1冊の本として刊行されました。優に2冊分の情報量があろうかというボリュームですごい凝縮感です。 400ページのなかにこれほど多くのアイデアが盛り込まれていることに驚きました。
長浦 出し惜しみの仕方が分からないんですよね(笑)。
大曽根 映画化された『リボルバー・リリー』も、これでもか! というくらいにふんだんにネタが詰まっている感じでしたね。
長浦 あのときは、どうせあとで編集者に削られるだろうと思ってギュウギュウに詰め込んでみたんですが、あっさり「これでいいです」と言われまして。びっくりしました(笑)。
大曽根 今回、連載中の執筆はスムースに進みましたか。
長浦 この作品はラストまできっちり決めてから書き始めたので、実はもっと早く完成するはずでした。でも、途中入院していた時期もあり予定よりだいぶ遅れてしまいましたね。
大曽根 闘病生活での執筆は大変でしたか?
長浦 僕の場合、これまでずーっと闘病生活をしてきたので、もう大変なのかどうかすら分からなくなってきました(笑)。
大曽根 デビュー前、病気で下血され、その真っ赤な血を見た長浦さんが「すごくきれいだな。これを何らかの形で表現したい」と血の美しさに惹かれて小説を書き始めたのは有名な話です。
長浦 鮮血を目の当たりにしたことで血の物語を書いてデビューしたものの、本当は青春小説が書きたかったんですよ。いまでも書きたいけれど、大曽根さん始め担当編集者が書かせてくれない。
大曽根 僕だけじゃなくて皆が止めているはずです(笑)。
主人公は19歳! 日本初の青春スパイ小説が誕生
『アンリアル』著者、長浦京氏
長浦 今回、主人公を19歳の青年にしたのは厳しい編集者への僕なりの抵抗でもあります。スパイ小説ですよと言って安心させておいて、僕なりの青春小説の要素をふんだんに盛り込んでやれ、という。
大曽根 これまで長浦さんが書いてこられたスパイ小説、アクション小説はいずれも高い評価を受けていますが、この作品は主人公が19歳という設定が斬新です。日本初の青春スパイ小説の誕生ですね。
長浦 ハリウッド映画では“スパイキッズ”がいますが(笑)。
大曽根 主人公・沖野(おきの) は、悪意を持つ人間の目が赤く光って見える「特質」を持つ19歳の若者。天才的な資質を垣間見せるものの決してスーパーマンではなく、元引 きこもりで未熟さも目立つ青年です。
長浦 この作品では主人公の成長譚を描きたかったのと同時に、物語をなめらかに進めるのに10代という若さがどうしても必要でした。理解しがたい事件、理不尽な任務に直面したとき、彼は素直に感情をあらわにできます。どこか矛盾を孕んだ判断をする前にストレートに「それっておかしくないか、気持ち悪いぞ」と。価値観がまだ固まっていない10代の主人公の存在があって初めて、重たいテーマもすっと書けたと思っています。
大曽根 沖野の純粋さゆえに読者も一緒に立ち止まって考えたり走り抜けたりすることができる。そんな“一体感”は、完成された大人が主人公ではなかなか成立しませんよね。
長浦 ほんと、若いっていいなぁ、青春っていいなぁと思いますよ。いろんな作家が青春をテーマにするわけがわかる(笑)。
大曽根 ネタバレになるので詳しくは言えませんが、あるクローンの登場シーンはショッキングでした。日米中が入り乱れての陰謀も規格外のスケールですが、実際の事件が下敷きになっているんでしょうか。
長浦 基本的なアイデアはすべて僕の想像です。参考にしたような元ネタはありません。ただ、時代の空気感みたいなものは無意識のうちに反映されているとは思います。
大曽根 長浦さんの発想力は驚異的です。やっぱり、青春小説だけ書いていただくわけにはいかないですね(笑)。ちなみに、作中に出てくる近未来的な兵器、防諜機器なども想像の産物ですか?
長浦 そちらはすべて実在するものです。
大曽根 作中に出てくる爆弾も発信機も実在するものだと知ってから読むと、さらにリアリティが増すと思います。
長浦 いまの時代、想像もつかないほど極小の発信機なんかが普通にあるんですよ。
立ち止まって考えさせられる本当の正義とは何か?
左)『アンリアル』著者の長浦京氏。右)担当編集者の大曽根。
大曽根 本作は究極のエンタメ小説でありながら、さらに深い問題提起がなされているのも大きな魅力です。読みながら何度も、何が正義なのか考え込んでしまいました。
長浦 平和は祈っているだけでは手に入らない。平和は噓と血にまみれた結果、手に入る。みんな分かっていることなのに見ないようにしている。それが嫌だなぁという思いがありました。そんな当たり前のことを問いかけるための装置として主人公が19歳というのはやはり重要だったかなと思います。
大曽根 沖野が所属する諜報組織の人たちには「信念はあるけど正義はない」と、作中で言及されています。
長浦 大前提として、正義の押し付けはとても危険だと思っています。ましてや、公権力の側が正義を押し付けるのは最悪です。平和を守るためには強い信念を持った人間が必要な一方、そんな強い人間はすぐに暴走しかねない。ですから、彼らを怖い存在としても描いています。
大曽根 そういう組織のなかで、沖野は何が正しいことなのか葛藤しながら平和を守るためにもがき奮闘しています。きっと読者は一緒に悩みながら読み進めてくれるんじゃないでしょうか。物語の後半、沖野がこの組織に投入された必然が明らかになってあらゆる謎が一気に解決していく展開も見事でした。でも、組織の多くの上司たちの背景は、よく分からない部分が残されていますね。
長浦 そのあたりは本作ではあえて書かずに、これから発表する第2部で解き明かしていきます。ぜひお楽しみに。
大曽根 “出し惜しみ”しない長浦さんが初めて“出し惜しみ”した物語に期待しております(笑)。
撮影:渡辺 充俊 (講談社写真部)
1967年埼玉県生まれ。法政大学経営学部卒業後、出版社勤務などを経て放送作家に。その後、難病指定されている潰瘍性大腸炎にかかり闘病生活に入る。退院後に初めて書き上げた『赤刃』で第6回小説現代長編新人賞を受賞。2017年、デビュー2作目となる『リボルバー・リリー』で第19回大藪春彦賞を受賞する。同作は映画化され8月11日公開予定。2019年『マーダーズ』で第73回日本推理作家協会賞候補、第2回細谷正充賞を受賞。2020年『アンダードッグス』では第164回直木賞候補、第74回日本推理作家協会賞候補となる。他の作品に『アキレウスの背中』『プリンシパル』などがある。