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2023.05.15

レビュー

指が長くなる!? 皮膚が伸びる!? 錯覚を通して脳と感覚が作り出す不思議な世界

人間の「こころ」と「からだ」は、いつでも分かちがたく結びついている……とは限らない。そんなスリリングな真実を教えてくれる、ユニークな実験や事象の数々を紹介するのが本書である。

まず序文から、本書で扱うのはいわゆる視覚的錯覚(錯視)ではなく、「からだ」で感じる錯覚であることが強調される。それらを導き出すのは、特殊なセッティングで行われる身体の動作、それによって被験者の認識に生じるギャップ・不一致・違和感である。たとえば「自分の体の一部が自分のものでなくなるような感覚」「体のパーツの形状が非常識に伸縮するような錯覚」「自意識による運動とはにわかに識別できなくなるような感覚」などをもたらす実験が、次々に紹介されていく。

自分の手の触覚と、別の場所に設置したゴム製の手の視覚情報をすり替えてしまう《ラバーハンド錯覚》。ラバーハンドすら用意せずに“見えない手”の存在を強固に感じさせる《インビジブルハンド》。背中に回した左右の手を組ませるような錯覚を与えると、指や腕が伸縮したような感覚をもたらす《背面セルフタッチ》などなど。簡単なセッティングや協力者がいれば、即席で行うことができる実験(即錯)も多い。下図の《蟹の錯覚》などは、大きな白い紙とペン、被験者2名がいれば簡単に体験できる。また、各章の扉にはYouTubeにアップされた実験記録映像のQRコードリンクも掲載されている。実験のようすをムービーで確認できて、実践の参考にもなる親切設計だ。ぜひどれかは体験して、不思議な感覚を味わってほしい。

私たちの日常は、自分の身体が思い通りに動くという鋼の囲いの中に、深刻なまでに閉じ込められているのです。筆者は《蟹の錯覚》が、そうした鋼の囲いを溶解させるために一つの呪術のようなものと考えています。

名古屋市立大学の准教授で、工学博士の著者は、2012年に《ラバーハンド錯覚》の実験を家族と一緒に試みて以来、この研究の虜になったという。だから各実験の描写からは、著者自身のいまだ新鮮な驚きと感動が活き活きと伝わってくる。第5章に登場する《スライムハンド錯覚》に至っては「筆者の体験した錯覚のなかでも最大級に衝撃的な体感を与えるもの」とまで書いており、体験したくならずにいられない。

図解も豊富で、教職者だけあって言葉選びもわかりやすい。小中学生が夏休みの自由研究に活用するにもうってつけだ。



もちろん、それぞれの実験に対して「わあ、不思議」と無邪気に驚くだけの本ではなく、様々な現象から示唆されるテーマも非常に豊富である。たとえば、こうした錯覚を現実に応用したアトラクション、マジックショー、人心操作術(詐欺商売や犯罪トリックも含む)などを想像してみるのも面白いだろう。あるいは、フィクションやドキュメンタリーを見たときに覚える「感情移入」とは、自分と自分以外のものを取り違える錯覚に極めて近い人間固有の能力なのではないか……などという妄想を拡張することも可能である(その解釈が正しいかどうかはさておき)。

意外に曖昧で抽象的な(いいかげんとすら言っていい)人間の身体認識、実はフレキシブルにドリフトや伸縮を意識の上では可能にしてしまう身体感覚などについて知ると、改めて自分の「こころ」と「からだ」の関係を見つめ直してしまうはずだ。そして、実はすでに人間には自己の肉体を抜け出し、精神のみ切り離して活動する準備ができているのではないか、という思いにも至らされる。本書終盤で取り上げられるのが、まさにその実践体験と言える「幽体離脱」なのは、非常に示唆的だ(極めて誘引力の強いトピックの数々も本書の魅力である)。

人類の「こころ」と「からだ」の分離は、そう遠くない未来にスムーズに行われるようになるかもしれない。そのとき、からだの錯覚に限りなく近い「身体意識のドリフト」は一般的なテクニックとして拡張現実世界で活用されるだろう。本書中でも引用される映画『レディ・プレイヤー1』(2018年)のメタバース空間で、人々は現実の自分とは異なるアバターの身体を自在に使いこなす。押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)、湯浅政明監督の『カイバ』(2008年)といったアニメーション作品でも、ハイテク技術による「こころ」と「からだ」の分離が描かれた。そこに映し出された人類の進化や発展に、どこか惜別の情めいた悲しみを覚えてしまうのは、まだ自分が「からだ」への執着を捨てられない古いタイプの人間だからだろうか。

そんなことを考えながら本書を読み進め、肉体とお別れするかもしれない未来の可能性を(少々の恐れと不安も覚えながら)幻視していると、最終章であっと驚くことになる。曖昧であると同時に、強固なことこの上ない「こころ」と「からだ」の結びつきは、思えば最初から時に逆説的に、時にストレートに語られてきたではないか。それまで紹介されてきた数々の錯覚に付帯する「きもちわるさ」が、その重要なキーとなる。まるでよく出来た小説のどんでん返しのようなラストを迎えた瞬間、思わず冒頭から読み返したくなる構成に、新鮮な驚きを覚えずにいられない1冊だ(それも実は巧妙な錯覚誘導かもしれないが……だとしたら余計に見事というほかない)。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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